19 嵐の前の静けさ

 あれから何事も無く一週間が経過した。

 本当に何事も無い。びっくりする程何も無いのだ。

 今日に至っては、巡回している騎士さんが気を抜いて大あくびをしている所を見た。そのくらい暇でしょうがなくて、肩透かしを食らった気分だった。


 あまりにも暇すぎて、刻印術について勉強を始めたくらいだ。

 暇つぶしにとジュリアから貸してもらった刻印術の本を丸暗記するくらい読み込んだ後、遊びの延長で刻印を描いてみたら何故か成功したので、スペル代わりに活用出来ないかと本格的に勉強し始めたのだ。


 刻印が使えると知ったきっかけは、庭で魔物の世話をしている時だった。

 ルイちゃん宅ではポーションの材料として、饅頭型の半透明な緑色のゼリーに顔文字のような顔を付けたような見た目の、ライムスライムというスライムの一種を庭で飼育している。

 そいつらの世話をしている最中、その内の一匹が良い形の小石を見つけて持ってきたので、それで地面にお絵描きをしてスライム達を喜ばせている時に、何となくで刻印を書いてみたら発動したのだ。


 今日もスライム達の世話の為に庭に出たついでに、先日スライムからもらった小石、もとい魔石で、地面に刻印を書いて図形を脳に叩き込みつつ、持続時間がどの程度なのか検証していた。

 スライム達が興味津々で集ってきて若干邪魔だが、悩みなんて一切無いといった様子でもちもちぷるぷると動いているのを見ているのは癒やされる。

 名の通りライムの香りがするのも、アロマセラピー的な効果を発しているのか、スライム達と触れ合った後は何となく気分がスッキリする。


「やっぱり低品質だと、持っても十分前後って所かぁ」


 むちむちとスライムをパン生地の如く揉みながら独りごちる。


 スライムは刺激を与えると本能的に粘液を分泌するが、別に体に悪い成分が入っている訳では無く、むしろ肌に良い成分が含まれており、肌に塗ると、ものの数分でうるつや赤ちゃん肌になる。素手でこねるようになってから、しょっちゅう出来ていたささくれが嘘のように無くなった。

 この粘液がポーションの材料になるのだとルイちゃんは言っていたが、納得の効能である。


 端から見ればスライムを虐めているように見えなくも無いが、これは立派な世話の一つだ。

刺激を与えてやらないと分泌量が少なくなるので、定期的に揉みしだいてやらなければならない。犬猫で言う所のブラッシングのようなものだ。

 スライムも気持ち良いのか、ゴマ粒のように小さい目を細めて、満更でも無い顔で大人しく揉まれている。


 粘液まみれになって掴むのも難しくなったら終了だ。効果音で例えるなら「むちむち」から「ぬっちゃぬっちゃ」になったら充分である。おお、音がエロいエロい。


「お給料でインクの方買ってみるかぁ。切り取りCtrl+X複製Ctrl+Cを上手く使えばシールタトゥー感覚で使えたりしないかな?」


 スライムの粘液を嫌ってスライム小屋の屋根に避難しているヘーゼルが答える。


「出来なくは無いと思うけれど、下手したら肌ごと抉ってしまいかねないね」

「怖っわ! 実用化にはかなりの技術が必要か……」


 刻印はただ単純に特定の模様を描けば良いという訳では無く、魔石で模様を彫るか、魔石を砕いて染料にしたものを使用して刻印を描くことによって、始めて発動するのだという。

 前者は彫る必要があって技術が必要だったり、物によっては加工が難しいものの、高い品質の魔石で刻めば、削り取ったりしない限り半永久的に効果が持続する。ルイちゃんの眼鏡に刻まれていた刻印はこちらにあたる。


