第17話 無表情と満面の笑み

「まったく」


「なんか可愛いお母さんだね」


「普段はちゃんとしてるんだよ? でも感情の振れ幅がすごいのか、泣く時は大泣きするし、悲しい時はすごい沈むんだよ」


 それでも翌日にはケロッとしてるから恐ろしい。


「まあいいや。母さんの分をあっためてくるから食べてて」


「うん。お兄ちゃんのお母さんが優しい人で良かった。いきなり『出てけ』とか言われたらどうしようかと思っちゃった」


「それはないでしょ」


「……そうだよね」


 母さんの奇行を見てた時もだけど、水萌みなもさんの表情が暗くなる時がある。


 さすがにここまでくればなんとなくの予想はつくけど、わざわざ聞くようなことでもないので見なかったことにする。


 それより。


「母さんの前では普通に呼びなさい」


舞翔まいとくんお兄ちゃん?」


「次も手取り足取りがいいのかな?」


「舞翔くん」


「よろしい」


 いつも水萌さんに負けていた俺が、ついに水萌さんに勝てるものを手に入れた。


 水萌さんが慣れるまではずっとこれを盾にできる。


「お母さん復活です」


 そんなことを考えていたら顔を洗ってスッキリした様子の母さんがリビングに戻ってきた。


「食べてきたって言ってたけど、コロッケ以外に何かいる?」


「いいや。お味噌汁も作り置きなかったし、ご飯も二人分しか残ってなかったでしょ?」


「助かる」


 母さんの分を用意したとは言ったけど、実際は単純に余っただけで、特に母さんを意識したわけではない。


 それにご飯も炊いたら冷凍保管で、そのストックも俺と水萌さんが食べてるもので使い切りだ。


「ご、ごめんなさい。私のせいですよね」


「あ、大丈夫だよ? ほんとに舞翔の作ったご飯が食べたいだけで、そんなに食べれないから」


「ほんとに気にしないでいいよ。母さんは見た目通りに少食だから」


「誰が合法ロリだ!」


「誰もそんなこと言ってないから」


 実際母さんは水萌さんの隣に立っても身長がほとんど変わらない。


 低身長で童顔だから、俺と一緒のところを誰かに見られると、さっきの俺と水萌さんのように兄妹に間違われる。


 そして親子と訂正すると、俺が父親に間違われる。


「まあそんなことより、お名前は?」


「あ、すいません私ったら。おに、舞翔くんのご飯が美味しくて自己紹介もしないで」


 一瞬不穏なワードが聞こえそうになったけど、踏みとどまってくれた。


 後でご褒美をあげないといけない。


「私は森谷もりや 水萌です。舞翔くんとは同じクラスで、初めてのお友達です」


「舞翔の初めてのお友達になってくれてありがとう」


「? はい」


 多分水萌さんは自分の初めての友達と言ったのだろうけど、母さんは俺の初めての友達と解釈した。


 同じだから訂正はしないけど。


「私は桐崎きりさき 陽香ようか。舞翔と仕事、どっちが大切か聞かれたら迷わず舞翔と答えます」


「でも、舞翔くんを一人にしてお仕事してるんですよね?」


「舞翔、水萌ちゃんはいい子だから絶対に手放したら駄目よ」


「誰が手放すか」


 母さんに言われなくても俺から水萌さんと縁を切ることはない。


 水萌さんは不思議そうな顔をしてるけど、今の質問はどれだけ俺のことを思っているかのテストみたいなものだ。


 あそこで「そうなんですか」とか「自分の子供ですもんね」みたいな返答をしていたら本当に追い出されていた可能性もある。


 俺は気にしていないけど、母さんは俺を家に一人にしてることに責任を感じているのだ。


「お金の為とはいえ、舞翔を一人にしてるのは事実だからね。舞翔は気にしないだろうけど、一人でいるのが好きなのと、一人でいるのが大丈夫なのは違うから」


「それがわかってても一人にするんですよね?」


「そうね。舞翔に甘えてるんでしょうね。知ってる? 舞翔って反抗期まだなのよ?」


「なんだか想像できます」


「感謝しかない母さんに反抗する意味ある?」


 俺はそう言いながら母さんさんの前に温め直したコロッケを置く。


 まったく反抗しないわけではないけど、ただでさえシングルで大変な母さんに反抗して迷惑なんてかけたくない。


 まあ父さんがいた頃から反抗することはなかったけど。


「舞翔ってこういうところがあるのよ。知ってる?」


「はい。毎回ドキドキさせられちゃいます」


 何か変なことでも言ったのだろうか。


 水萌さんと母さんから生暖かい視線を受ける。


「私は空気が読めるから変に突っ込まないけど、舞翔からしたらどうなの?」


「どうなのとは?」


「わかってるのにはぐらかすのは駄目」


 わかるけど、正直に答えても多分母さんは納得しない。


 でもそれが望みなら正直に答える。


「わかんないよ」


「はぐらかしではないね。その前に何かつく?」


「今は」


「ならよし」


 母さんの許しも得たのでこの話は終わりだ。


