22 モズの早贄

「うう……来ないでくれ来ないでくれ~……!」

「嫌ならさっさと終わらせた方が良くないかい? 夏休みの宿題と一緒だよ」

「うるせ~~~~~ド正論かましてくるんじゃねえよクソがよ~~~~~」


 日が落ちて薄暗くなった街中を一人、いや、一人と一匹で練り歩く。

 ヘーゼルは普通に人語を話しているが、周りに聞こえないように配慮してくれてるのか、肩に乗って耳元で小さく囁く程度だ。おかげで私は遠目から見たら独り言をブツブツと呟いている変質者に見えることだろうが、ここ最近のモズの早贄少年の活躍のせいで人っ子一人見かけないので問題無い。問題があるとすれば、周囲に潜んでいるだろう騎士さんに聞かれる可能性がある事だけだ。

 というか耳にヘーゼルの髭が当たってこそばゆいし、無駄に良い声なので、囁かれるとそれはそれで別の意味で耳がこそばゆくなってしまう。


 だが、無言のままで居ると妙に神経が過敏になって、ほんの僅かな音にもビビり散らしてしまって精神的に非常に悪いので、少しでも平常心を保つべくヘーゼルに話しかけ続ける。

 緊張と、日が落ちて気温が下がったせいで、手足の末端が冷えて仕方がない。片手を一時的にポケットに突っ込み、もう片方をヘーゼルの毛に埋めて暖をとった。


「ホラーが大の苦手な人がお化け屋敷に入らざるを得なくなった時の絶望感を知ってるか?」

「生憎だけど知らないな。僕にはホラー作品の何が恐ろしいか理解出来なくてね。ニンゲンが自身の理解の範疇を超えたものに対し恐怖することは知っているけれど、僕からしてみれば、あんな子供騙し怯えるなんて考えられないな。ただの創作物だろうに」

「ああそうかい。じゃあ今の私の気持ちは、お前にゃ一生理解出来んだろうよ」


 多少暖まった手をポケットから出して、ヘーゼルからも手を離す。

 ヘーゼルはやや不快そうに体を震わせて、私の手汗でしっとりとヘコんだ体毛を元のふんわりしたまん丸毛玉に戻した。


「というか君、いつも以上に口が悪くなってないかい?」

「心の余裕が無えんだよ察し――」

「ねえちゃんっ」

「ヒィッ!?」


 とんっ、と背後から誰かに抱きつかれる。

 随分と小さな体の主が誰なのか瞬時に想像がついて叫びそうになったが、相手を刺激させないために両手で口を塞いで声を抑えた。


 弾んだ声は心底嬉しくてたまらないといった様子だ。

 おそるおそる見てみると、想像通り、正体は例のモズの早贄少年だった。先週よりまた少し薄汚れた感じがする少年は、折れそうな程細い腕のどこにそんな力があるのか、私の腰をがっちりホールドして離さない。


 何故ヘーゼルの防壁をすり抜けて抱きついてこれたのだろう。一瞬頭がパニックで思考停止しそうになったが、それを察したらしいヘーゼルが耳たぶを齧ってくれたおかげで正気を保てた。


 というか、騎士さん方とヘーゼルはどうしたんだ!? まさか誰も気付かなかったとか無いよね!?

 ずっとヘーゼルと喋っていたから物音に気づかなかったのかもしれないが、にしても一切の気配を感じられなかった。これで彼が私を殺す気だったら、今頃首と胴体がオサラバしていた事だろう。


「ねえちゃん、どこさ隠れったんじゃ。おい、ずーっと探しちょったんに、見つからんくて寂しかったっちゃや」


 捨て犬のような顔で見上げてくる少年は、これだけ見るとただのいたいけな少年にしか見えない。今現在は手に刃物を持っていないから尚更だ。

 だが、前回は何も無い所から刀を取り出したのだ。油断は一切出来ない。


「けんど、またねえちゃんと会えたからもうえい」


 少し離れている、騎士さんが隠れて待機しているはずの場所に「助けてくれ」の念を込めた視線を向けるものの、何の反応も無い。人の気配を察するなんていう真似は出来ない私だが、それでも、何か異常なことが起こっている事を察するには充分だった。

 この少年に暗殺でもされたか? と一瞬最悪の事態を想像してしまい、ぶるりと身震いした。


 私は極力少年に刺激を与えないよう、優しく声をかける。


「ええと、少年や。一回離れてもらっても」

「や」


 即答だった。たった一文字の拒否の言葉であった。


「頼むから、ね?」

「や」

「ええ……」


 少年はぐりぐりと頭を私の腹に擦りつけ、ホールドしている腕に力を込める。絶対に離れたくないという強い意志しか感じられず、絶望の二文字が脳裏を過った。


 ヘーゼルに助けを求めようとするも、当の本獣は一切の危機感を感じていないのか、リラックスした状態で防壁を張ろうとする訳でも無く、興味深そうに少年を観察している。

 お前の職務怠慢のせいでこうなってんだぞ! 仕事しろ!


