第25話 雑草

 家に帰った時、家族にバレないように部屋に籠っていた。

 別に何も出来ない先生達に文句はない、と思う。

 これはどうしようもない問題かもしれないし、解決するのかどうかも分からない。

 何が正解で何が正着で何が正当なのか。

 あれやこれと考えても、糸が複雑に絡み合っていて、わたしの頭は爆発寸前だ。


「五十嵐先輩……返事してよ」

 スマホでメッセージを送っても既読はない。わたしから一方的に送られるメッセージ。

 これ見たら量にびっくりするだろうなー。

 わたしは朝起きるのが少し楽しみになる。

 起きたら五十嵐先輩がから返事が来てるかもしれない、と期待しながら眠りにつく。


 でも期待は報われる事はなかった。返事も無ければ既読もない。

 わたしは手ぶらで学校へ行く。登校中チラチラと視線を感じるけど、気にしない。

 もう他人の顔の認識すらしてないかも。どれも道化師のような顔でどいつもこいつも笑っているだけ。


 やっぱり次の日も五十嵐先輩は来ていなかった。




 ブゥゥン


「お前だろ!?五十嵐って奴に襲われたの!?」

「噛まれたのは首とどこぉー!?」


 ギャハハハハハハハ


 うるさい。


「1年の癖に生意気だぞー」

「挨拶しろよー」


 アハハハハハハハハ


 うるさい、うるさい、お前らには関係ないだろ。


「千秋……?」


 キツネと涼香が心配そうに見ている。

「近寄らないで、涼香達にもハエが群がるから」

 目も合わせずに通り過ぎる。

 1人で大丈夫。わたしは負けない。ここで逃げたら、五十嵐先輩が悪者になってしまう。


【浅野、絶対に手を出すな。すごく辛いが我慢しろ】


 わたしが負けなければ、きっと――


「獣臭いからぁ、洗ってあげる!」


 ギャハハハハ

 水をぶっかけられても



「あれ?靴が……」


「四足歩行で帰ればー?」


 ギャハハハハ

 靴を隠されても



「ほら手出してこいよ?退学が怖いのー?ペッ!」

「アハハ!汚ーいっ可哀そうじゃーん!」



 アハハハハハハ

 唾を吐き掛けられても





 わたしは





「おかえり、おねぇち、なんでびしょびしょなの?」

「……ただいま、ちょっと遊んでたら池に落ちちゃった」

 頑張って作り笑いをする。妹にまで迷惑かけられない。


「おねぇちゃんでも池で遊ぶんだ」

 トテトテと戻る妹を見て安心する。

 こんなカッコ悪いお姉ちゃんでごめんね。





 いつもの様に五十嵐先輩にメッセージを送る。

 反応はない。

 また朝起きて、期待に胸を振らませてスマホを見るが、その膨らんだ思いはすぐに萎む。


 まだ五十嵐先輩は学校に来ない。




 ブゥゥン


「五十嵐最近見てないんだけどー?」

「まさかお前が喰ったとかぁ?」


 アハハハハハ

 うるさいハエはどんどん増えてわたしを不快にさせる。



 ブゥゥン


「おい!五十嵐もさくらみたいに飛んだんじゃねえの!?」


 その言葉には体が止まってしまう。

 このハエの言う事に怒りを覚えるとか、そんな事よりも冷静に考えてしまう。

 どんなに待っても既読が付かない。

 そんな事はあり得ないと思っていた。五十嵐先輩がそんな事をするとは思えない。

 いや、考えないようにしていただけかもしれない。

 次第に動悸が激しくなって、呼吸が早くなる。

 わたしの心は変にざわついてしまう。

 今から家に向かう?電話?救急車?警察?

 どれが正解?


「冗談でもそんな事を言うんじゃない!!」

 その怒鳴り声でわたしは一瞬正気に戻れた気がする。

 発言した生徒に先生がげんこつを食らわせていた。痛そうに頭を撫でては足早に去って行く。


「せ、先生、五十嵐先輩が、と、とんっ――」

「お前もバカな事考えるな!」

 先生がわたしの髪をぐしゃぐしゃと雑に撫でる。

「安心しろ。毎日朝昼晩電話して親御さんと話してるんだ。今は部屋に籠ってるらしいが、大丈夫、ちゃんと一緒にご飯も食べてるそうだ」

「良かった……」

「なるべく早く学校に戻ってもらわないと私も困るんだ。毎日3回電話して、そろそろ親御さんにウザったい先生と思われそうでな……嫌われないか心配だ」

 本当に嫌そうな顔で溜息をつく先生。

 それがちょっとおかしくて、ほんとに無力というか、先生という立場は弱いんだなぁって思った。


「ふふふ」

「浅野笑う所じゃないぞ。本当に怖いんだぞ?嫌われてみろ、何をしても、何を言っても揚げ足といった理不尽や……う”うん!まぁお前の心配する事は起きてはいないから安心しろ」

「はい、ありがとうございます」


 わたしにはすごく頼りない味方がいる。

 でもそんな頼りない味方はわたしに元気をくれた。

 これなら負けない。今なら五十嵐先輩に会える気がする。







 学校が終わって家に帰ると、またずぶ濡れで妹は呆れた顔をしていた。

 わたしは着替えてから五十嵐先輩の家に向かう。



 Y字路を左に足を運ぶと、どんどん足が重くなる。前に進めば進むほど不安が押し寄せてくる。

 家に行けば会ってくれるのか?もし会えたとして何を話せばいい?どんな顔をしたらいい?

