第6話 可愛い猫

「……サキ」


「なにか?」


「どういうつもりだ?」


「だからなにが?」


「しらばっくれんな。一回目わざと負けたろ」


 レンの声は静かだけど、おそらく怒っている。


「オレは弱すぎだってか? 相手にならないってか?」


「……」


「なんとか言え!」


 レンが静かに近づいてきて、またも俺の胸ぐらを掴む。


「レン、お前も同じことをしたよな?」


「したよ。人にされて嫌なことはするなってか? だからって……」


 レンの掴む力が弱くなっていく。


 相当に悔しかったのはわかる。


 ゲームセンターで軽く遊んでる程度の奴に負けるなんて微塵も思っていなかったのだろう。


 でも。


「それもあるんだけどさ、怖かったのが一番の理由だよ」


「怖い?」


「うん。レンがやった時の相手は大丈夫だったみたいだけど、だってあったわけだろ?」


 俺が指してるのはもちろん今の状況だ。


 相手がレンのようにすぐキレるタイプの人間だったら、恥をかかされたような対戦を許せるわけがない。


 胸ぐらを掴んで罵倒を言われるだけならまだいいけど、もしも殴られでもしたら……


「レンの綺麗な顔が傷つくのはちょっと怖いかなって」


「……ばか」


 レンが俺から手を離してフードを深く被る。


 だけど悲しいことに頬が赤いのが見えている。


「可愛いをありがとう」


「やっぱ口説いてんだろ」


「レンが望むなら」


「ほんとにやめろ」


 レンがうずくまって耳を塞ぐ。


 これ以上は可哀想なのでやめることにした。とりあえずレンが落ち着くまでは。


「それより罰ゲームをしようか。散財の準備はできてるか?」


「はっ、一発で取れば関係ない」


 もう空元気にしか見えないけど、とりあえずはレンが復活したようで良かった。


 半殺しにしたのは俺だけど。


「それで何を取れと? 無難にお菓子か?」


「お菓子って意外と簡単だから散財が難しいだろ。フィギュアとかぬいぐるみみたいな難しいの行こう」


「鬼畜が。美少女フィギュアとか取って親から白い目で見られろ」


「残念、俺はそういうの気にしない」


 それに母さんの方も俺が多少のアニメを見てるのを知ってるし、からかうことはあっても引くことはない。


 困るとしたら置き場所がないことぐらいだ。


「そもそも選ぶの俺だし。なんか簡単そうでめっちゃ難しいのないかな」


「お前のそういうところ以外と嫌いじゃないけど、それなりで妥協してくれていいからな?」


「なに、口説いてんの? そんなこと言っても妥協はしない」


 俺はそう言って、入って来た時から気になっていたクレーンゲームの前で立ち止まる。


「これにしようか」


「……マジ?」


「大まじめ」


 俺が立ち止まったのは可愛らしい猫のぬいぐるみのクレーンゲーム。


 デフォルメされた三十センチぐらいの色とりどりな猫のぬいぐるみ。


「そういう趣味が?」


「別にぬいぐるみ集めが趣味とかじゃないよ。そもそも俺が貰うわけでもないし」


「お前何を考えてる?」


「別に何も?」


 思いついてしまったのだから仕方ない。


 この可愛らしい猫のぬいぐるみを抱えたレンが、人通りが少ないとはいえ道を歩く。


 それを想像するだけでなんだか微笑ましい。


「お前絶対に変なこと考えてるだろ」


「何も考えてない。ちゃんと取ったら自分で抱えて持ち帰るんだぞ?」


「……後で殴る」


 勝負の結果には従うようで、俺の言ったことを断ることはしないようだ。


 さっきも見た少し高そうな財布から百円を取り出してクレーンゲームをスタートする。


「色の指定とかあんのか?」


「レンって好きな色ある?」


「特にない。強いて言うなら黒系」


「じゃあ水色ので」


「聞いた意味」


 絶対に「特にない」が返ってくるか「黒系」だろうと思っていたから最初から決めていた。


 レンはなんとなく青系が似合う気がしていたから。


「微妙に取りづらいのを」


「他意はない。俺が選んだ色がたまたま取りづらかっただけだ」


「嘘つくな」


「嘘じゃ、残念」


 一回目のトライは掴みはいたものの、そのままアームが上に戻っていった。


「アーム弱すぎだろ」


「押して取るのもできないタイプだから、これはあれか、一定の金額入れたら店員がズラしてくれるやつ」


 クレーンゲームの中には絶対に取れないものもある。


 正確には工夫に工夫を重ねて、更にひと工夫加えたら取れるようなものだ。


 そしてこの台はそれにあたるのかもしれない。


 まずアームが弱すぎてそもそも景品が持ち上がらない場合は、アームで景品を押せばいいのだけど、斜めになってるわけでもなく、ぬいぐるみなので押しても意味がない。


 そういう前提から取れないようなものは、途中で店員が来て取りやすい位置に変えてくれる。


 あくまで俺個人の見解だけど、アームの強い日と弱い日があるのは確かだ。


 テレビか何かで見たが、クリスマスなんかのカップルがゲームセンターによく来る時は、カッコつけたい彼氏にカッコつけさせないようにアームが弱く設定されてるとかないとか。


