Chapter.02『偽りの騎士』

ACT.05/〈騎士志願者〉ロッカート


「貴公。この先はひとりで行くには危険だぞ」


 馬に乗って道を進んでいたナザンが、声を掛けられた。

 男の声であった。


 顔はわからない。全身が鎧に覆われているからだ。仰々しい板金鎧プレートメイルに、頭をすっぽりと覆う兜。腰に直剣を佩き、逆の手には盾も持っている。

 側らには専用の防具を着けた馬も連れていた。

 完全防備と言って良い。まるで、これから戦に向かう騎士そのものであった。


 男は、細い道の真ん中に陣取っている。といっても別段通行を邪魔しているという雰囲気ではなかった。


 ナザンは手綱を引いて馬を止める。

「……あんたは?」

「私の名はロッカート」男が名乗る。「貴公は、この〈のこぎり谷〉を抜けた先の、ユーディハイト領へ向かうつもりなのだろう」

「ああ」

 ナザンは頷く。


「この〈のこぎり谷〉では最近『辻斬り』が出るのだ」ロッカートと名乗った男が言った。「一人でこの谷を抜けることは、おすすめしない」

「辻斬りとはおだやかじゃないな……」

「貴公さえよければ、ここは私が護衛を買って出ようかと思うのだが――いかがだろうか?」


 ナザンは目を丸くした。

「いや……そりゃあ、ありがたいことではあるが……あんたは、騎士なのか?」


「私は騎士ではない――」

 どこからどう見ても騎士にしか見えない男は、胸を張ってそう言った。

「いまはまだ――な!」

 




 〈のこぎり谷〉の谷底には、鬱蒼とした林が生い茂っている。そこを縫うようにして伸びる道を、ナザンはロッカートと並んで進んでいた。


 道の横幅は、馬二頭が並んでやっと通れるほどしかない。気を抜くと道の脇からはみ出しているアバラヒイラギの葉にひっかかり、身体を傷つけてしまう。実際に、ナザンの頬には小さな切り傷が出来てしまっていた。


 こればかりは、ロッカートの全身鎧が羨ましくなる。

 ナザンは少し馬の速度を落とし、ロッカートの後ろについていくように位置づける。


「〈のこぎり谷〉に出没する辻斬りは自らをオディオと名乗っているらしい――おそろしく腕が立つため、騎士団も手を焼いているようだ。懸賞金も懸けられている」


 手綱を握りながら、ロッカートが話す。


「確認なんだが、あんたは騎士じゃないんだよな?」

「そうだ。私は――言うならば騎士志願者だな。この辻斬りを討伐することで手柄を立て、その実績を許に騎士団へと入団する心づもりなのだ」

「そうなのか……。それにしてはなんというか、すでにかなり騎士っぽい気がするが」


 見た目とか、話し方とかが。


「私は何事も形から入る性格たちでな。」


 ナザンとしては特に褒めたつもりではなかったのだが、ロッカートは「えへん」と胸を張った。


「俺はユーディハイト領には詳しくないんだが……、手柄を立てれば騎士になれるものなのか?」


 少なくとも、ナザンが居た地方では、騎士になるには家柄か――あるいは金が必要であった。どこの誰とも知らない人間が、賞金首を捕らえたからといって、なれるものではなかったはずだ。


 ロッカートが「ふふふ」と得意げに肩を揺らした。


「現在の騎士団長殿が、家柄に縛られず、能力がある人物を取り立てる方針らしくてな。可能性は十二分にあると私は見ている」

「……希望的観測が過ぎないか?」

「それだけではない。貴公も私を『騎士のようだ』と評したであろう。どこから見ても騎士である私を前にすれば、きっと名実共に騎士にしたくなるに違いない。その心理を突いた策――というわけだ」

「希望的観測が過ぎないか!?」

「だが、懸念がないわけではない」


 ナザンの反応も意に介さず、ロッカートは続ける。


「やはり騎士たる者、正々堂々と流儀に則った立ち会いの許で相手を討ち果たさなくてはならぬだろう。私が賊を斬り、それを騎士団長殿へとお伝えしたとて、いったいどのようにそれを証明できる? 卑劣にも背後から襲い不意を突くような真似などしていないと――」

「考え過ぎじゃないか? 騎士同士の決闘というわけでもないんだし、まず勝つことが重要だろう」ナザンが言った。「……いや、そもそも正々堂々倒したとして、騎士には成れないとは思うが」


「――そう考えていたとき、貴公が偶然通りがかった」


 ロッカートがぐるりと振り返り、ナザンの方を見る。兜のため表情はわからないが、声が弾んでいるのが伝わってきた。


「ナザン殿。貴公に頼みがある。このロッカートが賊を討ち果たした暁には、どうか戦いの目撃者として、証言をしてもらえないだろうか。ひとかけらの後ろ暗さもなく、恥じることなど何もなく、騎士の流儀に則り戦い抜いた、と」