 怖い。会いたいのに体がそれを拒む。

 それでも家の前に着いてしまう。

 震える指で呼び鈴を押そうとするけど、だらんと腕が落ちる。

 上を向くと、五十嵐先輩の部屋が見える。カーテンが掛かっていて――


「ん?」

 目を凝らすと若干カーテンが動いたように見えた。


「……ふっ。五十嵐先輩また来ます!!」

 姿形は見えなかった。それでもいい。わたしは安心した。

 先生じゃないけど、朝と夕方に毎日来よう。メッセージも送りまくってやろう。





 次の日も。

「先行きますからねー!ちゃんと来るんですよー!」

 朝は五十嵐先輩の家へ。

 反応は無くても、きっとわたしの声は届いてるはず。


「洗ってやってんのに臭い落ちねえな!」

 ギャハハハハ


「おねぇちゃんまた池遊び?」

 家に帰ったら着替える。


「今日もお休みでしたねー!ずるいですよー!」

 着替えたらまた、五十嵐先輩の家に。



 次の次の日も

「五十嵐先輩!遅刻しますよ!待ってますからね!」

 朝は五十嵐先輩の家へ。

 まだまだ反応はない。ほんと、面倒くさい人だ。


「目には目を歯には歯をかぁ」

「くせぇのにはくせぇのをって事じゃん!」

 アハハハハハ


「おねぇちゃん?ほんとに池で遊んでるの?」

 家に帰ったら着替える。

 着替えたらまた、五十嵐先輩の家に。

「1人じゃ暇じゃないですかー?わたしも、休もうかなぁ、なんて……」




 そのまた次の日も

「五十嵐先輩!……先、行きます、ね……」

 朝は五十嵐先輩の家へ。

 少しだけでも、指先でもいいから、五十嵐先輩を見たい。


「ほら餌だぞ!食えよ!!」

「うわっ!きったねえ!」

 ギャハハハハ


「おねぇちゃん、もしかして、いじめられてるの?」

 家に帰ったら着替える。

 着替えたらまた、五十嵐先輩の家に。

「今、帰り、ました。……じゃあ……」



 次の日は、学校を休んだ。

 毎日欠かさずにメッセージは送るが返事はない。




 次の日は気合を入れた。負けちゃだめだ……


「……あ……」

 朝は五十嵐先輩の家へ。

 声をかける事も、顔を上に上げる事も出来なかった。

 気合を入れたはずなのに……。


「臭いから香水で誤魔化そうねー」

 アハハハハ



 家に帰り、玄関先で迎えてくれた妹は、ものすごい顔をしてた。

 そりゃそうだ。全身ずぶ濡れで靴も履かずに、ジュースをかけられ白い制服が変な色で汚れて、オマケに香水臭い姿で家に帰ってきたんだ。

 妹はすぐに走ってバスタオルを持ってきてくれた。

 出来た妹でお姉ちゃん嬉しいよ。

「だいじょうぶ?ほんとは何してるの?」

 小さい体が震えて、今にも泣きそうな顔で心配してくれる。

「うん、平気だから……」

「……お母さんに――」

「言わないで!!」

 つい怒鳴り声を上げてしまった。これじゃあ八つ当たりだ。

 わたしは謝ろうとした。

「ご、ごめ――」

 その小さな腕で、小さな体でわたしの頭をそっと抱き締めてくれた。

「わたしまだ、こどもだから、何もしてあげれないかもだけど……おねぇちゃんの事がんばって、笑わせるから」


 なんだそれ。笑わせるって。悩みを聞いてあげるとか、元気にさせるとかじゃないのか?妹よ。


 でも伝わったよ。そんな小さい体でも、少しだけお姉ちゃん救われたよ。

 本当に、出来た妹だ。


 わたしは小学生の妹に慰められて、みっともなく抱きついて、泣き叫んだ。

 それにつられて妹も泣きだす。わたしよりも豪快に。

 なんでお前が泣くんだよと、笑ってしまう。



「かっこ悪いお姉ちゃんでごめんね」

「ううん。かっこいいって知ってるよ。いつもはなまけ者で、だらしなくて、ちょっとバカで、めんどくさがりやで、えーと」

「まだあるの?てか、全然褒めてないじゃん」

「でも、かっこいいって事は知ってるの」

 その妹の笑顔は少し五十嵐先輩を思い出す。

 また目頭が熱くなるのを指で拭って、妹を抱き締める。

「ありがと」

「くさいからシャワーあびてね?」

「ふふっはぁい」




 また夜に五十嵐先輩へメッセージを送った。






【わたしは負けませんから】



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