35 エリクサー

「急患です!!」


 モズに店のドアを明けてもらって駆け込み、腹の底から声を出して叫ぶ。背負ったラガルティハの翼の先が、入り口に設置してある商品籠の乗った小テーブルにぶつかって派手な音を立てた。商品籠は落ちる前にモズが押さえたので無事だった。


 乱暴な入場と切羽詰まった私の声に驚いたらしい店番中だったルイちゃんは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして数秒固まったが、私が背負っているラガルティハの姿を認識すると、血相を変えて季節限定ハンドクリームのラッピング作業を放って駆け寄ってきた。


「トワさん、その人……!?」

「説明は後! 取り急ぎ現状、呼吸はあるけど意識が無い! 低体温症でヤバい! 翼の部分がなんかヤバそう!」

「……! と、とりあえず奥の作業室に!」

「分かった!」


 ルイちゃんの指示に従い、普段私はあまり立ち入らない作業室に入る。

 室内は壁沿いに設置されている大きな棚によって窮屈な雰囲気になっているが、多分六畳くらいの広さはあるだろう。棚には所狭しと薬の原料や資料らしき本が並べられ、恐らく引き出し部分にも原料や機材が入っているのだろう事が予想できる。

 窓際の長テーブルには、化学の実験で使いそうなフラスコを設置している何かの装置や、蒸留装置のようなものが所狭しと置かれていて、その横には小型の魔石式冷蔵庫や、小さめのコンロや流しもある。

 そして部屋の隅にはあまり使われていないらしい古びた長椅子が置かれている。使われて無さそう、と感じたのは、その長椅子にこれまたよくわからない機材が二つ、置物のように置かれていたからだ。


 ルイちゃんはその長椅子の上に置いてあった機材を床に置き、ズリズリと部屋の中央に長椅子を引きずって移動させたので、モズの手を借りて、少しでも体を温めるためにラガルティハに羽織らせていたコートを取っ払って、うつ伏せに寝かせた。


 痩せすぎ故に180cmオーバーにしては体重は軽いとはいえ、体格差のある、しかも意識の無い成人男性を背負っての下山はアラサー女にはしんどかった。刻印というバフがあったからここまで運んで来られたものの、体力的には赤ゲージである。


 私が息を整えつつ暖炉に火をくべている間に、ルイちゃんは診察を行う。その最中、険しい顔でぼそりと呟いたのが聞こえた。


「酷い、翼の大部分が壊死してる……!」


 その言葉に、嫌な想像が瞬間的に加速する。

 医学知識は小説で読んだ程度のものしかないが、確か皮膚の壊死での死亡率は約30%だった気がする。

 三割。低いようだが、実際案外当たってしまう数値だ。


「大丈夫だよね、助かるよね!?」

「……」

「る、ルイちゃん……?」


 返答が返ってこなくて、ますます不安になる。

 ややあって、ルイちゃんは口を開いた。


「今すぐ翼を切除しないと命の危険がある、けど……うちには専門の設備は無いし、設備の在る騎士団に助けを求めるにしても、一刻を争うこの状態だと持つかどうか……。それに、もし切除したとしても、確実に助けられるかと言われたら……」


 助からない可能性の方が高いです、と小さな声で告げられた。


 よくある「頭を殴られたような感覚がした」とか、「一瞬で絶望にたたき落とされた」というような精神的ショックは受けなかった、と思う。正直言って、私も薄々感じていた事だからだ。

 だけどその代わりに、血の気が引いた感覚がした。


 私はラガルティハを一方的に知っているだけで、実際に会ったのはこれが初めてだし、ゲーム本編と違って、現段階でルイちゃんとラガルティハに面識がある訳でも無い。

 本当に、ただの赤の他人なのだ。だから、何が何でも助けなければいけない、と主張するのもおかしな話である。

 それにラガルティハは、現状ゲーム内でメインキャラに抜擢されたのは半周年恒例の探偵パロディイベントのストーリーくらいで、本編ではちょい役くらいにしか登場していない。

