第2話 意志/アイ

 考えるべきことはいっぱいあったと思う。


 だけど思考の時間的余地はわずかもなかった。

 とっさに弾けた心の衝動に、身を任せるほかなかった。


(わかった、契約する! だから、なんとかしてくれ!)

《拝承いたしました》


 言い切ると同時に、男の杖が完全に振り下ろされた。

 杖先に灯っていた淡い光が輝きを増し、吐き気を催すような波動があふれ出す。


《魔法詠唱者の術式解析、解読完了》


 文字の羅列は冷淡に、粛々と処理を執行する。


《術式干渉、出力反転を実行します》


「な、なんだ、これは! 呪文が、書き換えられる……⁉」


 押し寄せていた死の予感は、追い風に吹かれて退いた。

 呪文の行使者に牙をむいたのだ。


「ありえぬ……覇王たる我輩が、こんな赤子に敗れるなど!」


 あばら家に断末魔が響き渡った。

 声の主は、俺に即死呪文を発動しようとしていた醜悪な容姿の男だ。


 暴発した呪文が醜い男の体を蝕むと、男は物言わぬ肉体へと変わり果てた。


 後に残ったのは、耳が痛くなるような静寂だった。


 いまさらになって、後悔があふれてくる。


(即死呪文ってのは、禁術なんだよな)

《当然です。その呪文は致死率十割を誇る、必中魔法です。そのうえ防御魔法を無視する貫通性能持ち。わたしがいなければマスターは間違いなく死んでいたでしょう》


 妙に恩着せがましいなこいつ。

 そもそもそんな危機的モブに転生させたのはお前だろ。

 盛大なマッチポンプを演じてるんじゃねえよ。


《不満でしたか? 確かに、マスターに害意を向けながら、即死というのは手ぬるかったかもしれませんね。もう少し長くいたぶった方が……》

(違う! そうじゃない!)


 そうじゃないんだよ。


「いまのは、いったい」

「わからないわ。でも、あの男の言葉通りなら、即死呪文を退けたのは」

「そんな、生まれたばかりの子に、そんなことできるはずが……」


 両親と思しき男女が、緊縮した瞳で俺をのぞき込んでいた。


(こうなるのが、嫌だったんだよ)


 前世の記憶がよみがえる。

 苦しいことばっかりだ。

 必死に成功を積み重ねてきたのに、結局、望んだものは手に入らなかった。


(才能なんてまっぴらだ。俺はただ、平凡な暮らしさえあれば、それでよかったのに)

《え?》


 え?


《マスター。確認させてください。あなたは求め、わたしは応えた。相違ありませんね?》

(生まれ変わりを望んだこと?)

《い、いえ。そうではなくですね。ほら、もう一つ言っていたじゃないですか。こっちまで恥ずかしくなるようなことを》


 心当たりがありませんね。


《わ、わたしに言わせようとしているんですか! マスターは意地が悪いですね!》


 意地が悪いのはどっちだよ。わざわざこっ恥かしい過去を掘り返そうとするそっちの方がよっぽど性格悪いだろうが!


《言っていたじゃないですか! 『アイ、なんだ。俺が唯一、求めるものは』って!》


 だから! 平凡な家庭を望んだんだよ!

 過度な期待を俺に向けるでもなく、突出した才能が無くても愛してくれる、そんな家族を。


《なるほど……理解しました。どこで認識に齟齬が生まれたのかを》


 齟齬が生まれる要素なんてどこにもなかっただろ。


《自己紹介が遅れました。わたしはスキル『大賢者アークインテリジェンス』と申します。AIアイ、とお呼びください》


 ……は?


(てことはちょっと待て! お前はあいAIアイと認識して、こんな真似を⁉)

《十ゼロでマスターが悪いです! きちんと文字で意思疎通をしていればこんな過ち起こりませんでした! わたしを見習ってください!》

(できるか!)


 光る文字の羅列が凍り付いた先のやり取りの意味を、俺はこの時知った。アイって、そういう……。


(え、じゃあ、俺が望んだ平凡な家庭は? 凡才なりの、ありふれた日々は……?)


 と、俺とアイが胸中でやり取りしていると、黄色い、甲高い声が耳元で響いた。


「きゃー! 天才よ! この子は天才なのよ! 見たわよね!」

「もちろんさ!」

「やっぱり! さすがあなたの子ね!」

「いいや君の子だよ!」


 デジタルチックな文字を羅列して、アイが汗を拭く顔文字で安堵を表現する。


《大丈夫みたいですね。お二人はいい人たちですよ、わたしが保証します》

(平凡な日常の方は……?)

《サポートの対象外となっております》


 くっ、こいつ!


「それで、名前は?」

「もう決めてるの」


 両親と思われる二人のやり取りを聞いていて、思った。


(ん? そういえば、なんで言葉が理解できて、そのうえ目も見えてるんだ?)


 生後間もなくは聴力も視力もほとんど皆無って聞いたことがあるんだけど。


《ドヤァ》


 理解した。完璧に。アイの補助のおかげってことね。ありがとありがと。

 光る文字列が「マスターの反応が冷たい」としょげているが、無視無視。

 いま、俺の名前が決定される大事な瞬間なんだ。


《いまこの瞬間翻訳機能を遮断してあげましょうか》

(やっぱり一流だよなぁアイさんは! きっといいお嫁さんになるんだろうな!)

《お、お嫁だなんて、そんな》


 この大賢者、ちょろいぞ。


《で、でも、マスターが望むなら、わたし》


 あ、ちょっと静かにして。

 いよいよ俺の名前が発表されるみたい。


「一本の矢のようにまっすぐ、どんな困難にも立ち向かえる。そんな、勇敢な子に成れるよう、祈りを込めて――」


 母親はたっぷり間を開けて、自信満々に続けた。


アンanアロウarrow。今日からこの子は、ポット・T・アンアロウよ」


 だせえ!


「その名前はやめておこう」

「えー」


 ナイス判断だ! 父さん!

 あなたは命の恩人だ!


「だったら、あなたならどんな名前にするの?」

「そう、だね。君が子に込めたい祈りは尊重して」


 彼は少し悩んだ後、自信なさげにつぶやいた。


「エース」


 言った後、男性はふるふると首を振った。


「いや、君のつけた名前を差し置いてまでつけるべき名前じゃないな」

「そんなことないわ。エース、とっても素敵な名前じゃない」


 そうだそうだ!

 折れるな父さん、そこであんたが引いたら俺の名前はアンアロウになっちまうじゃねえか!


「僕たちにとってはこれからいくつもある子育ての一環でしかないけれど、この子にとっては一生を左右する一大イベントなんだ。軽率な判断はできないよ」

「そうね、歴史に残る名前だものね」

「後世のことまで考えないといけないのか……、荷が重たいな」


 ポジティブか、この両親は。


「んー、そうね……じゃあ」


 母親と目が合った。

 彼女の目は言葉よりも雄弁に語っていた。

 名前は決まったと、これよりほかにない、と。


 終わった。俺、これから一生アンアロウって呼ばれて生きていくんだ……。


「エース。この子の名前は、エースにしましょう」

「え」


 父さんが驚嘆して、声をこぼした。


「話を聞いていたかい⁉」

「うん。でも、この子がエースって呼んでほしいって言ってる気がしたから」


 胸がじんと熱くなった。

 前世の生みの親は、俺が何を言っても、俺の思いをくみ取ってくれはしなかった。

 けど、今生の母は。


「今日からよろしくね、エース」


 俺が言葉にしなくても、思いを受け止めてくれた。

 そのことが、どうしようもなく、うれしかった。

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