「ズラすのは負けた気がするから嫌だ。こういうのは重心を見つければいいんだよ」


「さて、散財するまでに見つかるのか、そして見つかったとして本当にそのアームの弱さで上がるのか、次回に続く」


「勝手に終わらすな。見てろ」


 そうしてレンはクレーンゲームと向き合った。


 その金額が野口さんから樋口さんになろうとしていた時、ついに……


「あの、取りやすい位置にズラしましょうか?」


「……」


 レンは黙って場所を少し開けた。


 多分奥歯を強く噛み締めている。


(これはこれで可愛いな)


 負けず嫌いの子が完全敗北を認める瞬間に初めて立ち会ったけど、とても愛らしい。


 口は悪いけど、レンとは仲良くなれそうな気がする。


「……取れた」


「おめでとう。俺はとても満足した」


「うるせぇ! サキもやってみろ、それでオレの傷ついた心を癒せ!」


 なんだかすごい睨まれているけど、取ったぬいぐるみはレンの身長からすると少し大きいぬいぐるみなので、両手で抱きしめるように抱えているのを見ると普通に可愛い。


「お前後でほんとに覚えとけよ」


「なんのことかな? それよりどれとかある?」


「隅っこで寝てるねずみ色」


「あの灰色か」


 無言の正拳突き(痛くない)を背中に受けながら、俺は百円を投入した。


「レンのを見てた感じちょいずらしとかも難しいそうなんだよな」


 クレーンゲームの主な取り方は持ち上げて取るではない。


 それができたら苦労はないけど、大抵はできないので、アームの握る力を使って少しずつ景品を穴に持ってくるのが普通だ。


 だけどこのアームは握る力もソフトタッチでほとんど動かない。


「悩んで苦しめ。オレと同じく樋口さんに手を伸ばせ」


「俺の財布に樋口さんはいないから。あ、夏目さんはいるぞ」


「それって両替えできんの?」


 知らないけどできなそうだ。


 そもそもピン札だからやる気もないけど。


「まだバイト代入ったばっかなんだよ」


「バイトしてんだ。なんか意外」


「どういう意味だし。取れた」


「は?」


 さすがに一回ではないけど、レンと話しながら数回チャレンジして野口さんに辿り着く前に灰色の猫を取れた。


「どうやって!?」


「タグ?」


 タグで合ってるかわからないけど、ぬいぐるみの説明なんかが書いてある台紙を繋ぐ釣り糸みたいな輪っかにアームを通しただけだ。


 前に動画で見たのを実践してみた。


「難しいけど、やってみるもんだよな」


「……」


「レン?」


「圧倒的敗北に打ちひしがれてるんだよ、察しろ」


 レンはぬいぐるみを抱きしめたまま、どこか一点を見つめている。


 今回はたまたま数回で上手くいっただけで、運が良かっただけだ。


 でも今のレンにそれを言ってもただの自慢にしかならない。


「それちょうだい」


「それってこれ?」


 俺が手元の灰色の猫を持ち上げて聞くと、レンは頷いて答えた。


「今日の屈辱を忘れないために」


「じゃあ俺はレンの貰っていいの?」


「別にいいよ。オレだと思って大事にしろよ?」


「当たり前だろ? そのぬいぐるみを見るたびに今日のレンを思い出して腹を抱えるよ」


「オレはそいつに毎日怒りをぶつけてやるよ」


 そう言って交換した直後にレンは灰色の猫を思いっきり殴った。


「愛が重いな。猫に当たるなよ」


「うるさい。決めた、こいつの名前はマイトにする」


「更に愛が重くなった。じゃあうちのはレンカだな」


 売り言葉に買い言葉だけど、俺の言葉を聞いたレンが顔を真っ赤にして、ぬいぐるみでその顔を隠した。


 あざとすぎるのに、なぜか嫌な気持ちにならず、純粋に可愛いと思ってしまう。


(これが恋? ……ではないな)


 水萌みなもさんにも感じたけど、これは懐かない猫がたまに見せるデレ期のようなもので、やはりレンは猫だったようだ。


 水萌さんはなんとなく犬っぽかったけど、レンは猫っぽい。


 だからこのクレーンゲームが頭に残っていた。


 言ったらまた正拳突きか可愛いになるのだろうけど、そろそろレンのキャパシティがオーバーしそうなので今日はこのくらいにする。

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