 最悪、本編だけを考えるなら、見捨てたって構わない。何ならここでルイちゃん達と会うなんて展開は存在していないので、見捨てて無かったことにする選択肢を取った方が良いまである。


 だけど、それでも。


「出来る限りのことはやって! こいつは、ラガルティハは、生きていなきゃいけない存在なんだ!」


 考えるより先に、私はそう叫んでいた。

 推しだからとか、人道的に見捨てられないとか、後々戦力になるとか、きっと後で後悔するとか、そんな小難しいことは一切頭に無かった。


 ただ、死なせたくない。それだけしか考えていなかった。


「……うん、わかった。私も全力を尽くすから、絶対にこの人を助けましょう!」


 私の言葉に、ルイちゃんの腹も決まったらしい。真剣な顔でそう言ってくれた。


「おい、雀の。こいつ目覚ましったぞ」


 そんなモズの報告に、私とルイちゃんは弾かれたようにラガルティハに駆け寄った。うっすらと目を開けているが、今にも意識を失いそうだ。眉間に皺を寄せて、苦痛に顔を少し歪ませているが、声を上げて苦しむ体力も無さそうだった。


「大丈夫ですか、私の言葉がわかりますか?」


 ルイちゃんが声をかけると、ワンテンポ遅れて蚊の鳴くような掠れた声で呻く。

 顔を上げる気力も無いラガルティハに、自身の顔が見えるように屈んで覗き込み、もう一度声をかけた。


「少しだけ頑張れますか? 頑張れるなら、絶対に、あなたを助けます」


 ラガルティハは焦点の合わないぼんやりとルイちゃんを見ていたが、ややあって、ちゃんと理解しているのかよく分からない顔のまま頷く。ルイちゃんが優しく頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細めて、そのまま再び気を失ってしまった。


 そのままルイちゃんは、念のために麻酔薬を嗅がせて翼切除の準備に入る。

 私は鋏でラガルティハの着ているボロ服を切って、翼の付け根辺りを消毒する。消毒しながら、私の腕くらいの太さがある上翼腕部をどうやって切り落とすんだと考えていると、唐突にモズが刀を抜いて私の隣に立った。


