第19話 終転の魔女と透明な聖女1



 家の中に入るとひんやりとした空気に体が包まれる。

 魔女はほうっと小さく息をつき、頭にのせたままの麦わら帽子を取った。

 さらりと銀の髪が顎下で揺れる。

 侍従は彼女から帽子を受け取ると、礼をして茶の準備へと向かった。

 本当に甲斐甲斐しい。

 彼のあの細やかさはどこから来たのか。

 初めて出会った時にはすでにだった気がする。

 それなりの良家に生まれ、世話をされる側で生きてきただろうに。


「はい、喉乾いているでしょう?」


 戻ってきた彼が差し出すグラスを受け取る。

 しっかりと冷やされた茶は乾いた喉をあっという間に滑り落ちた。


「いい時代になったわね」


 水滴がつく暇もなく空になったカップを受け取り、侍従は笑う。


「年寄り臭いですよ」

「年寄りだから」

「見えないですよ」

「見た目も実際に年をとってたら、今頃ここにいるのは骨か塵よ」


 魔女の言い分に侍従は目を丸くしてから破顔する。

 藍の瞳を細めて笑う彼に、魔女は口を尖らせた。


「何よ」

「いえ、骨になったシアを想像してみましたが」


 そう言って彼は言葉を止め、目を細めてまじまじと魔女を見つめた。

 魔女は居心地悪そうに体を揺らして、彼を下から睨み上げる。


「何なの」

「きっと骨になっても美しいんだろうなと」

「んな!?」


 まさかの返しに魔女の口から奇妙な音が漏れる。

 ぱくぱくと口を開閉させる魔女の姿に、侍従は今度は腹を抱えて笑い出した。

 本当に、良い性格をしている。

 勢いよく体の向きを変え、魔女は定位置であるソファへと足を一歩踏み出した。

 その時、外からガラガラと大きな音が響いた。家の前に誰かが馬車を乗り付けたようだ。


「誰か来た?」

「そのようです。見てきますので、ここでお待ちを」


 顔を引き締め、鋭い目つきで外をにらむ侍従。

 その横顔に見惚れそうになり、魔女は慌てて視線を下げる。

 それから足早にソファまで移動し、そこに放りっぱなしになっていたショートベールを手に取った。

 侍従はその様子を見て小さく頷き、それから玄関へ向かって歩き出した。

 まるで子供を見守る母親のような視線に、魔女は照れよりも前に羞恥を覚える。

 ベールを頭にのせてその端を必要以上に下げ、むくれた口を隠した。


 金の瞳をレースのカーテンの先へと向けると、曇りガラスに黒い馬車のシルエットが浮かんでいるのが見えた。

 最近はもっと便利な乗り物ができたらしいが、こんな辺鄙な場所では今まで通り馬車を使うほうが安全らしい。

 そんなことを馴染みの商会から来た男が言っていたことを思い出す。


 その時、魔女の指がピクリと震える。

 外から何やら荒々しい言い合いのような声が聞こえてくる。

 低い男の声がいくつか。そのうちの一つはもちろん知っている人のもの。


「レゾル?」


 侍従の名を呟き、魔女は窓に近づく。

 直後、魔女の目の前にぬっと人影が入り込んだ。


「きゃ!?」


 突然のことに魔女は声を上げて数歩窓から遠ざかる。