 再び少年に視線を向けると、目が合ってしまった。暗くなったせいでイマイチ分かりづらいが、肌が青白く、どこか具合が悪そうに見えた。

 それに気が付いた瞬間、私を逃がすまいとしがみついてきている腕がかなり細いということにも気が付いた。

 しばらくロクに食べられていないのだろうか。身長的に成長期だろう年代に見えるのに、その小さな体躯は痩せぎすだ。

 彼に対してトラウマ的恐怖しか抱いていなかったはずなのに、憐憫のような感情が芽生えてしまった。


「えへへぇ。ねえちゃんがおいのことだけば見ちょる。嬉しかぁ」


 にぱ、と笑顔を見せる。

 今まで恐怖によって見ずに居られた、見たとしてもスルー出来ていた「純真な子供の笑顔」に、一瞬、このまま見逃してやっても良いんじゃ無いか? と思ってしまった。


 もう殺人なんてしないと約束させて、それで――。


「なあ、ねえちゃん。このまま殺してえい?」

「駄目に決まってんでしょ!」


 しかしその一言で、抱きかけた同情が全てぶち壊れた。


 ナチュラルに話し相手に「殺していい?」って聞くようなサイコパスを野放しにしたらアカンですわ。

 冷静になれたわ。今だけは礼を言おう、ありがとう少年。


「じゃけんど、あの鎧達がおらんの、今だけじゃ。そろそろねえちゃんに着いて来った奴も追いつくけん。今しかないんじゃ。……だめ?」

「そんなあざとく小首傾げても駄目です!」

「なしてじゃあ……」


 少年はくしゃりと顔を歪め、今にも泣きそうな顔で私を見上げてくる。

 何でそんな悲しそうな顔をするんだ。泣きたいのはこっちの方だ。


 少年の発言からして、ノルトラインさんがもうすぐ到着する頃だ。なんとか時間を稼いで安全に離脱したいが、上手く行くだろうか。


「おいなぁ、おいに優しくしてくれたねえちゃんを好いとぉんよ。好きじゃから、ずーっと一緒に居たいんじゃ」


 あんなちょっと声をかけただけで「優しい」だなんて、子供とはいえチョロすぎやしないか?


 そうは思っても、口には出さなかった。

 もしかしたら、いや、異国の孤児という時点でほぼ察してしまうが、ロクに人の優しさに触れてこれなかったのだろう。

 それなら、欠片程度の善意でも、麻薬のように感じられてもおかしくはない。


「でもな、ねえちゃんは一緒に居られんって言うてたじゃろ? けんど、おいの手でねえちゃんを殺せば、ずーっと一緒にないる。死んでもずっと一緒、なんじゃろ?」


 死んでもずっと一緒。


 その言葉は彼自身が考えた思想ではないような言い方で、唯一の心の拠り所のように、噛みしめるように口にしていた。きっと昔、親しい誰かにそんな風に言われたことがあるのかもしれない。


 縋ってくるような声と視線に、また同情心が揺さぶられかけた瞬間。

 少年が私から離れる。


「だから、殺すな?」

「殺すな? じゃねーんだよおオアアアア!?」


 若干の既視感の後、首元に鈍色の一閃。


 だが、飛び散ったのは血では無く、火花だった。


 少年は驚いた様子で目を見開いている。一方の私も、まさかここまでの効果があるだなんて予想だにしておらず、同じく驚いていた。

 私の体には傷一つ付いていない。首も皮一枚すら斬れていなかった。


「し、仕込んで良かった刻印セット!」


 そう、こんなこともあろうかと、「岩肌」「頑強」「堅牢」の共鳴効果付き防御特化刻印三点セットを、右腕の肌に直接刻んでいたのだ。出発前にジュリアに頼み込んで、わざわざ魔石インクを融通してもらったかいがあったというものだ。


 他にも、使えそうな刻印を適当な紙に描いて、それを権能の【分離】アイテムボックスもどきで保有している。

 これでただの餌から、多少のバックアップが出来る餌にランクアップしていることを願いたい。


 少年はまた何も無い所から刀を取り出していたが、今回は注意していたこともあって、しっかり見えた。

 何やら黒い空間の歪みみたいな所から取り出していたのだ。異世界系ネット小説でよくあるアイテムボックス系のそれっぽかった。


 少年から距離を取り、じりじりと後ずさる。

 近くの騎士さんが出てこないのでノルトラインさんと合流したい所だが、進行方向には少年が立ち塞がっている。


 少年はまたしても奇襲辻斬りが失敗に終わった事に不満を感じているのか、頬を膨らませてジト目で私の方を睨んで、しかしすぐに悲しそうな顔をした。

 それ人殺しが失敗した時にする顔じゃなくない!?


「こうなってしまったんだ、戦うかい?」

「無理無理無理無理かたつむり! 撤退一択!」


 一応少年に聞こえないように声量を絞って囁いたヘーゼルに対し、パニック状態だったこともあり、人前だという事をすっかり忘れて大声で返事をした。


「てかお前絶対わざと防壁張らなかっただろ!」

「いや? 彼の気配の消し方が上手かったから、全然気が付かなかったんだ」

「野生の勘どこにやったんだ魔物のくせによぉ!」

「それにあの防壁は、敵意や悪意に対して反応するものだ。好意なら反応しないのも当然だよ。純粋な好意から成る殺意に対しては反応しないなんて思わなかったけどね」

「こーんの肝心な時に役に立たない自称神がよぉ!」


 権能アイテムボックスから刻印メモを【復元】し、いつでも使えるようにしっかりと手にする。


 一つの対象に使用出来る刻印は三つまで。それ以上を付与しても効果が発揮されないことは、検証したから知っている。これを自分に使う時は、今付けている刻印のどれかを消さないといけない。

 【分離】で刻印を剥がせることは検証中に実証したが、こんな集中できそうも無い状況で刻印だけを剥がせるかは不明だ。だが、多少皮が抉れても、首が飛ぶよりマシだ。


 ノルトラインさんが来るのが先か、少年の隙をついて逃げるのが先か。


 少年の出方を伺うが、少年は動かない。泣きそうな顔のまま、じいっと私を見つめていた。


「……ねえちゃん、なして殺されてくれんのじゃぁ……」


 そう呟いた少年の声は、今まで聞いた中で一番、感情的だった。

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