「……まあ、護衛の対価としてそれくらいなら協力するが――」

「おお! そうか!」ロッカートが喜びの声をあげる。「貴公の優しき心遣い、感謝する」

「こいつ、自分に都合のいい返事しか聞こえて無いのか……?」



〈――近年まれに見るマイペースな男じゃのう〉

 鈴を鳴らすような、美しい少女の声が聞こえた。



 ロッカートが馬を止める。


「――なんだ、今の声は!?」騎士志望は鞘から直剣を抜き放つと、周囲を警戒し始めた。「気をつけよナザン殿。聞こえるはずのない声が聞こえた。人語を操る魔物の可能性もある」

「あー……」


 ナザンはバツが悪そうな表情を浮かべると、腰に下げた鞘から片刃剣ファルシオンを抜いて見せた。


 まるで水に濡れているかのように美しい刀身には、ゆるく反りが付いている。植物の蔦の意匠が施されており、ともすれば芸術作品のようにも見える。


「驚かせて悪かった」ナザンが謝罪する。「今の声は――この剣のものだ」

「……は?」


 流石のロッカートもこれにはペースを乱されたようであった。


〈頭も硬いのう。剣が喋ってはいけないのか?〉

 からかうような少女の声――それはたしかに、ナザンの持つ片刃剣ファルシオンから発せられているように聞こえた。


「――魔剣だよ」

 理解の追いついていないロッカートに対し、ナザンが説明を続ける。

「この剣は生きている。比喩表現じゃなくて、実際に意思を持ち、考え、自分の言葉で喋るんだ」


 生ける武器――〈アルキナティオの罪たる魔剣〉それが、彼女のなまえであった。

〈そういうことじゃ〉


「なんと……」

 ロッカートが絶句する。

「――いや、私も今年で三十歳になるが、魔剣は産まれて初めて目にする……。この世には、不思議なものが山ほどあるのだな。まだまだ勉強が足りん」


 などと呟きながら剣を収め、ロッカートは再び進み始めた。ナザンもアルキナを鞘に戻し、その後に続いた。





 日が傾き始める。

 二人が移動している道は、〈のこぎり谷〉の底にある。したがって、日中でも太陽の光が届き辛い。夕方になれば一層暗くなる。ナザンは、早めにランタンに火を灯した。


「そろそろ、野営の準備をした方がよくないか?」

 ナザンが提案する。


「そうだな……」ロッカートが周囲の景色を見渡す。「もう少し進んだところに、川が流れている。今日はそこで休むとしよう」

「……この道を通ったことがあるのか?」

「うむ。辻斬りを討伐しようと三往復ぐらいしてな。大体の地理は憶えてしまった」


 ロッカートの言葉通り、ほどなく進んでいると、どこか遠くから川の流れるせせらぎの音が聞こえてきた。


「そういえば、ナザン殿よ」

「なんだ」

「貴公はいったい何処を目指して旅をしているのだ?」

「…………」

「いや、無論話したくないことであれば、無理にとは言わないが。私は自分で言うのもなんだが中々に見聞が広い。目的地の場所や情報など、協力して貰ったお礼――というわけではないが、提供できるかも知れない」


 ナザンは考える。自身に掛けられた『呪い』の事について、ロッカートに明かすべきかどうか。 


 だが、どのみち、共に夜を明かすのであれば、あらかじめ話しておいた方がいいだろう。事前に伝えておけば、驚きも多少は軽減されるに違いない。


「……魔女を探している」ナザンが口を開く。

「魔女?」

「そうだ。俺は魔女に呪いを掛けられていてな。それを解く方法を求めて旅をしている」


「そうか。それは、難儀だな」ロッカートが言った。「どのような呪いなのだ?」

「太陽が落ちると、俺は狼になる――そういう呪いだ」

「それは……性欲が強くなるとか、そういう意味か? その、『男は狼』的な」

「――――」


「いや! すまない! 今のは騎士にあるまじき冗句であった! 忘れてくれ」


〈こやつの騎士道にはデリカシーという言葉がないのかのう〉

 アルキナが呆れたような声を出す。


「だが、そうか……魔女については、噂話程度のことしか知らないな」

 ロッカートが記憶を辿るように、頭を指先で叩く。無論、兜を被っているので、直接叩いているわけではない。


「手がかりがあるなら、どんな些細なことでも構わない。教えてくれ」

「ふむ、そうか――」


 ロッカートはあくまで噂話だが、と前置きした上で話し始める。

 曰く、ユーディハイト領のキスカルという村に、魔女によって姿を変えられた男がいるらしい。


 魔女の怒りを買ったことにより、蛙になってしまったというのである。


「姿を変える魔術を使うのか……」ナザンが呟く。「そういう系統の魔女であるなら、俺の呪いについても――解けるかもしれないな」

〈じゃが、中々に危険ではないか? 人をひとり蛙に変えておるのじゃぞ?〉

 アルキナが不安そうに忠告する。


「危険は承知のうえだ。僅かでも可能性があるなら、それに賭けたい」

〈ふむん……〉

「ロッカートさん、ちなみにその蛙に変えられた男の話って言うのは、いつ聞いたんだ?」


「ん、ああ――先週だな。〈のこぎり谷〉を抜けた先にラフェガロという少し大きい町がある。そこのしょ――」ロッカートがそこで口を閉じる。「――酒場で話を聞いたんだ」


〈しょ?〉

 おそらく『娼館』と言いかけたのだろうとナザンは察する。だが、ロッカートの失言を見て見ぬ振りをするだけのなさけが、彼にも存在していた。


「ごほん」ロッカートが咳払いをする。「――む、ナザン殿、そろそろ着くぞ」


 先を進むロッカートが馬を下りた。彼の後に続き道の脇に入っていくと、ちょうど夜営を行うのに都合のよいスペースがあった。大きな木の傍に、焚き火の跡がある。実際に、ここを利用した者もいるということだ。