 空気中の魔力――専門用語的に言うならばマナ――を取り入れて発動し続けるのだが、使用する魔石が低品質の場合、マナの循環効率が悪く魔力切れを起こしてしまう。

 今さっき目の前で輝きを失った「活性の刻印」も、その辺の石ころと大して変わらないような魔石を使ったため、ものの十分足らずで効力を失ってしまった。


 そして私が注目しているのは、後者の描くタイプの方だ。

 こちらは染料として使われた魔石が含んでいる魔力――生物や無機物に内在している魔力はオドと言う――の分しか効力を発揮しないため、長くても一週間程度の効力しか無い。

 だが、指に染料を付けて描くだけでも発動し、描く対象を選ばないお手軽さがある。消しやすいのもメリットだ。


 そこで私は考えたのだ。あらかじめ魔石インクで紙か何かに刻印を描いておき、必要に応じて使う刻印を権能でインク部分だけ複製し、切り取り、そして対象に固定すれば使えるのではないか、と。

 要するに、元となる刻印をコピーペーストして使う方式だ。実物が無いので実際上手くいくかどうかはわからないが、もし上手いこといったら、バフ・デバフ系スペルの代替品として使えるのだ。

 また、複数の刻印を組み合わせて刻む事によって、効果が高くなる事がある。本には「共鳴効果」と描かれていた。俊足と跳躍のセットでより素早く動けたり、怪力と頑強で身体強化より筋力が増強すると描かれていたが、あまり研究されていないのか不明な点が多いようだ。


「でも刻印用の魔石よりインクの方が安いとはいえ、良いもん使ってるから高いんだよなぁ~! 仕方ないとは言えお財布が寒くなるなぁ……。低品質の魔石を粉にして絵具みたいに使えないかな」

「使えたとしても数秒で効果が消えるだろうね」

「そう都合良くはいかないか……ほれ、マッサージお終い。次の子呼んできて」


 揉み終わったスライムにそう言うと、満足そうに次のスライムと交代し、その辺に落ちていた小枝を拾って口に咥え、私の真似をして地面にミミズのような何かを描き始める。

 私がやった落書きの影響か、何か分からないものを描いては仲間に見せ、批評(?)してもらう遊びが流行しているようだ。


 基本的にスライムは知能が低いと言われているが、治癒呪文が使えるナースライムに突然変異する可能性があるライムスライム達はかなり賢いらしく、体感だがカラスと同程度の知能はあるように思える。

 ナースライムはそこそこ希少だが、粘液はライムスライムのもの以上の効能がある。私の賃金のためにも、早めに変異してほしいものだ。


 突然、ヘーゼルがあざとく「んなぁん」と鳴く。近くに人が居る時の合図だ。


「ここに居たか」


 てっきりルイちゃんかと思ったが、フェンスゲートを開けて入って来たのは、珍しく疲れた様子を隠し切れていないジュリアだった。


「どうも、ジュリア様。捜査の方はどうです?」

「その事で話があるんだが、中で話そう。ルイもそろそろ焼き菓子が出来ると言っていたぞ」

「あーちょっと待っててくださいね、今手洗ってきますんで」


 彼女の様子から察してはいたのだが、やはり状況は芳しくないらしい。


 スライム小屋の屋根に居たヘーゼルに指を指して肩に乗るように指示し、乗ったのを確認してから近くの蛇口で手を洗う。

 ARK TALEの世界が上下水道の発達している世界で良かった。

 ファンタジーなら中世・近世くらいの文明にしろ、みたいな上から目線厄介読者からツッコまれそうだな、と思ったが、この世界は剣と魔法のファンタジー世界。都合の悪い所は魔石だとか魔物素材だとかで何とかなったりするのだ。

