第24話 甘すぎるココア

 次の日、五十嵐先輩は学校に来なかった。

 わたしの後ろには誰もいない。

 スマホでメッセージを送っても、返事どころか既読にすらならない。

 怪我をさせたから停学になってるのかもなんて考えたけど、そんな話は上がってない。ただの体調不良?なくはないけど、タイミングがちょっと余りにもおかしいから、その線は考えにくい。


「千秋……?」

 涼香が心配そうな顔で話しかけてくる。

 でもごめん今は別の事に頭を使える余裕はない。

「ごめん考え事。後でいい?」

「……うん」


 さくら先輩の時は、めげずに学校に来てたらしいし、今回もきっと来るはずだ。

 あの時とだから、五十嵐先輩は強いから、きっと大丈夫なはず。


 ブゥゥン


 あれがそう?

 そうそう!五十嵐のペット!

 うわぁ、実際にあるんだー




 家に行くべきだろうか?でも

【もうお前、いらねーよ】

 これは多分、本心じゃないよね?違うよね?

 だって、あんなにお泊り楽しかったのに……。

 だって、あんなに笑って、たのに……。


 ブゥゥン


 自分の席で考え事をしてると、後ろの席がガタッと音がして、誰かが座った。

 誰かがなんて、おかしい。わたしの後ろの席は、五十嵐先輩の席だ。

 勢いよく振り向いた。



「五十嵐せ、ん」

 誰だ?スカーフが緑色って事は2年生?

「ごめーん!ウチらさぁ五十嵐の友達なんだけどー」

 わたしはその言葉に疑念を抱いた。でもすぐにその疑念は消えて、頭が真っ白になる。コイツらの顔と態度、全てが気に入らない。

「――その席に座るなぁ!!!!」


 そいつの髪を掴んで、その席から引き剥がす。

 何が友達だ、ふざけんな。

 お前ら前に下駄箱で笑ってた奴らだろ?五十嵐先輩を笑って、今はバカにしにきて、何が友達だ。

 ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな


「いってえな!離せよ!!」

「いきなり何すんだよ!離せって言ってんだろ!!」

 取り巻きも加勢してきた、けどわたしは五十嵐先輩の席に少しでもコイツを近づけたくない。


「チッ!離せって言ってんだよ!!」

 高い音が教室に響くと静まり返る。

 頬を思いっきり叩かれたわたしは、冷静になるわけがなく、叩かれた場所と同じように、ジワジワと怒りが込み上げてきた。


「――んだよ……」

「はぁ?聞こえねえよ!?」

「退けって言ってんだよ!!」

 わたしは拳を振り上げた。叩かれた頬よりも、拳の方が痛い。

 もちろん多勢に無勢というやつだ。

 羽交い締めされ、叩かれ、殴られる。

 わたしはただ叫ぶ事しか出来なかった。

「ははは!こいつも獣じゃん!」

「五十嵐が喰う時もこんなんだったとか?」

「こわぁ!」


「何も知らない癖に!関係ない癖に!五十嵐先輩をおもちゃにしてそんなに楽しいのかよ!!」




「ばぁか、今お前がおもちゃなんだよ」

「おもちゃで遊ぶのは楽しい。当たり前じゃん?」




「――っ!!ぁ……っがああぁぁああ!!!!!」

「ははは!!吠えた吠えた!」

 許さない。許さない。さくら先輩の時もきっとこんな感じで……許さない許さない許さない


「お前ら!!昨日の今日でコレか!!」

 また誰かが先生を呼んだのだろう。

 でも関係ないし、わたしはコイツらを殴りたい、それだけ。

「浅野落ち着け!おい!」

 離せ、コイツらだけは


「浅野!」

 また教室に静寂が訪れた。

 先生に頬を叩かれた。けど今のは全然別の痛み。自然とわたしの感情が落ち着いていく。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「浅野、生徒指導に来い。お前らも来い!」


 先生に腕を引っ張られ、付いて行く。わたしの足取り重くて、無気力に足を前に出す。これは引きずられてるに近いだろう。





「で、どういう状況で何があったのか詳しく説明してもらうぞ」


 わたしは喋る気がしなかった。


「ウチらただ喋りかけただけでー、そしたらコイツがいきなり髪引っ張ってきてー」

「そうそう!獣みたいに!」

「あはは!ほんとそれー!」

「笑うな!!必要ない発言はしなくていい。浅野、本当か?」


 面倒くさい。もうなんでもいいよ。


 コクン


「はぁ。先に手を出したのが浅野で、それをお前らがやり返したと?」


「そうでーす」

「正当防衛ってやつでーす」

「ちょっと五十嵐の事を気にかけてて?仲がいいらしいから何か知らないかなって聞いただけなのにねー?」

「ウチら友達おもーい!」


 アハハハハ


「喋るなと言ってるだろう……理由はどうあれ喧嘩両成敗だ。処罰はすぐには出ないが何かしらあると思え。とりあえず戻っていいぞ。また話を聞かせてもらうからな」


 だるそうに返事をしてコイツらは部屋から出て行こうとした時、わたしに耳打ちをしてきた。


「ワンワン」


「――!っううああぁぁぁああ!!」


「浅野!!」

 また先生に止められる。なんでわたしなの?止めるのはアイツらの方でしょ!?

