20 協力要請

「それで、どうやら状況があまり芳しくないようですけど、どんな状態なんです?」


 お茶を飲んで落ち着いたところで、ジュリアに本題を切り出す。


 ルイちゃんは気を利かせてくれたのか、静かに退室して薬剤調合室に向かった。私達の話が終わるまで待っている間、ポーション作りをして時間を潰そうとしているのだろう。


 ジュリアはルイちゃんが退室するのを見届けてから、重いため息を一つ吐いた。


「一度は奴との接触に成功したが、待機していた騎士達が急行する前に気付かれたのか逃げられてしまって、それっきりだ」

「モズの早贄くん警戒してるなぁ……って当然か」

「モズノ、ハヤニエ? 彼はそんな名前なのか」

「いや、故郷に居る『モズ』という鳥の行動にちなんだ『モズの早贄』という言葉がありまして。私がそう呼んでいるだけです。獲物をこう、近くの木の枝にぶっ刺して保存するっていう習性がありまして、そこから」

「なるほど、言い得て妙だな。それで、だ。君に頼みがある」


 姿勢を正して改まって、ジュリアは続ける。


「調査に協力して欲しい」

「協力とは? 事情聴取ならもうやりましたよね」

「単刀直入に言おう。君には囮になって欲しい」


 飲み込みかけたお茶が気管に入りかけて思いっきり咽せた。

 ジュリアが心配してくれたが、私はそれどころでは無かった。お茶を零してしまって盛大にズボンが濡れてしまった。


 一頻り盛大に咳き込んだ後、咽せすぎたせいで喉が痛んだが、動揺していた私はつい大声を上げてしまった。


「む、無理無理、無理ですって! 私じゃ無くてもいいじゃないですか! 背格好似てる人とか! 私である必要性あります!?」

「どうやら犯人……そうだな、これからは君の表現から取って『モズ』と呼ぼう。モズは今、君を狙っている事が確定している。背格好の似た人物に変装を施し、囮になってもらったが、一向に釣れん。最初の一度だけ接触に成功したが、最初から偽物だと気付いていたような言動をしていたと報告があった」


 未だに見慣れない造りの良い顔を向けられて、動揺していたこともあって思いっきり顔を背けてしまったが、一瞬見えてしまったジュリアの張り詰めた表情に、更に焦燥感が募ったのが見えてしまった。


「いつまでも民達に不安を抱いた日々を過ごさせる訳にはいかないんだ」


 彼女の顔を見れないが、それでも彼女が真剣な眼差しでこちらを見据えていることは明らかだ。


 騎士として、そして領主として早急にこの事件を解決するべきで、そのためには犯人に狙われている私が協力するのが一番手っ取り早く確実な方法なのだ。


 それは、私も理解が出来る。理解は出来るのだ。

 数回深呼吸をするが動機は止まらない。冷や汗でじっとりと濡れる掌をズボンの裾で拭って、トントンと胸を叩いて自分に落ち着かせるように言い聞かせ、口を開いた。


「ジュリア様のお気持ちは充分すぎるほどに伝わりました。ですが、やはり私には無理です」

「何故だ!」


 ジュリアは強く握った拳をテーブルに叩きつける。苛立ち、もしくは焦りによる代償行動だろう。

 一瞬ビクリと体が跳ねたが、私は即座に反論する。


「一度自分を殺そうとした相手を釣るための餌にされるとか怖いじゃないですか!」


 はっとした表情を見せた後、小さく「すまない」と呟いて拳を自身の膝に戻した。


「悔しいが、我々だけではどうしても奴を捕らえることが出来ない。奴を捕らえる為には、君の存在が必要なんだ! 無理を承知で頼む。勇気を奮い立たせて、私達に協力してくれないか?」


 彼女の目を見ないように顔を伏せる。

 ジュリアの顔が良いからではない。いや、それも二割くらいあるが、きっと私に向けているだろう一縷の望みに縋る目を見てしまったら、私は自分が情けなさすぎて心が死んでしまうからだ。


「無理、無理ですよ、ほんと無理……!」


 自分の度胸の無さに反吐が出る。

 怖いのだ。あの愛しかない殺意を受けるのが、恐ろしくてたまらない。


 憎悪からの殺意だったら反骨精神から逆ギレして耐えられたかもしれない。

 だが、彼――モズが私に向けていた殺意には、そんな悪感情が一切なかった。愛が募りに募って相手を殺す、所謂「殺し愛」だった。

 ちょっと声をかけただけで重すぎると言わざるを得ない愛を向けられることも、その形が殺意ということも、何よりそんな感情を抱いているのが十歳前後の子供ということも、何もかもが現代日本の常識で言うと異常なことで、そんな異常が自分の身に振りかかっていることが何よりも恐ろしい。


 現実と二次元は別物だ。二次元ならヤンデレ物は大好きだし、攻めさんの受けちゃんに対する愛は重ければ重いほど健康に良い。だがそれは、のであって、現実、ましてや自分事だと一切笑えない。迷惑という言葉では収まりきらない恐怖である。


