34 狩りの成果は遭難者
タァーンッ、と軽い銃声が木々の隙間に木霊する。
真っ白な雪が音を吸い、遠くまでは響かないが、近くに居たらしい鳥が数羽、慌てて飛び去って行った。
わずかに煙を上げる銃口をそのままに、私は問う。
「当たった?」
「おん。脳天のちょい右に当たっちょる」
隣で獲物である鹿の位置を教えてくれていたモズが答える。
望遠鏡を使うどころか裸眼だが、彼は獲物の位置を完璧に把握している。私は一切見えていないが、彼の異常な視力や索敵能力を頼りに、不可視の目標を狙撃したのだ。
彼は
初めこそ護衛代わりにと思っていたが、私が銃を持つようになった後、狙いを定めている間にちょくちょく「ねえちゃん、そいじゃ当たらん」と口を出すようになり、試しに彼の言う通りに狙いを定めると、驚く程に当たるようになったのだ。何なら目を瞑ってでも当たる。
望遠鏡なんか一切使わない裸眼だというのに、千里眼でも持っているのかと思う程に、彼の誘導は完璧なのだ。
今やモズは、狙撃手としてスキルを磨く私にとって、なくてはならない相棒へとなっていた。
「殺った?」
「んー……まだ死んどらん」
「もう一発必要?」
「要らん。あいなら追い着く頃にゃあ死んどるけん、行こ」
「オッケーオッケー、じゃあ回収しよう。いやー、薬草取りの予定が嬉しい誤算だ!」
構えていた銃を下ろし、立ち上がって背伸びをする。長時間同じ体勢でしゃがんでいたせいで身体中が凝り固まってしまったし、この極寒の中に居たので全身が凍りついてしまったように冷たくなっていた。
ちらりと見ると、モズはいつもの感情を感じない無表情だったが、ようやく健康的に肉が付いてきた子供特有のふっくらした頬が、寒さから赤くなっていた。
これだけ良い目を持っているならモズ本人に銃を持たせればいいかもしれないと思ったが、本人の性に合わないらしく、「切った方が早い」との事だった。
だが正直、その方がありがたかった。
何せ私の肝っ玉が小さく、ジュリアに剣を教わったものの、素振りまではかなり褒められていたのに、手合わせになった瞬間腰が引けてしまって、何回も「踏み込みが浅い」「思い切りが足りない」と言われてしまい、最終的に「筋は良いのに精神的に向いていない」との判断が下されてしまった。
今は接近戦に関しては護身術程度に教わっていて、メインは弓兵部隊の方々に狙撃や早撃ちを習っている状態だ。
だから、基本的にはやられる前にやり、バレたら逃走。逃げ切れなかったら前衛でモズが相手を引き付け、私が後衛から狙撃や援護をするという形がマストな戦闘スタイルになる。
需要と供給が噛み合っているのだ。
この世界の歴史を原作再現する場合、私は主人公一行と離れて単独行動をしなければならない可能性が高い。後衛一人旅というのは非常に危険だ。
しかしモズは隷属の刻印によって、私から一定以上は離れる事が出来ない。更に、彼自ら前衛を買って出てくれている。
子供を戦いに巻き込むことはしたくないというのが本音だが、本人が好き好んでやっている事だし、戦闘において信頼の出来る前衛が着いてきてくれるのは心強い。
慣れないかんじきを使っているので、ゆっくりと歩を進める。獲物の場所まではやや遠く、到着するまで無言で居るのも居心地が悪いと感じたので、何となくモズに話しかけた。
「ルイちゃんお手製ローストミート、美味しいんだよなぁ。ジュリアんとこのシェフさんに教わっただけあるよねぇ。あ、でもこう寒いと、シチューも良いな。モズは何が良い? 本当は熟成させた方が美味しいけど、折角だし今晩のメニューに追加してもらおうよ」
「ねえちゃんが食いたいもんがいい」
「まーたそう言って……」
モズの存在に問題点があるとすれば、真っ先に挙げられるのは、この自己主張の無さだ。
いや、特定の事、要するに私に関する事となれば、ヤンデレよろしく好き好き大好きと突進してくるが、それ以外の感情の機微が非常に鈍い。
見ようによっては素直で聞き分けの良い子と言えるが、もっと子供らしい我が儘とか、そういう情緒を育んで欲しいと大人としては思うところである。