「今日はここで休むとしよう」ロッカートが言った。「この焚き火の跡は、私が前回の往復の際に利用した痕跡だ」


 ふたりは、馬から荷物を降ろし休ませると、さっそく火の準備をすることにした。


「焚火の方はナザン殿に任せてもよいだろうか」ロッカートが、荷物から弓を取り出す。「すこし、兎でも取ってこよう」

「ん、ああ――」

 ナザンの返事を背に、ロッカートは林の奥へと姿を消していった。


〈あやつ、狩りをするつもりなのか?〉アルキナが怪訝そうな声をあげる。〈もう日が落ちかけておるのに? 無理ではないか?〉

「だよな……」


 まだ完全に日没ではないものの、谷底であるこの場所は、すでにあたり一面が酷く暗い。ランタンもなければ周囲はろくに見えない。こんな林の中で、弓を使った狩りなどできるとは思えなかった。


 そんな心配をよそに、少しするとロッカートが戻ってきた。手には、予告した通り一匹のアサウサギが握られている。


「おお、焚火感謝する」ロッカートが笑った。

〈随分と早いのう〉アルキナが驚く。〈いや、お主――今その兎を仕留めてきたのか? こんなに短時間で?〉

「ふふふ。狩りは得意なのでな」

〈むむ……。お主、騎士より狩人になったほうが良いのではないか?〉


 驚愕するナザンたちの前で、ロッカートは手慣れた様子でウサギを捌いてゆく。血を抜き、皮を剥ぐ。「狩りが得意」という言葉に、嘘はなさそうであった。


「おや、ナザン殿……」

 ひと段落ついてナザンの方を見たロッカートが、驚いた声を出す。

「――――」

 ナザンは自らの手を確認した。そこにあるのは、毛皮と鋭い爪。人からかけ離れた、己の姿。

「言っただろう。日が落ちると狼になる、と」


「たしかに聞いてはいたが、実際に目にすると驚くな」

 驚くと言葉で言いつつも、ロッカートの反応は比較的淡白なものであった。どうやら、目の前のウサギの肉の方が、彼の関心の度合いとしてははるかに高いらしい。


 ロッカートはそのまま、ウサギをあっという間にばらばらにしてしまった。


「さて……では夕食にしようか」

 ロッカートが自分の荷物から鉄の鍋を持ってくる。

 包丁に、まな板。そしてさらに鞄から甘藍キャベツ大蒜ニンニク、ジャガイモなどの野菜を取り出す。慣れた手つきで野菜を切り始めた。


〈おいおい、やけに荷物が多いと思ったら……〉


 熱した鍋に油を引き、大蒜ニンニクと唐辛子を入れる。油に香りを移したら、そこに捌いたアサウサギの肉を投入する。刻んだジャガイモとキャベツ、各種香辛料や調味料を入れていく。


「できたぞ!」

 アサウサギの炒め物が完成した。


〈なんでこやつはこんな場所で凝った料理なんてしておるんじゃ〉

 アルキナが呆れたような声を出す。

「いやいや、料理としては全然凝ってない。簡単な炒め物で申し訳ないくらいだ」

〈そういうことを言っているんじゃなくてじゃな……〉


 ナザンが野営の時にする食事は、基本的に保存食を齧るだけのことが多い。暖かいものを身体に入れる必要があったときに、塩のスープを用意するぐらいだ。それとは比べ物にならないほどの出来である。


「さあ食べてくれ。パンにも合うぞ」

 ロッカートはさらに料理を取り分けると、パンも添えて、ナザンに差し出す。

「……いただきます」

 ナザンはウサギの肉をひとつ、口の中へと放り込んだ。


〈どうじゃ、どうなんじゃ?〉

 もぐもぐと咀嚼するナザン。アルキナとロッカートの視線が集まる。


「うまい――」ナザンが感想を告げる。「うますぎる――!」

 鼻を抜けるニンニクの香りと、甘じょっぱく味付けのされた肉のうまみ。


 たまらずもう一口。キャベツの新鮮な食感と、ジャガイモのほくほくとした味わい。硬い干し肉や味気ない乾蒸餅ビスケットばかりを食べてきた旅路の中で味わう料理は、格別であった。


「口にあったようでよかった」ロッカートが胸をなでおろす。「やはり食べた人が喜んでくれるのが、一番うれしいからな」

〈それは騎士じゃなくて料理人の科白なんじゃよな……〉

 アルキナの呟きは、無我夢中で料理をかき込むナザンの耳には届かなかった。

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