 それでも心が強い人なら耐えられるのかもしれない。

 だが、いくら人生に打ちのめされて心が荒み物事を斜に構えるようになったとしても、メンタル強度が豆腐くらいの柔らかさである私には、もう一度モズと相対する覚悟も勇気も持てない。


 自分の弱い心のせいでジュリアに迷惑がかかっていると考えると、不甲斐なくて首を括りたくなる。

 私より一回りも若い子が、二十歳にもなっていない女の子が最前線で戦っているというのに、私は戦場に立つことすら恐れているのが、情けなくて仕方が無い。


「私はジュリアみたいな鋼メンタルなんて持ってないんだよぉ……!」


 モズに対する恐怖と、ジュリアに対する申し訳なさに、私はこれ以上情けない顔を見せたくなくて、俯いて両手で顔を覆う。

 ジュリアからの反論は無かった。


 十数秒程の沈黙で私は冷静になり、滑った口から漏らしてしまった言葉に後悔した。

 これでは、ジュリアに八つ当たりしているみたいではないか。それに敬称を付けていなかったから、聞く人が聞けば不敬罪でしょっ引かれてもおかしくない。


 ソファーが軋む音と衣擦れの音がして、ジュリアが立ち上がったのだと気づき、恐る恐る顔を上げる。

 彼女は神妙な面持ちで私の傍に来ると、膝を着いて跪いた。唐突な彼女の行動に、私は驚いて声が出なかった。


「こんなことで君の恐怖を和らげることなんて出来ないだろうが、それでも誓わせてくれ」


 私の手を取り、ジュリアは言う。


「このルージュリアン・ローズブレイド。茨の騎士の名の下に、君を守り抜いてみせよう」


 二つ名を持つ騎士。それは、多くの武勲を立てた騎士の中でも一握りにしか授かる事が出来ない、国から認められた英雄の証である。

 彼女の場合は、「茨」がそれに当たる。


 その二つ名に誓うということは、命を賭してでも誓いを守り抜くという、強い決意を表す行為だ。本来なら、王族に対して誓いを立てる歳に口上として使う。

 それを、ただの一市民、それもこんな、いい歳した大人の癖に子供のように駄々をこねてしまった私に使うなんて。


「一夜だけで良い。私に、命を預けてくれないか」


 美しい新緑の瞳に私の顔が映っている。

 真っ直ぐに向けてくるジュリアの真摯な瞳に、私は思わず――。


「他の人にも息を吐くようにそういう口説き文句言っているんでしょ! この歩く顔面宝具!」

「が、顔面宝具?」


 条件反射で、そうおちゃらけた大声を上げていた。


 昔からそうだ。相手が真面目な雰囲気だと、緊張を解そうと、そんなに気負わなくていいと、わざとテンション高くふざけた言葉を言う。

 そして、それが頼まれ事だったりすると、そのテンションのまま安請け合いをしたりして、後で後悔するのだ。


 こう話している間も、脳内のネガティブだが冷静な部分が、痛い目を見た過去と同じ轍を踏んでいると警鐘を鳴らしている。

 だとしても、自分より十歳以上年下のジュリアがここまでの覚悟を見せたのだ。大人である私が同じくらいの覚悟を見せなければ示しがつかないじゃないか。


「あーもう分かった! 分かりましたよ! ほら頭上げて! 騎士兼公爵令嬢様が簡単に頭下げないでくださいよんもー!」

「ということは……!」

「手伝います、手伝いますよ!」


 嫌だけど、という言葉が出かかったが飲み込んだ。


 実際問題、私かジュリア、どちらかが妥協しなければならない状況だった。ならば、大人である私が妥協するのは、当然のことだろう。

 それに、プライドや私情を抜きにしても、事件の早期解決の為には、私が協力するのが手っ取り早いというのは充分に理解出来る。


 昔から知人に「押しに弱い」とよく言われていたが、押しにも弱いが、何より推しに弱いのだと改めて痛感した。

 だって仕方が無いじゃないか。推しは人の人生にぶっとい杭をぶっ刺してどでかい傷を残し狂わせる存在なんだ。人生を人質に取られているんだから、そりゃ推しに弱くもなるよ。

 ジュリアでこうなんだから、ルイちゃんに頼まれ事をされたら間違いなく断れないだろう。


「すまない」

「謝らなくていいですよ。私も大人げなかったですし」

「いいや、君の意志を無理矢理折ってしまった」

「しょげなくていいですから、ほらお茶飲んで。タルト食べて。美味しいから」

「う、うむ……。……だが、君が協力してくれると言ってくれたから、希望が見えてきた。ありがとう、トワ」

「……妥協するのは大人の役目だからね。ほら糖分摂取して。今から色々頭使わなきゃならんでしょう。ドライフルーツとかもあるから。甘さ控えめのなら作り置きしてるビスコッティもあるから」

「そんなに食べたら夕飯が入らなくなるんだが……」


 真っ当に礼を言われたが、嬉しいと感じるのではなく妙に小っ恥ずかしくなって、居心地が悪くてむずむずした。

 誤魔化すために、私は年末年始や盆休みに帰ってきた孫にひたすら菓子を食べさせようとする祖父母の如く茶菓子を勧めた。

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