「翼を切りゃあえいんじゃろ?」

「待って待って待って刀で斬り落とすつもりじゃ無いだろうね!? せめてちゃんと殺菌消毒してからじゃないと二次感染の危険性が――」


 慌てて制止しようとしたら、モズは無言でコンロの火を付けて最大火力にすると、そこに何の躊躇も無く刀の刃をかざして刀身を焼いた。


「これならえいじゃろ」

「いやまあ、うん、火炎殺菌も方法の一つだけど! 焼き戻しとかで切れ味、はモズならまあ大丈夫だと思うけどさぁ!」

「時間も無か。やるぜよ」


 モズの冷静な視線に言葉が詰まる。

 確かに、この場で出来る限り時間をかけず翼を斬り落とす方法があるとすれば、モズに斬ってもらうのが一番手っ取り早くて確実だ。


 だが、そんな乱暴な方法で大丈夫なのかと不安になるのも事実。

 ルイちゃんに意見を求めたくて視線を向ける。

数秒考える素振りを見せた後、ルイちゃんは静かに頷いた。


 GOサインが出た。ならば、素人の私はそれに従うまでだ。


「……わかった」


 捻れた前翼腕部を持ち上げる。腐って膿み、やけに熱を持った肉がぶちゅりと潰れて、背筋が震えるような不快な感触がした。

 ルイちゃんは根元を紐できつく結び、数歩下がって巻き添えを食わない位置に待機する。


 止血剤やガーゼ等の処置に必要なものは準備し終えた。後は、この翼を斬り落とすだけだ。


 ゲーム本編だと、ラガルティハの翼はある。奇形で飛べない翼は彼のコンプレックスの一つで、それが特徴の一つでもあった。

 これは原作改変だ。もしかしたら別に翼も無事に助かる方法があって、その結果本編に繋がるのかもしれない。

 だけど、私達が彼を助けるには、こうするしかない。


 覚悟を決めて、私はモズに言った。


「やってくれ」


 数拍おいて、モズが刀を振るう。根元から五センチ程度を残して、熱したナイフでバターを切るかのようにアッサリと翼は斬り落とされた。

 あまりのあっけなさに、私は数秒程、何が起こったのか分からなくて固まってしまった。

 しかしルイちゃんは冷静に、そして迅速に止血用ポーションを傷口にかけて、すぐにガーゼで押さえて圧迫止血を試みる。私も慌てて切り離された翼を放り投げて、片方の止血を請け負った。


 白かったガーゼはあっという間に赤黒い色に染まり、じわりと掌に湿り気が伝わる。血色の染みが広がっていくにつれて焦燥感がどんどん強まって、恐怖心で脳内が満たされていく。


 怖くなって思わずルイちゃんを見てしまう。声には出せなかったが、きっと別視点から自分のことを見ていたら、「大丈夫だよね、助かるよね?」と視線で問いかけていたのが一目で分かってしまっていただろう。そのくらい、私は動揺していた。

 だが、それはルイちゃんには伝わらなかった。というより、気付かなかった。彼女も止血に必死で、こちらを気にする余裕なんて一切無かったからだ。


「だめ、血が止まらない……!」

「騎士団から治療呪文を使える者を呼んで来た方が良い!?」

「絶対に駄目! この状態だと、逆に体に負担がかかって死んじゃう! 強いポーションも使えない!」

「じゃ、じゃあ即効タイプの増血剤で何とかならん!?」

「出血が増えてむしろ危険な状態になっちゃう!」

「ど、どどど、どうすんの、どうすんのこれ!? どうしたらいい!? 体に負担がかからなくて効き目の良いポーションとか無いんか!? エリクサー的なやつ!」


 そんな都合の良い物はあるわけが無いと分かっているのに、ついそう叫んでしまった。

 だが、ルイちゃんはそんな私の言葉に、はっと何かを思い出したように目を見開いた。


「トワさんは傷口押さえてて!」

「へっ!? る、ルイちゃん!?」


 ルイちゃんは一言私にそう言うと、止血をほっぽって作業机に向かった。

 慌ててルイちゃんが止血していた方の傷口も押さえたが、彼女は一体何をしようというのか。


 古ぼけた紙束を作業机の引き出しから引っ張り出して、一番最後の紙を見て、棚から材料をいくつか持ってきた。そしてもう一度紙を見て、恐らくそこに書かれているのだろう手順通りに何かを作り始めた。


「雪中花の根、ウミガメの骨、春シキヨウを火にかけて……海の猫の髭三本……」


 心の中で「早くしてくれ」と叫ぶ。

 急かしたってルイちゃんを焦らせるだけだと分かっているから口にはしないが、それでも、作っているものが完成するまでの時間は、もどかしくて仕方が無かった。左程時間はかかっていないはずなのに、何時間も待たされている気分だった。


 ガーゼが余す所なく血色に染まってぐしょぐしょになって、もう助からないんじゃ無いか、と思った時だ。

 ルイちゃんは一度こちらに駆け寄ってきて、何故かラガルティハの血を採取し、すぐに作業机に戻る。

「甚兵衛雲の鱗が青になったら、竜の血潮をひとしずく――」


 そしてその血を、フラスコの中に落とす。

 瞬間、ポンッと軽い音が鳴って、フラスコから白い煙が上がる。中に入っていた半透明の薄青い液体があっという間に透明感のある白銀色の液体に変わり、液体の中で踊っていた青い欠片が崩れ、金色の粒子になってキラキラと液体内を舞った。

 こんな時だというのに、思わず目を引く美しい液体に、言葉を失ってしまった。


「で、きた……?」


 そして、それを作った張本人であるルイちゃんも、驚いた様子でフラスコを見つめていた。


 そういえば、と思い出す。

 少し前、今は製法が失われてしまったとされる、エリクサーの存在を聞いた。父親のレシピブックに製法が書かれていたものの、レシピ通りに作っても出来なかったとルイちゃん本人が語っていた。