 水萌さんは不思議そうにしてるけど、教えるつもりもない。


「それより水萌はそれで足りるの?」


「あら?」


「……舞翔くんのばか」


「急な罵倒。そして母さんのニヤつき。……今のなしで」


 水萌さんに釘を刺しておいて自分でその釘を引き抜いてしまった。


 まだ呼び捨てだから取り返しはつくはずだけど、多分水萌さんがそれを許してくれない。


「舞翔お兄ちゃんは嘘つきだ」


「あらあら」


「母さん、今日だけだから。普段は違うから」


「別にいいと思うの。舞翔も兄弟が欲しかったのよね。そりゃ『今は』わからないのも納得だ」


 どうやら取り返しはつかないようだ。


 自業自得すぎて何も言えない。


「まあいいや。そろそろ今日水萌が家に来た理由を説明するね」


「舞翔はなんでこう、羞恥心がないのかしら」


「あるよ。最近は照れてばっか」


 水萌さんを相手にするとすぐに照れてしまう。


 そもそも俺が水萌さんの話をするのに羞恥心を持つ意味がわからない。


 水萌さんとの関係に羞恥なんてないんだから。


「なんか舞翔がごめんね」


「いえ、もう慣れました。それに私もお兄ちゃんに照れさせられちゃったので」


「なんか眩しい。色々な意味で見てられない」


 母さんが両手で目を覆う。


「そういうのいいから。それより水萌が来た理由。水萌の食生活が壊滅的だから料理を教えることになった」


「こんなに可愛いのに?」


「それは思った。毎日パン屋のパンだけを食べてるんだよ? それでこの可愛さ」


「ずるい」


「えっと、なんで急に私をいじめる流れに?」


 そんなつもりはないけど、事実を話した結果、いじめになってしまったのなら謝らなければいけない。


 訂正はしないけど。


「まあとにかく。これからも水萌と晩ご飯を作りたいんだけどいい?」


「もちろん。舞翔の初めてのお友達なんだから大切にしたいもの。でも、帰りが遅くなると親御さんが心配しない?」


「それは大丈夫です。一人暮らしなので」


「それなら尚更じゃない?」


「大丈夫です。心配なんて絶対にされないので」


 さすがの母さんもそれ以上の言葉が出なかった。


 それぐらい今の水萌さんの表情は冷たい。


 いや、諦めて無感情になっている。


「親御さんに連絡もできないみたいね」


「しても私のことだと知ったら切るか『ご勝手に』で済みます。とにかく、舞翔くんと陽香さんが許してくれるのなら、私は毎日来たいです」


「うーん、じゃあ舞翔が送るのが条件」


「でもそれだと舞翔くんに迷惑がかかっちゃいます」


「はい、舞翔の答えは?」


 母さんに手を差し出されたので勘違いを正す。


「そもそも俺は送るつもりだったんだけど?」


「そのままお泊まりして水萌ちゃんを守ってもいいけど」


「ほんとに!?」


「喜ばないの。俺が水萌に何かしたらどうするのさ」


「私が孫の顔を見れる?」


「あんたは止める立場だろ!」


 なんでこの二人は俺のことを全面的に信用してるのかが本当にわからない。


 俺だって男なんだから、何かの間違いで水萌さんに何かをするかもしれない。


 絶対にするつもりはないけど、水萌さんだからいつなにをしてくるかわからないし、その時に俺が耐えられる保証もない。


「私、お兄ちゃんに何かされちゃうの?」


「気にしないで。それより水萌が来るのはいいのね?」


「うん。まあうちに泊まってくれてもいいんだけど、舞翔が恥ずかしいみたいだし」


「俺が水萌に手を出したらどうすんだよ」


「あはは、絶対にない。それにもし手を出したら一番後悔するのは舞翔だし、水萌ちゃんには悪いけど、舞翔のせいでお嫁に来てもらうから」


 すごい冗談を言ってるみたいだけど、母さんは本気だ。


 俺への信頼はもちろんとして、もしもの時は俺ではなく水萌さんに責任を取らせる。


 それが一番俺に刺さるのがわかっているから。


「お兄ちゃんのお嫁さん?」


「その言い方は色々とまずいからね。まあとりあえず水萌はいつでもうちに来ていいってことで」


「やったー」


 さっきの『無』の表情が嘘のような満面の笑み。


 明日もこの笑顔を見るために頑張ろうと思う。


 今日作れなかった卵焼きを明日作ってみたりするつもりだ。


 今はとりあえず冷めてしまったコロッケを食べる。


 食べ終えて二人で洗い物を済ませてから水萌さんを家まで送って行った。


 水萌さんの住む場所は、うちのアパートから歩いて十分ほどのところにある、少し高そうなマンションだった。


 エントランスで「おやすみ、また明日」と言って分かれて来た道を戻って行く。


 行きはすぐだったのに、帰り道はなんだか遠い気がした。


 その日のベッドからは、とても甘い香りがした。

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