第8話 熱望/エブリデイ

 彼女は非常によく笑う女の子だった。


 好奇心が旺盛で、世間知らずで、出店に並んでいる店を一軒一軒全力で楽しんでは、春を迎えた野花のように朗らかな笑顔を見せている。


《マスター、そろそろ戻らないとご両親が心配しますよ》

(そうだよなぁ)


 さすがに、事情も説明しないままなのはまずいよな。

 一度引き返すか。


「えへへ、こんなに買っちゃった! 一緒に食べよ?」


 少女は、「お店のおじさんが『お嬢ちゃんかわいいね』なんて言うんだもん」と顔を赤らめた。

 そういうところだと思うよ。


(まあ、これを食べてからでもいいか)

《もう! マスター! そう言って何回目ですか!》


 少女が買ってきたのはこの都市で名物のワッフルだった。

 お土産に人気というのも納得がいく。


「次はあのお店に行きましょ!」


 少女に手を引かれて、お面を買った。

 射的で景品をゲットした。

 一分一秒が溶けていく。


《マスター!》

(わ、わかったって)


 よし、言うぞ。今度こそ言うぞ。

 別に長い前置きはいらないんだ。

 ただ一言、「ぼくももういかなきゃ」と宣言するだけでいい。


「あのさ」


 口を開きかけた俺の半秒先を、彼女が先手で言葉にした。

 だから、口を閉じるしかなかった。


「最後に一か所だけ、行きたいところがあるの」


 まだ幼さの残る顔立ちなのに、少女の表情は、魅力的な大人の女性にも思えた。


「一緒に、来て、くれないかな?」


 俺は少し困って、首の裏をかいた。


《マスター! 今度こそ、今度こそ最後ですからね!》

(お前は俺のおかんか)




「きれい」


 少女が連れてきてくれたのは、碁盤目状に整地されたこの都市を一望できる高台だった。

 展望エリアとして整備されているわけではない。

 言葉にするなら秘密の花園とでも言うべきか。


 人工物ばかりの都市にひっそりたたずむ緑地から望む町の景色は、壮観の一言に尽きた。


「今日はありがとう。すごく楽しかった」


 柔らかな風に、少女が朱殷しゅあんの髪をなびかせている。


「わたし、一度でいいから遊んでみたかったの。自分のお金で買い物したり、出来たての料理を食べ歩きしたりして」


 少女が続けた言葉は、ともすれば風に消えてしまいそうなか細い声だった。

 だけど不幸か偶然か、俺の耳は拾ってしまった。


「――普通の女の子みたいに」


 少女が振り向いた。

 太陽な笑顔が、俺を見つめている。


「今日は夢がかなったみたいで、すっごくうれしかった!」


 少女は笑顔のまま「ありがとう」と続けた。


 だから、気づいてしまった。

 その笑顔が、無理して作った精巧な偽物だということに。


「俺は、エース」

「え?」

「名前だよ」


 なあ知ってるか?

 夢は諦めなければ叶うなんて言うけれど、あれは嘘なんだ。


「『一度でいいから』なんて、人生悟るには早すぎるだろ」


 夢は、諦めきれないから夢なんだ。

 折り合いをつけたつもりでも、挫折したつもりでも、実現するまで何度となく、そいつは人の魂を揺さぶり起こす。

 そんなとびきり魔法みたいなエネルギーを秘めてるから、人はそれを夢と呼ぶんだ。


「また遊ぼうぜ。君の名前は?」

「わたしは……」


 それは突然の出来事だった。

 背中に氷の刃物を突き立てられたような、気色の悪い寒気が走った。


《背後! 敵襲!》


 単語で端的に伝えるアイの言葉を信じ、少女を抱きかかえて前に飛ぶ。


「きゃっ⁉」


 判断が一瞬でも遅れればアウトだった。

 ついさっきまで少女がいた三次元空間上を、鋭利な刃物が一文字に駆け抜けていく。


 振り返る。

 そこに、三人の人影が幽鬼のように立ち並んでいる。


「なんなんだお前たち!」


 そいつらは、顔をそろいの薄布で隠していた。

 衣装の印象は全体的に大人しい色合いで、意識しなければ気配を見失ってしまいそうなくらい影が薄い。


 対面してわかる。

 こいつらは、手ごわい。


 人種で言えば、スパイラルパーマの女と同類だ。


(おいアイ! 禁忌を犯す魔法使いってのは殺人鬼みたいなもんじゃなかったのか! どうなってんだよこのエンカウント率は!)

《相手さんが使ってるのはただの『身体強化』みたいですよ? 少しアレンジを加えてるみたいですが》


 くそ!

 どうして俺は、いつもこういう輩にばかり絡まれるんだ!


 俺がアイに怨念を送っていると、向かい合う敵方の一人がおもむろに口を開いた。


「なんだかんだと聞かれたら」

「答えるな!」

「あいた」


 ふむふむ。左のやつがボケ役で、真ん中のがツッコミ役と。

 となると、右のやつは?


「参る」


 仕事に真剣なタイプだ!


「ひぃぃぃっ!」


 三十六計なんとやら! 逃げろ!


《なぜ逃げるんです! わたしがいればあんなやつら秒殺ですよ! 秒殺!》

(だからだよ!)


 俺の実力じゃかなう道理もなく、アイに任せるとオーバーキルするのが目に見えている。

 現状、俺に取れるのは逃げの一手が最適解だ。


(町まで引き返せればハーティアがいる! そこまで逃げ切れれば――)

《マスター! 止まってください!》


 まだ戦わせる気か!


《空から煙玉が!》


 それを早く言え!


 ぼんと破裂音が響いて、周囲に煙が充満した。


 異臭が鼻を刺す。


「けほっ、けほっ」


 次いで、不思議な感覚に陥った。

 先ほどまでしっかりとあったはずの地面が、突然、泥地に化けてしまったかのように頼りが途絶える。


(ちがっ、これ、足場じゃなくて)

《やられましたね、これ、睡眠ガスです》


 あてにならなくなったのは、地面ではなく俺の意識だった。

 頭全体にもやがかかったみたいに、思考が漫然としている。


(アイ!)

《無理です。魔法薬はきちんと因果律に則って作用する神秘です。因果律を捻じ曲げる魔法と違って干渉が効きません》

(マジ、かよ)


 あれ、もしかしてこれ、やばいんじゃ――

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