ACT.04/山の神の真実



 蛇を殺した後、その巨大な死体を泉から引き上げるのに苦労した。


 動かなくなった巨大な遺骸を、なんの道具もなく泉から押し出すのは不可能であった。仕方なく、いったんキャラバンの許へ戻ると、商品の丈夫なロープを拝借した。


 ナザンは何本かに分けたロープを大蛇の遺骸に結びつけると、岸にあがり思い切り引っ張った。そうしてやっと、陸の上に蛇の死体を引き上げたのである。


 体内の薬も完全に抜けきっていない状態で、死線をくぐり抜け、毛皮が水に濡れたたことにより重くなった体で、重労働までこなす。

 ナザンは疲労困憊の極みであった。正直に言えばそのまま眠ってしまいたい。だが、まだやるべきことがあった。


 アルキナを使って蛇の死体を捌く。腹の中から、丸呑みにされたカカトラを救出する。全身が粘液にまみれた状態ではあったが、当然消化などはされていない。とはいえ、全身を強く圧迫され、呼吸が止まってしまっていた。ナザンが慌てて心肺蘇生を行うと、ほどなくして意識を取り戻す。


「……え、あれ?」


 薬の影響もあり、彼女自身も状況を把握できていないようだった。無理もない。ぼんやりした状態で目を覚ましたと思ったらすでに蛇の腹の中で――そのまま意識を失ったのだろう。


 キャラバンの者たちも起こして、状況を説明する必要があった。


 一人ずつ、未だに眠ったままのキャラバンたちを叩き起こす。揺さぶったり、頬を叩いたり、水を掛けたりする。それでも、なかなか起きなかった。相当に強力な眠り薬を盛られていたことが窺える。


 呑んだ酒の量が少なくて助かった――。ナザンはひとりごちる。の姿の時はアルコールに弱くなる。そのため、振る舞われた酒にも少量しか口を付けなかったのだ。それが、偶然にもナザンの命を救う結果になった。


 キャラバンの中でもっとも酒豪を自負していた男にいたっては、大量に水を飲ませ、胃の中のものを吐かせ――それでようやく、多少はまともになったといった有様だ。


 十二人がようやく話を聞ける程度に恢復する頃には、すでに東の空が白み出していた。


 火が小さくなった焚き火を囲みながら、ナザンが説明を始める。


 目を覚ましたら、カカトラが大蛇に飲み込まれていたこと。薬を盛られたかのように身体が動かなかったこと。そして、キャラバンの人間も眠りこけていたこと。なんとか大蛇を斃し、その中からカカトラを助け出したこと。


 キャラバンの人間たちは、神妙な面持ちで話を聞いていた。自身の体調と、大蛇の死体がこれ以上無い証拠である。ナザンの説明を疑う者はいなかった。


 問題は――、


「つまり、この町の人間が、私たちを殺そうとしたということか?」

 キャラバンの隊長がそう言った。


 ナザンは頷く。

「おそらくは」

「だが、わからない。殺すならば、もっと確実な方法があったはずだ。それこそ、致死毒でも使えばよかったし、わざわざこんな蛇の魔物に、我々を食べさせようとするのは回りくどくないか?」

「そこのところは、殺そうとした奴らに直接訊くしかないだろうな」ナザンは肩を竦める。「もっとも、俺としてはさっさとこの場から離れるという選択肢もありだと思うが」

「そうか――」


 隊長はなにやら考え込んでいる。やがて、ナザンに向き直ると口を開いた。


「我々としては、理由も把握しておきたい。今回の一件は、商人の仲間や周囲の町にも伝えておく必要がある。その際に、なぜそんなことをしたのかという動機がわからないのであれば、片手落ちになってしまう」

