第3話 侍女/エルフ
今日は10歳の誕生日だ。
いまは王都近郊で暮らしている。
そうそう、生まれたときのあばら家は、邪悪な魔法使いから逃れるための隠れ家だったらしい。
その邪悪な魔法使いを倒した俺は、いわば魔法界の英雄。
エースの名を世界にとどろかせ――ることはなく、両親とともに、雑貨屋を営んでいる。
《納得いきません。邪悪な魔法使いを倒したのは間違いなくマスターの手柄ですよ》
(まあまあ。10年も昔のことを掘り返すなって)
《でも》
生後間もなくの赤子が、邪悪な魔法使いを倒した、という記録は非公式にしか存在しない。
魔法関係の省庁のお偉いさんが秘匿することを決定してくれたからだ、少なくとも、俺が自分の意志で、自分の道を決められるくらい成長するまでは。
実際、その判断は正しいと思う。
(俺は転生者だからいいけど、普通の子が、物心ついたときから「英雄」、「救世主」と称賛されてみろ)
《クソガキに成長する未来しか視えませんね》
(だろ?)
雑貨屋は小さく、自転車操業だ。
休む間もなく働いてようやく黒字という大忙しな日々だけど、毎日一緒に食事を取れて、くだらないことで話に花を咲かせられる。
アイは不満そうだったが、俺は満足している。
「エース! 帰ったぞ!」
「お父さん! お帰り!」
だっていまの俺には、俺を大事にしてくれる父親がいて、優しくしてくれる母親がいる。
「あなた、今日は早かったのね」
「自慢の息子の誕生日だからな」
前世でどれだけ求めても手に入らなかった幸いが、ここにはある。
「ほら、エース! 誕生日プレゼントだ。じゃじゃーん、魔法使いの頂点を決める大会、ウィザードリーグの鑑賞チケットだ!」
「え! 本当?」
「本当だとも! この大会はお店を休んで、家族みんなで見に行こうな!」
「ありがとう! お父さん大好き!」
それ以上、何を望むというのだろう。
いや、厳密に言えば不満ならある。
この幸せな家庭において、唯一にして最大の障害。
俺の楽しみは、いつも彼女に妨害される。
「憚りながら申し上げます。認められません」
その女性はプラチナブロンドの長い髪をしていた。
服装はいわゆるメイド服で、その職業もやはりメイドだ。
だが、最も彼女を象徴するパーツと言えば、その長くとがった耳だろう。
「エース様は私とお留守番です。いいですね?」
彼女はメイドのハーティア。エルフだ。
王都に越して間もないころに拾われ、以後、住み込みメイドとしてうちに仕えている。
掃除も洗濯も料理も一流。
正直、こんな平凡な家庭にはもったいないくらいだ。
だから、俺は彼女が苦手だ。
「なんでだよ」
「ウィザードリーグは危険な大会です。二百年以上昔には、凶暴な魔物が暴れて観客にも死者が多数出たことがあります。エース様には危険すぎます」
「二百年って……、そんなの昔の話じゃないか」
「ええ。ですが、今回がそうではないという保証はどこにもありません。自分の身を守るすべも持たないエース様の観戦は看過できません」
彼女は過保護なのだ。それも超ド級の。
「ま、まあまあハーティア落ち着いて、ね?」
「そうだよ。いざというときは、僕と母さんが必ずエースを守るから」
母さんと父さんが、ハーティアを説得してくれる。
ハーティアはメイドだ。我が家に仕えている。
主人である父の意向には基本的に忠実だ。
だけど、こと育児の件に関しては平気で口をはさむ。
「守る守らないではありません。そもそも危険な場所へ連れて行くには幼すぎることを問題視しているのです。私の故郷にはこんな言葉が――」
ハーティアはなんだか難しい古語を引用して力説した。たぶん、君子危うきに近寄らず的な内容の言葉だと思う。長命種だけあり、彼女は方々に深い見識がある。
だから、彼女の言う危険だからには説得力がある。
「いいですか? 絶対に認められません。エース様も、おわかりになられましたね」
彼女の言ってることが、理解できないわけではない。
だからいつも、俺が自分を曲げてきた。
やりたいことができなくても、角が立たないように。
せっかく手に入れた平穏な日々を壊したくないから。
でも。
「嫌だ」
どうしたって、曲げられない部分はある。
どうして父さんがこのチケットを、誕生日の今日、買ってきてくれたと思う。
俺が、いつかこの試合を見てみたい、なんて口にしたからだ。
ウィザードリーグのチケットは高価だ。
そう簡単に手に入るものじゃない。
商人としての伝手を最大限活用して、父さんが必死に用意してくれたんだ。
全部、俺を喜ばせるために。
その思いを、無下になんてしたくない。
「エース様、わがままを言ってはいけません」
普段、聞き分けのいい俺が珍しく噛みついたからだろうか、ハーティアは少したじろいでいた。
ほんの少しだけ溜飲が下がる。
「どうしても、というのなら」
ハーティアは懐から杖を取り出してこう言った。
「私に、魔法戦で勝利することです。そうすればエース様の観戦を許可いたしましょう」
魔法戦、というのは魔法ありの対人戦のことだ。
ウィザードリーグで行われるのも広義には魔法戦であり、その目的は、対立者同士の雌雄を決すること。
「そ、そんな無茶な! だってハーティア、君は――」
「旦那様は口を出さないでください。これは、エース様自身の問題です」
ハーティアは言う。「いまここでお決めなさい。傷つくことを覚悟して戦うか、尻尾を巻いて逃げるか」と。
父さんが言おうとしたことは見当がつく。
ハーティアはエルフだ。魔法が得意な種族だ。
そもそも生きてきた年月が違うのに、自分の得意分野で言い聞かせようとするなんて大人げない。
そんなことを言おうとしたに違いない。
勝ち目なんてない。普通であればまず逃げ出す。
だけど俺は、あいにくながら普通じゃない味方がいる。
(いけるか、アイ)
スキル『
生後間もなく、禁術指定されている即死呪文さえはじき返したアイがいれば、エルフだろうと勝てるのではないだろうか?