 この蛇口から出る水だって魔石由来だ。下水には繋がっているが水道には繋がっていないから、水属性の魔石で水を出している仕様だそうで。

 ファンタジー世界って本当、現代とはまた違った便利さがあるよね。


 家の中に入ると、甘酸っぱいフルーツと香ばしい小麦の焼ける良い匂いがして、つい深呼吸をしてしまう。この匂いだけでお腹が空きそうだ。

 リビングにはエプロンを着けたルイちゃんがティーカップを準備していて、テーブルには切り分けられた黒い小粒のフルーツを使ったタルトが置いてあった。


 こんなん完全に若奥さんじゃん。かわヨ。


 警戒態勢が敷かれてから四日くらいは私以上に気を張って憔悴していたが、ようやくいつもの調子が戻ってきてくれたようで何よりだ。

 しかし、眠れない日々が続いているせいか、目元に少しだけ隈が出来ている。折角の可愛いベイビーフェイスが……。


 やつれたルイちゃんも可愛いとは思うけど、それは二次元だから何の罪悪感も無く「可哀想で可愛い」と言えるのであって、実際現実として目の当たりにすると非常に胸が痛んで仕方が無いし、その原因が自分にあるとわかっていると身長伸ばしをしたくなるくらい罪悪感が湧く。

 しんど……私がルイちゃんを守護まもらなきゃ……。

 本当、お菓子作りが出来るくらいにはメンタルに余裕が戻ってくれて良かったよ。


「今お湯を沸かしているところですから、もうちょっと待っててくださいね。トワさんは先に手を洗ってきちゃってください」

「さっきスライムの粘液落とすために手洗ったから大丈夫大丈夫。おっ、今日のおやつはタルトかぁ。この黒いの何? ブラックベリーとかそういうやつ?」

「ナイトベリーのジャムです。八百屋さんが熟しすぎて売り物に出来なくなったナイトベリーをオマケしてくれたから、腐っちゃう前に使い切っちゃおうと思って。前にトワさんが『久し振りにタルト食べたい』って言ってましたし、丁度良いなって」

「ナイトベリーって初めて食べるやつだ! しかもタルト食べたいって言ってたの覚えててくれたの嬉しい~! 待ちきれないから先に食べちゃお」


 ヘーゼルは私の肩から降りると真っ先にルイちゃんの元に行き、わざとらしく媚びた甘え声を出してタルトのおこぼれをねだり始める。

 自分の武器を分かっている媚び方だが、その実男の低音イケボで人語を話す人外ムーヴ野郎と思うと、見た目も獣モード時の鳴き声も可愛いだけあってどうにも複雑な気分になった。


 自分の分のタルトの乗った皿を持ち上げ、食器棚からフォークを取ってテーブルに着く。

 身に染みついた習慣から「いただきます」と無意識に呟いてから、タルトを一口。

 チーズクリームの濃厚な味わいとナイトベリージャムの酸味が抜群にマッチして最高に美味しい。恐らくこの世界の固有種であるナイトベリーはかなり酸味が強いものの、チーズの風味がその尖った酸味をマイルドにしていて非常に食べやすくしており、ナイトベリーの酸味のおかげでチーズの濃厚さを重すぎないように仕上げている。

 タルト生地は焼きたてなおかげか縁の部分はサクサクだが、底の部分はしっとりと仕上がっている。


 日々感じてはいるが、ルイちゃんは料理上手だし気配り上手だし優しいし、オマケに外見も可愛いし、結婚するならこういう子が良い。恋愛対象としてもそうだが、それを差し置いてでも、人生を共にするパートナーとしては最高の伴侶になると思うんだ。


 そこで、私は一人納得する。

 だからルイ受けは基本攻めさんがどんな相手でも合うし、攻めさんはルイちゃんが好きになるんだな、と。本能的に分かってはいたが、体感することで理性も理解した。


「んまーい! ッハー、これお茶入るの待ってれば良かった。お茶請けに最高のやつじゃん。うんま……手止まんなくなる……うまぁ……」

「えへへ、そう言ってくれると嬉しいです」


 今の聞きました!? ルイちゃんのちょっと恥じらいつつも嬉しそうにはにかんで漏らした「えへへ」っていう声聞きました!?

 国宝。


 ついオタクが隠しきれずカエルが潰れた時のような声を出してしまって変な顔をされたが、滅茶苦茶すっぱいベリーを噛んでしまったと誤魔化しておいた。

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