「なるほどな」

「この町の人間の口を割らせるのに、協力して貰うことはできるか?」

「――わかった」


 ナザンとしても『理由』は気にはなっていた。


 なので、そういうことになったのである。




 その後の流れは非常にスムーズだった。ナザンたちは身を隠し、明け方、首尾を確認しにきたらしい二人組を、不意打ちで捕らえることができた。


 二人組は、昨日城門の前に立っていた番兵であった。


 縄で縛り上げたふたりは、最初は口を割ろうとしなかったものの、アルキナを抜いて見せるだけで、すぐに全てを吐き出した。


 曰く、あの大蛇が、彼らが〈山の神〉と呼んでいる存在であったそうだ。


「――はじめは、ただの蛇の魔物だったんだ」

 番兵は言った。


 この山を住処とする蛇の魔物の固有種。それが、〈山の神〉の正体だという。

 最初は、ただの厄介な魔物に過ぎなかった。


 小さい頃はネズミなどを食べるだけだが、大きくなるにつれ家畜にも手を出す。凶暴であり、毒も持っているため、噛まれると大怪我をしかねない。当初、町の人間は定期的に山狩りを行い、この蛇が成長する前に駆除を行っていたという話だ。


 この魔物は、通常の蛇とは違い――奇妙な特性を持っていた。


 丸呑みにした獲物を体内で消化する際――呑まれた獲物が『鉱物』へと変わるのだ。自身の身体ほどの大きさの獲物を丸呑みにし、それをゆっくりと消化する。

 消化の仕方が特殊であり、非常に長い期間を掛けてじっくりと消化していく間に、丸呑みにされた獲物を構成する物質が――全く別の鉱物へと・・・・・・・・そっくりそのまま・・・・・・・・置き換わってしまう・・・・・・・・・のである・・・・


 発端は、異様に精緻なネズミの石像が、この蛇のねぐらから発見されたことだ。

 当初は、誰か人間の彫った石像が紛れたのかと思われていたが、どうやらそうではない。蛇に丸呑みにされた獲物のなれの果てであるということが、時間が経つにつれて明らかになっていった(無論、この大きな排泄物を放出するため、総排泄孔はかなりの柔軟性を持っている)。


 蛇は、その特性から〈石蛇いしへび〉と名付けられた。


 石蛇の特性が明らかになった後でも、町の人間にとっては「変わった魔物がいるな」という程度の認識であった。


 風向きが変わったきっかけは、銅で出来た子ヤギの像・・・・・・・・・・が発見された一件だ。


 ――どうやら、石蛇は個体によってどんな鉱物に変わるかが違うらしい。


 だとすれば、もし、食べたものを・・・・・・金に変える石蛇・・・・・・・がいればどうなるか。


 石蛇の本格的な研究がはじまった。それまでは駆除対象であった石蛇を捕獲し、飼育する。生態を観察し、特性を調べる。


 やがて、長い年月を経て――交配を繰り返していくうちに、偶発的ではあるが、ついに食べたものを金に変える石蛇を作り出すことができたのである。


奇跡・・が起きたんだよ」番兵は、自嘲のような笑みを浮かべている。「金に変換する石蛇は、〈奇跡の石蛇〉と呼ばれていた」


 石蛇は、消化に時間をかけるからか、一年のほとんどを休眠に費やしている。獲物を丸呑みにし、消化中の休眠に入る際は、身体を丸め、石のように擬態をしながら、穴蔵で休眠を行う。


 最初は、ねずみを一匹。変換消化にかかる期間は、約半年。


 そうして出来た金のねずみの像は、それまでの町の収入一年分を遙かに上回る値段で売れた。


 ねずみの次は小鳥。その次は鶏。山犬。


 石蛇が成長して行くにつれ、与える獲物も大きくなる。あまりにも高価すぎるため、そのままは売れない。溶かして、金細工として売ることで、町を担う産業のひとつとなった。


 大量の金が安定して手に入ることで――町は、以前とは比べものにならないほど、豊かになっていった。古びた建物はやひび割れた石畳は修復され、町並みは新しくなった。人の着る服や食べるものの質もあがる。

 作物もろくに育たない、辺境の町から一転、独自の産業を持つ商業都市へと生まれ変わったのだ。


 しかし、話はそこで終わらなかった。


 奇跡には、『代償』が必要だったのだ。


 石蛇は、際限なく大きくなる。最初は小動物で十分エネルギーを賄うことができるが、大きくなるにつれ大きな餌が必要になる。そのこと自体に問題は無い。変換できる金の量が増えるからだ。