途中まではモズの淡々とした案内に従いつつ話題を振って沈黙を回避し、血痕を見つけた後は雑談を止めて、念のため用心しつつそれを追う。
血痕から少し離れた所に、倒れた鹿が居た。見事な角を持っているが、少し毛艶の悪い牡鹿だった。
上り坂で私達が来た方向からは尻と背中しか見えなかったので分かりづらかったが、頭部周辺の雪は赤く染まっていて、少しだけ背筋に悪寒が走った。
「まだ生きちょる」
「マ? モズ、危ないからあんまり近づかないでね。手負いの獣程危ない生き物は居ないんだから」
「おん」
使わないと思っていて肩にかけていた銃を改めて構え直し、距離を取りながらゆっくりと鹿の正面へと移動する。
モズの言う通り、よく見るとまだわずかに腹が上下に動いている。
魔力弾の射程距離ギリギリだったせいで威力が弱まってしまったのか、それとも運悪く致命傷に至らなかっただけなのか。どちらにせよ、仕留め損ねたのは事実だ。
鹿は眠っている動物が走り回っている夢を見ている時のように、ビクビクと足を揺り動かす。その様子は弱々しく、このまま少し放っておけばすぐに死ぬだろうことは明白だった。
だというのに、白目を剥いてぎろりと私を睨むその目は、今にも私を射殺さんばかりの殺意と気迫と、生命力を感じた。
深呼吸を一つ、二つ。
覚悟を決めて、震える手で引き金に指をかけ、半分雪に埋まった顔、その眉間に照準を合わせた。
「苦しませてごめんよ」
引き金を引く。タァンッ、と銃声にしては軽い音と反動だけを感じた。
鹿が完全に動かなくなって数秒。モズが「死んだ」と無感情に呟いた。
私は銃をまた肩にかけてから鹿に近づいて、頭の付近で膝を着き、両手を合わせる。
モズも、何をやっているのかよく分からない様子だったが、立ったまま同じ様に両手を合わせた。
「ねえちゃん、これいっつもやってるけんど、何の意味があるん?」
「成仏して下さい、ってお祈りしてるんだよ」
「じょうぶつ」
「あー……こっちの信仰的な表現をするなら、鹿さんが命の巡りに戻れますように、ってお祈りしたの」
「そうお祈りすっと、そうなるん?」
「さあ? こういう宗教とか信仰ってモンは、要は気の持ちようから生まれるものだからね。そうなってくれればいいな、程度に考えときゃ良いんだよ。特にこういう魂の在り処に関する事柄なんて、観測出来ない時点で『こうだといいな』って考えるしかないんだからさ」
「……ねえちゃんの言うことは難しくてようわからんち」
「要は『こうだったらいいな』『こうなってほしいな』って強く願う事を『信仰』って言うんだよ。私は鹿に成仏……命の巡りというものが存在するなら、そこに戻って欲しいなって思ってて、そうあって欲しいと祈った。それだけのことだよ」
「ほぉん」
何か納得した様子のモズは、今度は私の真似ではなく、真面目に何かを祈るように目を瞑って黙祷する。
「何を考えてお祈りしたの?」
「ねえちゃんが美味しいって思える肉じゃとええな、って」
「ぶはっ」
何とも子供らしいお祈りに、つい吹き出してしまった。
黙祷を終えた後に、疑似アイテムボックスこと、私のレンタル権能である【固定】と【分離】の力で状態を保持したまま世界の狭間なる場所に鹿を格納した。
山から下りたら【複製】で取り出して、ギルドに持ち込んで解体してもらうつもりだ。
解体してもらった後は、こっそり【記録】しておいて、【複製】と【固定】で増やしても良いかもしれない。
【記録】は情報のみをコピーする力であり、それ単品では力は発揮しない。実体化する能力である【複製】と併用してこその権能であり、使い処は難しい。
だが、意外と使える能力でもある。私が苦手とするスペルの代わりに使っている刻印を【記録】しておけば、その刻印を思い浮かべて
一々刻印をメモした紙を【複製】で取り出して、そこから刻印だけを【分離】して対象に【固定】を行う、という一連の流れを簡略化出来るのだ。原本となる刻印メモをせっせと増やす作業や、後で残った大量のメモ用紙を【消去】する手間も省ける。
これに気付いてからは戦闘に刻印を使うのが大分楽になった。
