第23話 その手はなんのために

 今日は五十嵐先輩の家から一緒に登校して、お泊りがまだまだ続いてる、そんな気持ちになれた。

 学校に着くといつも通りの日常で、お泊りは終わったのだと実感する。わたしの宙に浮かぶようにふわふわした気持ちは一瞬で地に落ちた。

 それでも五十嵐先輩との距離は近い。席が前後ろなのだから。本当に良かったとシミジミ思う。


 そんないつも通りの日常はそうそう変わらないであろうと思っていた、でも今日は少しだけザワザワと胸騒ぎを感じた。

 授業と授業の間のたった15分間の中休み。

 ぽつぽつと2年生3年生が廊下にいる。少し視界に入るだけで全然気にしなかった。

 でもそれは時間が経つにつれ、3~4人だったのが8~9人。

 次第に人は増え、さすがのわたしも気にし始めた。チラチラとクラスの中を見ては笑う。

 お昼休みには15人程だろうか?クラスメイト達も不思議そうにしてコソコソと話していた。


「なんでしょうね?アレ」

「……さぁ」


 そりゃそうだ。五十嵐先輩に尋ねても分かるわけがない。



「あのー誰かに御用でしょうか?」

 廊下に近い子が気になりすぎてか、廊下にいる先輩達に話かけた。


 いやー別に

 なんでもないよ

 気にしないで


 そんな返事が聞こえた。

 適当な返事をする有象無象の奥から1人、堂々と答えた。


「私はあるわ。1年に聞きたい事があるから退いてもらえる?」

 クラスメイトは「は、はい」と弱弱しく答えると、その人はズカズカとわたし達の教室に入ってきた。


「……リリー」

「1年、【先輩】を忘れてるわよ?まぁ正直に私の質問に答えたら許してあげる」


 リリー先輩はわたしを見下ろしていた。でもすぐに視線は五十嵐先輩の方へ向けられる。

「私朝見たのよ。あなたが五十嵐さんの家から出てきた所を、ね?」


 その言葉で廊下の先輩達が大騒ぎする。

 歓声とは違って、罵倒とも違う。でもどこかバカにしてるように笑っている先輩達。

 わたしは少し頭にきて、勢いよく立ち上がってしまう。

 わたしの行動と同調するようにまた廊下が騒がしくなる。

「……友達なら別に泊まりなんて珍しくないですよね?」

「バ、バカ!」

 五十嵐先輩は私の裾を引っ張ると、廊下がまた騒ぎ出す。

「認めるって事ね?」

「はい。別に普通ですから」

 わたしは理解した。コイツらはまた五十嵐先輩をおもちゃにしようとしてるんだと。


「ふーん。普通ねぇ?」

 ジロジロと舐め回すように人を見てくる。

 やましい事は、したけど、それは2人だけの秘密だし、何を聞かれても嘘で押し通せばいい。

 どうせ分かりっ、こ……


 わたしは右手で咄嗟に首を隠そうとした。けどその手をリリー先輩に掴まれた。


「普通にお泊りして、こんな所に歯形がつくのかしら?」


 リリー先輩がそのセリフを口にした時、一瞬だけど、恐ろしいくらいに静寂した。

 空気が凍ったようなそんな静けさ。次第に廊下からザワザワと騒ぎ出す。

 あんなに大声で騒いでいたのに、今はバカにしてるとか、そういう雰囲気は一切ない。


「これは……家で飼っ――」

「犬猫なんて言わないよね?こんなバレバレな歯形つけて」

 何も言い返せない。

 カンガエロ。

 これはわたしの失態だ。 ダイジョウブ どうすればいいのか ワカラナイ 考えなきゃ、こんな事にならないようにって ドウスレバ 諦めようとしてたのに、わたしの意思が弱いから、 クルシイ わたしのせいで イキガ 五十嵐先輩に……。


 ドウシヨウ



 わたしは、五十嵐先輩に視線を向けてしまう。

 その顔は優しく微笑んでいるようで、どこか悲しそうで儚げだった。



「あははは!!バレちゃあーしょうがねえな!」

 先、輩?

 おかしい、声が出ない。

「どうやら五十嵐さんから白状したみたいね」

 リリー先輩がわたしの手を離すと、もうわたしは蚊帳の外に追いやられた気がした。

「おぉリリー、お前の考えてる通りだぜ?コイツを家に呼んで、ガブゥ!、食っちまったさ!」

 五十嵐先輩は獣の動きを真似して、おちゃらけていた。

「へぇー?まぁ歯形があるから嘘ではないでしょうね」

「嘘?……私は嘘なんかついた事ねえよ」

「だから、嘘ではないって言ってるでしょ?」

 違う。五十嵐先輩はその事を言ってるんじゃない。

 あの時から嘘をついてないって言ってるんだ。


「まぁバレたし?もういいかー。ほら見ろよ、可愛いだろコイツ?ちょぉっと優しくしたら犬みたいに尻尾振ってさ、家呼ぶまで時間掛ったんだぜ?そんで昨日ようやくお楽しみって時に暴れられて大変だったんだよ。んでつい興奮しちまって噛んじまった!」

「……」

 なんで……そんな

「リリーお前も食ってほしいのか?だからちょっかい出してきてんだろ?可愛いとこあんじゃん?」

 五十嵐先輩はリリー先輩の手を取って、指を噛んだ。

「――ッ!」

 痛そうに歪む顔。リリー先輩はすぐに手を払い除けると、ポタポタと赤い液体が落ちる。

「わりぃ。ちょっと犬歯が鋭くてな?」

 五十嵐先輩は指で口を引っ張って嗤いながら自慢げに見せる。


「五十嵐先輩!」

 ようやく声を出せた。

 わたしが弱くて、どうすればいいのか分からなくて、多分、ううん。きっとすごい困った顔で五十嵐先輩を見てしまったのが一番の失態だ。

 だから五十嵐先輩はこんな、こんなくだらない嘘でわたしを庇ってくれた。

 周りの事なんてどうでもよかった。どんな風に思われてもいい、どんなに指を指されてもいい、でもこの人だけは悲しませたくない。こんな笑顔はわたしは見たくない。

 その手を掴んで抱き締めようとした。

 けどその手はわたしの手から逃げるように

「離せよ。もうお前、いらねーよ」


「せん、――」

「お前ら昼休みだからって騒ぎすぎだぞ!!」

 騒ぎを聞きつけて来たのか、先生が廊下の先輩達を散らせる。

「リリー!お前は――!……怪我してるのか?保健室にいけ。……五十嵐、やったのはお前か?」

 動け 動け 動け なんでもいい。五十嵐先輩の事だけを第一に考えろ。


「先生!ちがっ――」

「そうだ!全部私が悪い!全部!全部っ!!廊下の奴らも!!リリーの怪我も!!ぜぇぇぇぇぇえええんぶ!!!!…………私が、悪いんだ」

「……リリーは早く保健室行け。五十嵐、お前は生徒指導に来い。お前らは散れと言ってるだろ!!」


 なんで?こんな事になったの?さっきまでいつもの日常だったのに。

 あぁ、わたしのせいか……。


 先生の後を付いて行く五十嵐先輩。

 左手がわたしの前を通り過ぎる。きっとこれが最後かもしれない。わたしはそんな気がした。その手を掴もうと、する、けど……わたしから手を引っ込めてしまった。




 わたしにその手を掴む資格はあるの?






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