 すると、その影は窓の向こうでひらひらと揺れ出した。形からすると、どうやら手を振っているようだ。

 思わず魔女は手を振り返す。相手はそれに気をよくしたらしく、手を振る勢いが早くなった。

 数秒して、魔女ははたとその手を止める。

 一体何をやっているのか。


「何してるんですか!」

「え!?」


 思っていたことと全く同じことを言われ、魔女の体がその場で跳ねる。

 慌てて言い訳を口にしそうになった時、窓のすぐそばから声が聞こえた。


「えー、だって、魔女さん、ここにいるよ?」

「すぐ、窓から離れてください!」

「んな硬いこと言わないでさぁ。おーい、魔女さーん」


 影がまた手を振る。

 窓の向こうで若干聞こえにくいが、声からすると女性のようだ。

 魔女はそれが今日の来訪者だと悟った。






 十分ほどの押し問答ののち、ついに家の中に迎え入れられて冷えた茶を飲んだ客がぷはっと大きな息を吐いた。

 それを苦々しげな眼で見つめるのは、ソファの横に立つ侍従だ。ついでにジロリと厳しい視線を魔女にも向ける。

 仕方がないではないか。暑い中ずっと口論を続ける二人に、魔女のほうが先に焦れてしまったのだから。


「あたし、聖女なんですって。よろしく」


 十代半ばほどの少女が、行儀悪く足を組み軽く手を上げる。

 魔女は黒の紗の奥で金の瞳を細めた。少女の痩せた体ははるか昔、自分が教会に入った時のことを思いださせる。

 だが魔女の機嫌が悪いと思ったのか、少女は二カリと四角く口を開け、ぱたぱたとせわしなく手を振った。


「態度悪くてごめんね。戦争で親が死んで戦場をぶらぶらしてたら拾われたんだわ」

「そう」


 魔女は呟いて、手に持ったソーサーからカップを取ってゆっくりと口をつける。

 爽やかな茶葉の香りが波立つ心を静めてくれる。

 しかし聖女だという少女はじっと魔女を見つめて、おもむろに両手の人差し指と親指で自分の目を最大限に広げて見せた。


「あたしさ、未来が見えんだ」


 奇妙な顔を作ったまま聖女は言う。

 魔女は聖女の開かれた瞳の奥に金の輝きを見つけて息を飲んだ。

 それからちらりと彼女の後ろに立つ司祭へと視線を向ける。

 この場所に通された時から不機嫌な様子を隠さないが、聖女を見る限り彼の態度はいつもこうなのだろう。

 聖女への敬意は見られない。それが少女の粗野な言動によるものか、それとも聖女の力を信じていないのか、はたまた魔女という存在が気に食わないのかは分からない。


 魔女は視線を侍従へと走らせる。

 彼が終始不機嫌なのはおそらく聖女の存在だけなく、この教会所属の男性のせいか。

 記憶の蓋を開けてガチャガチャと全部ひっくり返された気分だ。

 魔女がそんなことを考えているとは露知らず、聖女は軽い食感のビスケットを口にして「美味い」と呟く。ポロポロとこぼれたカスが、聖女のスカートに施された綺麗なレースの中に吸い込まれていく。


「そんでさ、戦場で会った人がいんだけど」


 彼女は次のビスケットに手を伸ばしながら、指先を自分の目に向けて話を続ける。喋るか食べるかどちらかにしなければ、話が終わる頃にはレースの間にはぎっしりと食べかすが詰まっていそうだ。