《余裕です! 完膚なきまでに叩きのめして、マスターの偉大さを示して差し上げましょう!》
(そこまではせんでいい)
俺はなるべく平凡に過ごしたいんだ。
突出した才能を示すつもりなんて毛頭ない。
と、アイに伝えると盛大なブーイングが巻き上がった。
自己顕示欲がない俺が彼女には許せないらしい。
《では、こういうのはどうでしょう》
俺も、アイも自分を譲らなかったので、彼女が折衷案を出した。
《使う魔法は基礎中の基礎である『身体強化』のみ。マスターは魔法を頼らず、拳で戦うそぶりを見せて近づいてください。タイミングを見計らって私が魔法を発動し、隙をついた一撃で勝利します》
(えー、なんか小賢しいな)
《うるさいですね! だったらマスターが代案を考えてくださいよ! エルフのハーティアに勝てて? 魔法の才能を隠せる。そのうえエレガントな勝ち方があるならですけどね!》
まあまあ、落ち着けって。
しかし、まあそうか。
言われてみれば、アイの作戦が一番現実的だ。
(乗った)
ウィザードリーグの観戦チケットを手に入れるためだ。
姑息にだろうとなって見せるさ。
「どうやら、逃げるつもりはないようですね。ではエース様、杖を構えください」
ハーティアが予備の杖を懐から取り出し、俺に向かって緩やかな弧を描く軌跡で放り投げた。
それを掴もうとして、やめた。
「いらないよ、杖なんて」
作戦の肝は、魔法を想定していないハーティアの隙をつくことだ。
杖は持たない方が都合がいい。
ハーティアはあきれたようにため息をついた。
「裏手に出なさい、エース様。教えて差し上げましょう、実力差というものを」
店の裏には、少し湿っぽい空き地がある。
そこで俺とハーティアは、互いに視線をぶつけ合った。
杖を構えるハーティアに向かって走り出す。
彼女の口が動き始めた。
何らかの魔法を使おうとしているのは確かだ。
《いきますよ、マスター!》
っしゃまかせろ。
《
突如体の内からわき出したのは全能感。
形容しがたいほどの万能感だ。
地面がえぐれるほど強く大地を蹴り上げ、ハーティアに肉薄する。
「かは……っ」
彼女の表情が驚愕に染まるのが快感だった。
「しゃいっ! 見たか!」
シャドーボクシングをしながら勝利の雄たけびを上げる。
自分でもずるい勝ち方って自覚はあるからな。
ハーティアがいまのは油断しただけですなんて言って無効試合にする可能性がある。
それを排除するためにも、ちょっと誇張した感じに勝利を喜ぶのが一番と踏んだ。
「エース様、いまのは」
「おっと! 卑怯とか言うなよ? その話を始めると、そもそもエルフのハーティアが魔法で俺に勝負を挑むことが――」
「いえ、そうでは、なく、ですね」
よく見ると、気づいた。
ハーティアの驚愕度合は、尋常じゃない。
(あ、あれ? アイ、使ったのは基礎中の基礎の魔法なんだよな?)
実は俺にこっそり、禁術指定の魔法とか使ってない?
と聞いたら、マスターは私を何だと思ってるんですかと怒られた。ごめん。
《間違いなく、基礎中の基礎である『身体強化』ですよ》
だよな。
「え、えっと。『身体強化』だよ? こんなの、基礎中の基礎、だろ?」
「基礎中の、基礎、ですって?」
ハーティアはふるふると首を振った。
「いまの威力は
おい、アイ。説明しろ。
《呪文は複数人で同じ魔法を唱えることで、その威力を何倍にも引き揚げます。今回はそれを、疑似的に再現しました。わたし一人で》
おいこら。
《なお魔法使いは通常、杖を持ち、呪文を言葉にすることで魔法を発動します》
(おいこら待てや! 俺は、才能を見せつけたくないって言ったよな⁉)
《はい。でもわたし、それに同意してませんよ?》
こいつ!
「エース様、あなたはいったい」
どうすんだよ、これ!
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