【記録】にしろ【分離】にしろ、脳内でデータがフォルダ分けされているような感覚があるのだが、慣れるのに時間がかかったものの、一度慣れてしまえば結構便利なものである。
ルイちゃんから頼まれていた薬草も既に発見しているし、ちょっとズルをして【複製】で増やしたので量も確保されているので、少し早いが下山することにした。
ウィーヴェンは積雪量が多い地域な上、標高が高い山の中に入ると、かんじきでも無いとマトモに歩けない程に雪が積もる。
早く街に着いて固い地面を歩きたいね、とモズに話題を振った矢先のことだった。
「ねえちゃん。下、気いつけぇ」
「わっぶ!」
モズの忠告は一瞬遅く、私は足元にあった何かに足をひっかけ、盛大に顔面からすっ転んでしまった。喋りながら歩いていたせいで、口の中に雪が入ってしまった。
「大丈夫だか?」
「ぺっぺっ、っかー恥ずかし。思っきし転んじゃったわ……。うん平気平気、雪がクッションになったから怪我は無いよ」
起き上がって服に付いた雪を払いつつ、防寒着の中に入ってしまって溶け始めている雪の感覚につい眉をしかめる。
やはり世の中良い事だらけとはいかないものだ。
「木の根っこでも盛り上がってたの……か……な……」
転んだ原因だろうものに何となく視線を向ける。
そう、何の気なしに、本当にただ何となく視線を向けた。
そこには、人が倒れていた。
寒さなんて一ミリも凌げそうに無いぼろ切れのような服を着て、白髪に青白い肌をした、こめかみから角を生やしてドラゴンのような翼と尻尾を持った、身長だけはでかい痩せぎすの男だった。
私が盛大に足を引っかけたというのに、男はピクリとも反応する様子が見られない。
奇形らしいねじれた白い翼は根元近くまで黒く変色し、腐っているのか、一部はべろりと皮どころか肉までもが剥がれ落ち、骨が見えている箇所まであった。血は出ていたらしいが、既に凍ってしまっている。
その血色の悪さと、骨と皮くらいしか無いように見える痩せ細った体、そして痛々しい翼から、私の脳は即座に「ああ、この人は死んでいるのか」と結論づけた。
その後は、思考が凍り付いたように停止した。モズから声をかけられるまで、私は見たくもない死体を直視したまま硬直していた。
「大丈夫だか?」
「……っわー……うん大丈夫大丈夫、SAN値が1D6くらい減りそうだったけど何とか大丈夫……」
「さんち? いちでぃー?」
「そこは気にしなくていいんよ」
寒さだけが原因ではない、体の芯から瞬間冷凍されたような感覚にぶるりと身を震わせる。
クトゥルフ神話TRPGではないから死体を見て即座に発狂なんてことは無いにせよ、大変心臓に悪すぎる。
「いやー……まさか行き倒れの死体を見るなんて思いもしなかったわ……祓い給い清め給え神ながら守り給い、ってこれ違うわ。結構動揺してんな私。ええと般若心経は、観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時……」
両手を合わせてお経を唱えていると、モズが横からあっけらかんと発言する。
「そいつ死んどらんよ」
「それ早く言って!? 大丈夫ですか生きてますか!?」
「じゃから死んどらんって」
「ごめんね言い方変えるね意識ありますか!? ……意識無いねヤバいね!?」
肩を揺さぶって声をかけるも反応が無い。しかし、本当に生きているのか怪しかったが、急いで手袋を外して首筋に手を当てると、か弱いながらも脈を感じた。
生きてはいるが、危険な状態であることは間違いない。
「連れて帰るよ!」
「さっきの鹿みたいに殺さんの?」
「バッカ人殺しは犯罪ぞ!? それに食料としての動物と人間を一緒にするんじゃな――」
背負うために男の体を起こし、その時にたまたま男の顔が視界に入った。
次の瞬間、私は思わず動きをを止めてしまった。
やつれてはいるが、見覚えがありすぎるその顔は、忘れるはずがない。忘れようとも思わない。
彼は推しの一人、ラガルティハだった。
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