 魔女はため息をつき、手を振って侍従を呼ぶ。


「ハンカチを」

「気にしなくても」

「私が気になるの」

「……分かりました」


 渋々といった様子で侍従が自分の胸ポケットからハンカチを取り出し、聖女に渡す。

 首をかしげる聖女にため息を吐き、侍従は彼女の手からハンカチを奪って彼女の膝の上に広げた。

 自分が頼んだことなのに、もやっとする胸の内を無視して魔女は話を促す。


「それで? 戦場がどうしたの?」

「あ、うん。ありがと、兄ちゃん。それでさ、戦場を彷徨いてた時にどーしても未来が見えないおっちゃんと会ったんだよね」


 んくっとビスケットを喉に詰まらせ、聖女はコップを呷る。口の端からこぼれた茶を乱暴に手の甲で拭い、彼女はその人物について語る。


「厳しい顔したおっちゃんでさ、今にも死にに行きそうで、未来を見てやりたかったんだけど。おっちゃんはいらねぇ、どっか行けって言うし」


 肩を落とし顔を下に向ける聖女。

 生きるか死ぬかの戦いに赴いて、子供がいたから兵士は彼女を邪険に扱ったのだろうか。


「でもさ、最後に別れる時に、“いつか来世で会おう“って言いに行ったんだけど」


 それは、転生が普通なこの世界では当たり前の挨拶だ。

 戦争が広がったこの時代では特に頻繁に聞かれるようになった。離れてしまえば、いつまた会えるか分からないこの時代では。

 聖女はがばりと顔を上げる。金の虹彩が光を浴びて強く光った。


「おっちゃん教えてくれた。“俺は終転の魔女に今世を最後にしてもらった。だから転生はしない“って」


 その言葉に魔女は組んだ指に力を込める。

 話を聞いているうちに、脳裏に引っかかるものがあった。

 もしかしたら、その人は大規模な戦争が始まる前にここに来た客なのではないかと。


「魔女さん、おっちゃんのこと、覚えてる?」


 煌めく瞳を向けられ、魔女はどう答えるか逡巡する。

 二度と会わない相手だとしても、客の話をするのはどうなのか。

 だが詳細を教える訳ではないからと、魔女は小さく頷いた。

 聖女はそれだけで満足したらしく、ソファーに両手をついてぶらぶらと足を揺らす。


「そっか。まぁ、きっとそうなんだろうなとは思った。未来が見えないって、その先がないってことだからさ、うん」


 納得するように何度か顎を上下させて聖女はため息をつく。

 そして顔を上げた彼女の真っ直ぐな視線が魔女に突き刺さる。

 魔女は今更ながらに自分と相対した人たちの気持ちを理解する。

 心の奥の奥、覗かれたくない柔らかで脆い部分を体表の薄皮一枚下ギリギリまで引っ張り出された気分だ。

 魔女はカップへと視線を落として、底に残った微かな液体に自分の姿を映す。


「それで? ここに来たのは、終転の術を受けるため?」


 魔女の問いかけに、聖女は目をまん丸に開く。

 それから口を大きく開けてぱたぱたと手を忙しなく振った。


「まっさかぁ! ないない! あたし、今の人生に満足してるし、来世もどうにかなりそうな気がするし」


 豪快に否定されて、魔女は気が抜けたように肩を落とす。

 では、わざわざこんなところまで魔女に会いに来たのはなぜなのか。先ほどの兵士の話を確かめたかっただけとは思えない。

 それは侍従も同じだったようで、訝しげな視線を彼女に向けている。

 聖女はそんな二人の考えを悟ったのか、気まずげな顔をして視線を横に逸らした。


「会いたかったんだ。あたしみたいな、人間だけど人間じゃないみたいな人にさ」


 肩を窄めて口を尖らせる聖女。

 幼さを残す彼女のそんな姿に、魔女は強がっていても不安だったのだろうと同情を覚える。

 魔女が口を開くかどうか迷っている間に、聖女は綺麗に整えられた髪をガリガリと乱してから「あ!」と大きな声を上げた。


「お礼! お礼した方がいいよね!? 教会の人がなんか積んでたよ!」

「結構よ」


 聖女の言葉に、魔女は眉間に皺を寄せて即座に拒否する。

 後ろの司祭と侍従が目線で会話をしている。どうせ後で何か受け取るんだろう。体面があるのだから、仕方がない。


「えー、そっかぁ。あ、じゃあさ、魔女さんと兄ちゃんの未来を教えてあげるよ」


 無邪気な顔で告げる聖女に、魔女は紗を透かすように目を細める。

 今度はすぐに断らなかった魔女に気をよくしたのか、聖女は顔中に笑みを広げる。


「兄ちゃんも魔女さんもさ、来世がキラキラだよ!」


 両手を顔の横に上げて、キラキラを表現するように手をくるくるさせる聖女。

 魔女は両眼を限界まで大きくして、彼女を凝視する。

 口が空気を求めてはくはくと開閉を繰り返す。


「魔女さん?」


 聖女が魔女の顔を見て首を傾げる。

 魔女は暴れる鼓動を抑えて、聖女の言葉の意味を確かめる。


「あなた、私に、来世があるのが見えるの?」






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