第4話 才能/トラッシュ

 数日がたった。

 エルフメイドのハーティアを直接対決で打破した俺は、無事、ひと月後のウィザードリーグ観戦を許可され、平穏な日常を慈しむ日々に戻っていく。


 それが、理想だった。

 現実は非情だった。


「エース様、鍛錬の時間です」

「ひっ」


 棚卸作業を終えて家の裏手に出ると、そこに彼女が待ち伏せていた。

 プラチナブロンドの髪を揺らし、ハーティアが幽鬼のごとく立っている。




「ぁぐっ」


 不可視の刃が閃いた。

 鋭い痛みが頬を割く。

 主犯はハーティアが放った初級風属性魔法だ。


「回避が遅れましたね、エース様。防御呪文で受けようなどと横着するからそうなるのです」

「簡単に、言うけどさ……!」

「簡単です。理解できるまで何度でも学ばせてあげます、よ」


 おかしい。

 俺は何故、いまだにハーティアとまた戦ってるんだ?


「エース様、集中力が乱れております」

「そりゃ、そう、だろ。ハーティアの特訓は、子どもには、負荷がきつすぎるんだよ! もう、限界だって!」


 矢玉飛び交う戦場のごとく、ハーティアが魔法を乱れうちするものだから、ひたすら逃げ続ける俺の肺はすでに悲鳴を上げていた。


《マスター、わたしの手にかかれば、あの程度の魔法、一瞬で散らせますよ?》

(DA・KA・RAだYO!)


 これ以上過剰な期待を背負って生きていくなんてまっぴらごめんだね。

 俺は才能や成功に縛られる人生は前世でもう飽き飽きなんだ。

 今生ではちっぽけな平和を享受する人生を歩むって決めてるの。


「どわぁ!」


 ハーティアの魔法をよけきれなくなって、俺は盛大に吹っ飛んだ。


(くっそー、ハーティアめ! みみっちいにもほどがあるだろ)