 なんでわたし達だけ……。


「やだー噛まれちゃう!」

「早く行け!浅野も落ち着け!!」


 目の前からアイツらが消える。それでもドアの先から笑い声だけが聞こえた。



「浅野、お前はここで少し待ってろ」

 そう言って先生はわたしを残して、どこかへ行ってしまった。

 椅子に座ると、どっと疲れが出る。体中が痛い、口の中も切れてて血の味がする。

 本当に疲れた……。


『千秋ー』

『千秋?』

『ち、あ、きー!』


 甘い匂い。五十嵐先輩?

 目を開けると、甘い匂いの正体はすぐそこにあった。


「起きたか?少し冷めてしまったが、飲め」

 目の前に置かれたコップを手に取って口に運ぶ。

 口の中が染みて痛い。でもすごく


「……甘い」

「私のココアは甘くて有名だ。他の先生も敬遠するくらいにな」

 ふふっと笑う先生もココアを一口飲む。

 相当好きなのか、あんなに勇ましかった先生の顔が子供のように、柔らかくなって行く。

 わたしもそれを見て少し笑ってしまう。

「14時……先生、授業は?」

 ふと時計に目をやると、授業の真っ最中だ。


「サボりだ。なぁに気にするな。ちゃんと自習しておけと言ってあるし、もし騒いだら町内会のボランティアに強制参加させると脅したさ」

「ふふ、いいんですか?先生なのに」

「お前も共犯だぞ。クラスメイトを信じるんだな」

「ええー」


 わたし達は少しだけ笑い合う。



 ゆっくりとココアを半分くらい飲んでから、先生が質問をしてくる。


「浅野。本当にお前から手を出したのか?」

 まぁその事を聞いてくるよね。それ以外何があるっていうんだか。


「はい。わたしが髪を掴み、叩かれたから殴り返しました」

「それで羽交い絞めにされて一方的にやられたと?」

「そうですね。まぁ先生が言うように喧嘩両成敗って奴ですかね?」


「分かった。それで事の発端は聞かせてもらえるか?ある程度予測はつくが、お前の口から直接聞きたい」


 先生の目は真っ直ぐで、全部分かってるぞ。といった感じだった。

 だからわたしは話した。

 友達を、五十嵐先輩を馬鹿にされて怒った、と。

 説明というより、愚痴だったかもしれない。

 話す度に感情が上がったり、下がったり、泣いたり、怒ったり。それでも先生は黙って聞いてくれる。


「浅野、話してくれてありがとう。お前はまだまだ子供だ。担任とはいえ、こんな他人に話すのには勇気がいるだろう。浅野は強いな?」


 先生が頭を優しく撫でてくれる。

 わたしは涙を流すのをぐっと堪える。


「正直に言う。生徒間でのいざこざは教師の目に入らないと、私達は簡単に動けない。口で言われても真偽を明確にするのが難しいからだ。私は浅野の事を信じている。だが、1人を贔屓するのも教師として失格だ。平等に見なくてはならない。他の先生達も同じ考えだろう。もし誰も見てない所で何かが起きても、報告してくれれば一時的に収まるかもしれない、だが根本的な解決は難しいと思う。……浅野」


 わたしの名前を呼ぶと、急に先生が席を立つ。

「先生?」


「すまない。無力な私達、教員を許してくれ」

 深く頭を下げる先生にわたしは呆気に取られてしまう。


「……」


 いつまでも頭を下げ続ける先生。


「……そんな!先生が謝る事なんてないですよ!座ってください!」

「許してくれるのか?」

「許すも何も、わたし達が勝手に喧嘩してるだけで、関係ないというか、迷惑かけてごめんなさい」


「……関係ない、か」

「え?」

「いやなんでもない」


 先生は座って飲み干したであろうココアをまた口に運んだ。

 先生の言ってる事は多分だけど、理解してるつもりだ。

 ニュースでたまに見る。

 何故虐めが起きて、何故解決しないのか。

 それが理由で自殺してる人だっているのに。

 証拠がなければ罰せられないし、証拠があって罰せられたとしても、また次が始まるだけ。

 時間がかかる問題なのは分かる。

 教師も絶対的な力がある訳じゃないし、PTAとか親とか色々な圧がかかってて、動きたくても動けないんだろう。だから無力だと言っているのかも。


「先生わたしも聞いてもいいですか?」

「……言ってみろ」


「去年にも同じような事が起きましたよね?さくら先輩と五十嵐先輩の」

「……五十嵐から聞いたのか?」

 わたしは頷く。もしかしたら知らない事があるのかもしれない。

 先生が話してくれるのを待つ。



「端的に言うが、今回はお前も思っているだろうが、同じと言えば同じだし、同じじゃないと言えば同じじゃない」

「……なぞなぞですか?」

「ふっ」

 先生は鼻で笑うけど、わたしには全然分からない。

「今回はお前が五十嵐を救ってやれ。もちろん私が出来る事ならば協力する。私達が踏み込めない場所は、お前しか行けないんだ」



 わたしにしか行けない場所。

 やっぱりなぞなぞだ。どうすればいいのかも分からないのに、救うってどうやって?


「そろそろ仕事に戻るとするか。浅野お前はこのまま帰れ」

「でも鞄が」

「1日くらい問題ないだろう」

「分かりました」


 わたしは先生に頭を下げて、生徒指導室から出ようとする。


「浅野。お前は諦めるなよ」


 その言葉はよく分からなかった。でも最後の先生の顔は心配とか不安とかしてなくて、ただ確信しているように自信に満ちた顔だった。


 私は分からない事だらけで学校を出て行く。















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