 問題になったのは、石蛇が餌を選り好みすることだった。


 食事をし、その直後に休眠を取るという生態が理由なのか、自身の身体の大きさに比べ、あまりに小さい獲物には口を付けようとしない。例えば、一メートルを超える体調に成長してからは、ネズミなどには口をつけなくなるのだ。


 順調に育っていった〈奇跡の石蛇〉は、やがて家畜の牛すら食べなくなった――。


「……それで?」


 ナザンが先を促す。番兵たちが、そこで話を止めたからだ。おおよそではあるが、話の先の予想はついていた。


「どういう流れかはわからない――」番兵が、おそるおそると言った口調で話を続ける。それは、罪の告解のようであった。「わからないが、その、試しに・・・人間を・・・――食わせてみよう・・・・・・・、ということになったんだ」


 番兵の言葉に、キャラバンの中の何人かが息を呑んだ。


「きっ、〈奇跡の石蛇〉はあくまで偶然産まれた――それこそ、奇跡の産物だった。死んでしまったら、また新しい金を産む蛇が産まれるとは限らない。現に、今も金を産む蛇は産まれていない。だから、どうしても、諦めきれなかった――らしい」


「石蛇は、人を食ったのか」

 ナザンの問いに、番兵が頷いた。


「おい、それだと辻褄が合わなくねえか?」コパンが口を挟む。「どう考えても、牛より人間の方が小さいだろ」

 彼の言うことももっともであった。だが、ナザンには理由の見当がついていた。

「……おそらく、石蛇が喰らっていたのは、肉そのものというより、そこに含まれる魔力だったんだろう。魔物だからな」

 ナザンの言葉に、番兵が頷いた。


 基本的に、生物の身体が大きくなればなるほど、そこに含まれる魔力量は多くなる。だが、人間という生物――それと、『魔物』と呼称される生物群――は例外で、身体の大きさに見合わない魔力量を有しているのだ。


 推測にはなるが、人間を石蛇に喰わせようと提案した人物も、おそらく石蛇が魔力の多寡で獲物を決めていると見抜いていたのだろう。


 最初は、人を殺した咎人に、薬を飲ませて眠らせたあと、奇跡の石蛇に丸呑みにさせた。


 わざわざ生きたまま飲み込ませたのは、石蛇が生き餌にしか興味を持たないからだ。生物が死ぬと身体から魔力が抜け落ちていってしまうのが原因であろう。


 ――結果は、成功。


 成功、してしまった。

 奇跡の石蛇は、一年後、男の形をした金塊を排出した。


 そして、蛇が人間しか食べられなくなったあとも――町の者は、餌を与えることをやめなかった。


 まずは、罪人を。人を殺したり、家を燃やしたりした、罪の重い者を食わせた。だが、早々重罪人などはいない。次第に食わせる人間の罪は軽くなっていった。


 やがて、罪の軽い者も居なくなると、罪のない人々の中から、無作為に選んで食わせるようになった。


 もちろん、そのままでは問題がある。大きな蛇の魔物に丸呑みにされ、金の塊となり、溶かされ、最後は売り飛ばされるなどということを許容できる人間はいない。


 物語カバーストーリーが必要だった。

 だから、〈奇跡の石蛇〉は〈山の神〉となった。


 神に身を捧げる生け贄。

 そういう体で、町の人間を蛇に食わせたのである。


 〈山の神〉に生け贄を捧げることで、町に幸福がもたらされる。

 捧げなければ、町は災いに見舞われる。


 それが、伝承の真実だ。


「それで――さらに今では、町の人間じゃなく、町を訪れた旅人や商人も食わせているのか」ナザンが吐き捨てる。「まあ、たしかにそのほうが平和・・か。町の中の知り合いが生け贄になるよりも、無関係の人間を殺す方が、心が痛まないからな」