 エルフでもない俺に負けたからって腹いせに全力でボコしにくるとか、器が小さいやつだぜ。


《エルフは長命種です。鍛練と称した時間をもうけているのは、エース様が考えているような子どもっぽい理由ではないのでは?》


 いいや、ハーティアはむきになってんだ。

 自分のアイデンティティを侵犯されて、得意分野を守るために躍起になってるんだよ。

 俺にはわかる。


「エース様」


 ハーティアが追撃の手を緩めた。

 相手してらんないよもう。


「あなたがもつ魔法の才能は、歴史上でも類を見ないほど突出したものなのです」


 ハーティアは言う。俺の努力次第に、今後の人類史は大きく左右されると。


「それなのに、どうして鍛錬で手を抜くのですか」


 ハーティアは少しイライラしている気がした。

 やっぱり、俺の予想が正しいんだと思った。


「買いかぶりすぎだって。前回はマグレあたり。俺の全力はこんなもんだよ」

「偶然でも曲りなりでも、無詠唱かつ多重詠唱マルチキャストをその年で成立させたのは事実です」

「き、気のせいだろ。俺は小声で呪文を唱えたし、杖も隠し持ってたし、多重詠唱マルチキャストはハーティアが気を緩めていたせいでそう見えただけじゃないか?」


 もちろん、全部嘘である。


《わたしの手柄ですね》


 淡く光る文字の羅列が、胸を張った気がした。

 おまわりさん、こいつが犯人です。


「エース様」


 ハーティアの両目が、じっと俺をのぞき込んでいた。


「その才能は、くすぶらせておくにはあまりに惜しいものなのです」


 両肩をむんずと掴み、ハーティアが俺に迫る。


「いまから鍛錬を重ねるのです。そうすれば、ウィザードリーグで優勝をつかみ取り、永遠の名誉を手に入れることも――」

「あのさ、ハーティア」


 さっきから、言わせておけば言いたい放題いいやがって。


「興味、ないから」


 ハーティアが絶句した。

 石化の呪文でも唱えられたかのように、凍り付いて微動だにしない。


「な、何を言って」

「永遠の名誉も、死後の世界には持ってけない。だったら、いま生きてる瞬間を楽しく生きた方がよっぽどいいと思うけど」

「エース様、ウィザードリーグ優勝の栄誉は、すべての魔法使いの憧れなんですよ⁉」


 魔法使いが成功を追い求め続けないといけない職業ならば、才能に縛られ続ける人生ならば。


「だったら俺は、魔法使いじゃなくたっていい」


 冷たい風がいなないた。

 ハーティアの表情が、何かをぐっとこらえるような様相を見せ、訥々と、言葉を口にし始める。

 先ほどまでの激昂が、いまは鳴りを潜めている。


「エース様。才ある者には、その才能をいかんなく発揮する責務があります」


 それでも、必死さがにじみ出ている。

 俺に考え直せと訴えているのがひしひしと伝わってくる。


「その才能を腐らせるのは、世界にとっての損失です。それがわからないほど、エース様は愚かではないはずです」


 まるで、全部俺が間違っているみたいに。


「んだよ、それ」


 ドロドロに溶けた熱い鉛のような何かが、胸の奥底でふつふつと湧き上がっていた。


 ダメだ、と。大人げないと、頭のどこかでは理解しているけれど、不条理、理不尽、不合理、不当、溜まった鬱憤がどうにも納まる鞘を知らない。


「両親と一緒に暮らしたいと思うのは、そんなに悪いことなのか? 何気ない日々を大切にしたいと思うのは、他人に非難されないといけないようなことなのか!」

「エ、エース様」


 ハーティアの手を払いのけた。

 隠す気もない明確な拒絶に、ハーティアが怯んだ。


「うるさい! お前に何がわかるんだよ!」


 胸の奥が、ズキリと痛んだ。


 必死だった。必死だったんだよ、俺だって。

 いい大学、いい職業へとキャリアを積むのが親孝行だと教えられた。

 それを叶えれば、よくできたね、自慢の息子だって褒めてもらえると思っていた。

 遊びたい気持ちも、逃げ出したいって弱音も隠して、自分にさえ嘘をついて、その果てに掴んだ成功が俺に与えてくれたのはどうしようもない孤独だった!


「お前なんて!」


 もう、嫌なんだよ!

 同じ人生を繰り返すのは!


「本当の家族でもないくせに!」


 ……口にしてから、ハッとした。

 俺はいま、何を口走った。


「あ、違、違くて、ハーティア、いまのは、その」


 目の前の女性は驚愕と、絶望と、悔恨と、無力感をない交ぜにしたような表情をしていた。

 彼女にそんな顔をさせたのは誰だ。


 違う、違うんだ。


 俺は、そんなことを言うつもりじゃなかったんだ。


 謝れ、謝るんだ。

 悪いことをしたら謝るのは、当然だろ。

 前世と合わせて、何年生きてるんだ。

 子どもみたいな駄々ばっかりこねてないで、さ。


(――本当に?)


 声が、聞こえた。誰の声だ。俺の声だ。

 より正確に言うなら、前世の俺の声。

 成功にとらわれて、成果を出さなければ人生なんて無価値だと信じていたころの、俺の声だ。


(謝るのは自分の非を認めることだ。悪いことをしたと認めた俺を、ハーティアは本当に許してくれるのか?)


 違う、ハーティアは、謝罪を罵倒の許可と受けとるようなひどいやつじゃない。

 謝れば、絶対水に流してくれる。

 だから――。


 ハーティアが、感情の抜け落ちた表情で、俺を見ている気がした。


「ウァアァぁぁぁぁァァっ!」


 逃げた。逃げたんだ、俺は。

 どこをどう走ったかなんて覚えていない。


 人里を離れてどれだけたっただろう。

 気づけば見知らぬ場所までやってきていた。

 生い茂る木々を抜けた先に湖が広がっていて、そこで俺はようやく足を止めた。

 周囲に人の気配はない。

 後から追いかけてくる誰かもいない。


(何やってんだよ、俺)


 前世と合わせて三十年以上生きてるのに、ごめんなさいの一つも、俺は言えないのか?


(そういえば、いつだっけ、最後に、謝ったのって)


 思い返せば、前世では、周りの人間は全員敵だと思っていた。

 味方なんていなかった。


 非を認めれば、隙を作ることになる。

 敵に攻め込む弱点を晒すことになる。

 そう考えていたから、誰かに非を詫びた記憶が、もう、ずっとない。


(ダメだな、俺は)

《そうですね》

(そこは『そんなことないよ』って励ませよ)

《擁護しようもないくらいみっともなかったじゃないですか》


 ぐっ、いや、まあ、その通りなんだけど。


 ……いや、そうだな。本当に、アイの言う通りだ。

 だせえな、俺。


 下唇が、きゅっと締まった。

 嫌な味のする唾液が、口内に広がる。


 生まれ変わって、何もかもがうまくいく気がした。

 でもこんなんじゃ、俺は前世と何も変わらない。

 いつかまた、同じことを繰り返す。

 また、同じ、孤独を。


《大丈夫ですよ、マスター》


 不意に、胸が温かくなった。


《謝るのを苦しい、と思えるのは、マスターが相手の気持ちを慮り、相手の心傷を自分ごとのように共感できる人間らしさを持っているからです》


 アイは語る。

 それは決して、恥ずべき弱さではないのだと。


《大丈夫です。望むならマスターは、どんな自分にだって変身できますよ》

(無責任なこと、言うなよ)

《無責任なんかじゃありませんよ》


 アイは語る。

 胸を張って、自信をもって、太鼓判を押して。


《『大賢者わたし』が、保証します》


 ……んだよ、それ。


《ところでマスター、気づいていますか?》


 アイが突然、話題をそらした。


《右手の茂みの方から、誰かが近づいてきています。一直線に、こちらに向かって》


 目を凝らして見るが、なにも見当たらない。

 茂みを揺らす音すら聞こえない。


(誰もいないぞ)

《いいえ、来ます》


 アイが確信をもって言うものだから、もう一度だけ、そちらに視線をやった。


 刹那、一陣の風が吹き抜けた。

 その風は、黒い質量をもっていた。


「ごきげんよう愛らしいベイビー」


 振り返れば女が、夕日を背負って立っていた。


「ひとつ聞いてもいいかしら?」


 艶のある髪をスパイラルパーマにした、一見して気の強そうな女性だ。

 伸びやかで均整の取れた蠱惑の女が、微笑みながら歩み寄る。


「お前ごときがどうやってあのお方を殺した?」


 女は表情を、悪鬼羅刹のごとく、敵愾心で満たした。

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