 前に作った時と、今回作った物で違う点があるとすれば、「竜の血」の部分で、ドラゴンの血を使ったか、千年竜と関係のある竜人の血で使ったかだ。


 もし出来上がったこれが本当にエリクサーだとしたら、魂そのものから癒やし、体に負担をかけずとも驚異的な治癒力を発揮するはずだ。


 希望が見えたと思った、その時だった。


「なあ、そいつ息しちょらんぞ」

「エッ!?」


 モズの報告に、裏返った声で叫んでしまった。


「心の臓も止まっちょる」

「嘘ォ!?」


 首筋にに手を当てて脈を測る。何も感じない。

 口元に血で濡れた手を近づける。何も感じない。

 モズの言う通り、呼吸も脈も止まっていた。


「本当だー!? やばいやばいやばいやばい!! どうしようどうしよう……!」

「トワさん退いて!」


 言われるままに飛び退く。混乱した頭では、ルイちゃんの行動を黙って見ている事しか出来なかった。


 金が煌めく透明な白銀を傷口にかけると、そこからあっという間に傷口が盛り上がり、新たな皮膚が作られて、綺麗に塞がった。翼を再生させる程の治癒力は無かったが、それでも、これ以上の出血は無いだろう。


「お、おお……! すごい、これで助かるよね!?」

「ううん、まだ脈拍も呼吸も戻ってない……!」


 ポーションの類いは傷口に直接塗布する、または粘膜摂取が基本だ。最近ようやく外科知識が発展してきた時代なので、体内に直接注射するという方法も出てきている。

 とはいえ、この時代では高性能な注射器なんてまだ開発されておらず、魔物蜂等の針付きの毒袋が代用品となっている。

 傷口が塞がってしまった今、エリクサーを摂取させるためには粘膜摂取か、体内に注入するしか方法が無い。

 だが意識が無い状態で粘膜摂取をさせるのは難しい上、魔物蜂の針付き毒袋は冬で在庫が少なく、そもそもうちは外科手術の備品を取り扱っているわけではない。あくまで薬屋だ。


「しっ、心臓マッサージ! それと人工呼吸を――」


 そう言いかけた瞬間。

 ルイちゃんは唐突にフラスコの中身をぐいっと煽り、ラガルティハの体を起こす。


 そして顔を近づけ――キスをした。


「ホァッ!? はわ……!? エッ? エッ!?」


 最初の数秒程は、何が起こっているのか分からなかった。


 推しと、推しが、キスをしている。

 冷静に考えれば、口移しで咥内粘膜からの摂取をさせたのだろうとは思う。


 だが、この二人の組み合わせは、私の推しカプである。

 推しカプの受けが、攻めの命を助けるために、口付けを行う。


 こんな胸熱シーン、嫌いな人おらんやろ! 何万回でも煎じたい程大好きだが!?


 この非常事態だというのに、突然の現実こうしきのラガルイ供給に脳がパンクしてしまい、奇声を上げながらラガルイの濃厚なキス、もとい口移しをする見ている事しかできなかった。


 二度目の口移しで明らかにラガルティハの顔色は良くなり、三回目の口移しで、ラガルティハの指先がピクリと動いた。

 そして少し目元に力が入り、ゆっくりと、その瞼を開いた。


「……っ、ぁ……」

「……! 目を覚ましましたか!?」


 ルイちゃんの呼びかけに、ラガルティハはぼんやりとした表情のまま、呻くような声で返事を返す。目覚めたばかりの時はまだ焦点が合っていなかったが、十数秒もすれば目に光が宿り、しっかりとルイちゃんの姿をその瞳に映した。


「良かった……もう大丈夫ですからね」


 そう微笑んで囁くルイちゃんと、彼女に見とれているようにしか見えないラガルティハの光景は、どんな聖母の絵画より美しかった。

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