「じゃあ、俺たちは、ナザンが助けてくれなきゃ、あの大蛇に食われて――金になってたってことか……」


 コパンのつぶやきに、カカトラが自分の身体を抱きすくめた。話を聞いている途中から、カカトラは震えていた。無理もない。彼女は、実際に丸呑みにされたのだ。感じる恐怖は、他の者とは比べ物にならないだろう。


「へ、蛇は、食べた獲物の量が多いほど休眠も長くなる」番兵が慌てたように続ける。「今では、大体五年周期だ。五人くらいで、腹一杯になる。毎回毎回、外の人間を食べさせていたわけじゃない。タイミングが合わなければ、町から生け贄を選ぶ」

「……言い訳になっていないな」ナザンが番兵を睨め付ける。「どちらにせよ、俺たちを皆殺しにしようとした事実に変わりは無い。町を訪れるタイミングが悪かったからだ、なんて言うつもりか?」

「皆殺しなんて……」

「蛇が五人で満腹になっても、キャラバンのメンバーが夜の内に減っていれば騒ぎになる。睡眠薬を飲まされたことには気づくだろうしな。そうなったらまずい。だから口封じに残りの人間を殺して――大方、盗賊か何かに襲われたように偽装するつもりだっただろ」


 番兵は、口を噤み、目を逸らした。

 それが、答えだった。




 ナザンとキャラバンは、一刻も早く出発することにした。

 あまり時間をかけて、他の町の人間が様子を見に来ても面倒だからだ。縄で縛った番兵は、そのまま放置しておいた。キャラバンの中には、彼らを殺しておいたほうがいいのではないかと提案する者もいたが、結局手は出さなかった。


 隊長が言うには、今回の一件を周囲の町や商人仲間に知らせ、警告する。それで終わらせるということだ。ナザンも異論はなかった。


 〈山の神〉――石蛇は、すでにナザンの手によって斃されている。番兵たちの話が真実であるならば、新たな犠牲者は出ないはずだ。


 無論、番兵たちが嘘をついた可能性もある。金を産む奇跡の石蛇がまだ残っているかもしれない。あるいは、研究を続け、新たに奇跡の石蛇が誕生するという可能性もあるだろう。

 そういった懸念点を、完全に解決するのは、ナザンたちには難しい。ただの旅人と、十二人の商隊キャラバンに過ぎないのだ。


 〈山の神〉はかなり長い間、あの町に富をもたらしていた。人が消えるスパンも数年に何人かというレベルであり、町ぐるみで隠蔽を行っている以上、物証を手に入れるのは不可能だろう。蛇の死骸――の一部――は回収したものの、動かぬ証拠というには弱い。


 ナザンたちにできるのは、祈ることだけだ。これ以上、奇跡の石蛇が産まれないことを。あの町の人間が、諦めてくれることを。あるいは、警告が人づてに伝わっていくことで、新たな犠牲者が出ないことを。


 ナザンとキャラバンは、慎重にだが足早に山を下る。

 静かだった。誰も、何も話さなかった。

 人と馬の歩く音と、馬車が軋む音だけが、響いていた。


 太陽が、山間から顔を出した。

 朝日が、ナザンたちを照らす。その場にいた全員が、無意識に太陽の方へ視線を向けた。美しい光だった。


「あ」


 ナザンの後ろにいたコパンが、小さく驚いた声を出した。

 ナザンが振り返る。


「どうした」

「戻ってるぞ、人間に」


 コパンの指摘を受け、ナザンが自分の手を見る。毛皮がなくなり、肉球も消えている。爪の長さも短い。人間のそれになっていた。


「太陽が出てる間だけ、呪いが解けるんだよ」ナザンは言った。

「本当に、ナザンだったんだな」

「まだ信じてなかったのか?」


 ナザンは肩を竦める。

 狼男が、日の出とともに人間へと戻る。そのちょっとした現象に、キャラバンの面々は少し盛り上がった。

 幾分か、明るい調子を取り戻した十三人は、そのまま山を下って行ったのだった。



【旅は続く】

 

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