第21話【第五章】

【第五章】


 撤収用の輸送ヘリに乗り込み、飛行すること約二分。この間、輸送ヘリは主に上昇を続けていた。


 可能性が僅かだとは言え、デモ隊の連中が携行用地対空ロケット砲を有している可能性は零ではない。射程外に出られるほどの、十分な高度を維持する必要がある。

 あとは無事、着陸できるかどうか。飛行場が明るいとはいえ、夜間の離発着行動だ。パイロットの腕前が試されるところだろう。


 結局、俺たちが降ろされたのは、何の変哲もない高層マンションの屋上だった。

 回転翼の撒き散らす轟音から逃れるように、マイク付きのヘルメットを外して距離を取る。


 大河原三佐がパイロットに敬礼していたので、俺も慌ててそれに従った。

 輸送ヘリは早々に離脱し、未だデモの熱気が漂う橙色の空へと飛び去っていく。わざわざ主任務から離脱し、俺たちの後方支援に回ってくれていたようだ。


 屋上に残されたのは、三佐、俺、そして――。


「おい、薫。薫ってば」

「……」


 ヘリに乗ってからこっち、薫はずっと俯いていた。時折涙を拭ってもいたな。

 今はそっとしておいてやるしかない、か。

 名前を呼びかけるだけならまだしも、声をかけてやるのはあまりにもハードルが高かった。


 ――この人殺し!


 当然ながら、薫の言葉だ。金山がハチの巣になって、味方のヘリがキャビンのハッチを開いている。ヘリに向かう俺の後ろ襟を引っ掴もうとしたようだが、戦闘員が次々に雪崩れ込んでくるのに呑まれて俺には届かなかった。

 そんな時、俺に向かって薫が発したのがこの『人殺し』という言葉だ。


 こんな感情的な言葉、気にしないでいるのが一番だ。何を今更、と一蹴するべき。

 だが、今まで薫と接してきて、分かったことがある。彼女は優しすぎるのだ。

 だから光石から授けられる力の中に【銃撃】を入れずに、より微調整の効く【腕力】だけを積み重ねたのだろう。


 しかし、彼女は分かっているのか? そうやって、優しさという手を差し伸べれば、やがてそれが油断に繋がり、ひいては、自分や味方の命を危うくさせる、ということが。

 俺は眉間に穴の開いたゾンビの赤ん坊と、それを抱きしめる薫に、どうしても共感できなかった。


 ひとしきり俺を揺さぶった後、薫を襲ったのは凄まじい脱力感だったようだ。

 涙は止まり、ゾンビの赤ん坊は取り上げられ、よろよろとまるで酔っぱらったかのようにぐったりとへたり込む。

 大袈裟に言えば、死相が出ているといってもいい。


――お前はどうして、そんなに命を大切にしようとするんだ? それ自体は美談かもしれないが、相手が敵性勢力に属する悪党だったとしても、同じ気持ちで戦うことができるのか?

――そんな馬鹿な。自分が死ぬぞ。


 結局その問いを口にできたのは、三佐から通信が入り、三階の四号室を使うようにと指示が入ってからのことだった。


         ※


 さっきの問いを、俺は直球で叩きつけた。怒鳴ったとか泣き落としをかけたとかではない。

 こういう問いを投げる時こそ、ストレートで勝負すべきだと思っただけだ。


 部屋の隅で体育座りをして、膝の間に頭を伏せている薫。悩んでいるというより、悲しみという名のヤスリで心を削り取られていくような、そんな生々しい痛みに苛まれているようだ。


 俺はふっと息をつき、冷蔵庫を漁ってみた。おっと、経口補水液があるじゃないか。

 二本引き抜いて、片方を薫の足元に置いた。


「飲めよ。水分不足は洒落にならねえぞ」

「ねえ」

「おっと!」


 唐突に、足首をがっちり掴まれた。なんとか体勢を立て直し、振り返る。


「なっ、何だよいきなり! 危ないだろ!?」

「あたしの話も、聞いてくれる?」


 俺は目を見開いた。単純に驚いたからだ。コイツが自分から過去をひけらかす日が来るとは、思いもしなかった。

 俺はわざとぶっきら棒に、何だよ? と尋ね返した。


「あたしの両親、あたしが小さい頃に殉職したの。あんたの場合と違って、あたしには二人の記憶がない。まあ、それも幸いだったかもしれないんだけどね」

「あ、ああ……」


 唐突に独白を始められた。加えて、亡くなった家族のことが話題になっている。

俺は思わず怯んでしまった。


「二人共、あたしと一緒で警視庁の人間だった。っていうより、あたしが知り得る両親の記憶のほとんどが、二人は刑事だった、っていう事実に集中している、と言った方がいいかもね」


 殉職、か。

 俺も殉職した戦闘員の葬儀に参列したことはある。だが、それが身内の死についての葬儀となると、記憶があやふやだ。

 両親の遺体の損傷が酷くて、ガキだった頃の俺には見せられなかった、という事情があったかもしれないが。


 思えば、棺桶の中の遺体の顔は綺麗に化粧を施されていた。傷口を目立たなくするためだろう。

 だが、どうしても苦しみ喘ぐほどの苦痛は隠しきれていない。俺の『生』への執着心をガツガツと削り取った原因は、両親が味わったであろう苦悶。それに尽きるだろう。


 俺が考えに耽っていると、キレのある声が薫から発せられた。


「言っておくけどね、あたしは復讐なんて考えてない。怪物や殺人鬼が相手なら別だろうけど、あたしの両親はあたしが他者の命を奪うような人間にはなってほしくない、って考えていたみたい」

「何か根拠はあるのか?」

「ええ。あたしが病院で、両親の死を告げられた時のことよ。あたしに付き添ってくれていた刑事さんが教えてくれたの。職場でも、両親は親馬鹿だったんだって。あんな二人に子供が出来たら、きっと優しくてたくましい人間に育ってくれるだろう、って。どっちも叶えてあげられなかったけれど」


 そう、か――。

 こればっかりは、俺は薫の心に踏み込むことができなかった。

 俺の記憶の底にある『家族』という、一種の人間同士の『特殊な関係』。薫の場合はどうだったのか? そんなものを聞かされたところで、俺にできることは何もない。

 そもそも、薫のご両親が殉職なされて今となっては。


「薫」

「何?」


 床のフローリングの上を彷徨っていた薫の視線がくいっと持ち上げられて、真っ直ぐに俺の目を射抜いて――俺の心を貫通して、俺の胸中に色濃く認識された。


「もしお前がゾンビと遭遇する前に、こいつらは人間には戻れない、ってことを知っていたら、容赦なく仕留められたと思うか? 自分自身で」

「ええ、そうね」


 意外なほどドライな返答。


「むしろ、早く殺してあげたいと思ったかもしれない。生きることが苦しみだったとしたらね」


 その言葉に、俺は自分の脳内で何かがキレるのを感じた。


「薫、つまりお前は、相手が何者かによって、とどめを刺すか刺さないかを決める、ってことか?」

「うん」

「……」


 俺はきっと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思う。

 それだけ衝撃的だったのだ。


「まさかな……。こんなヤツとバディを組まされていたなんて」

「何? 何て言ったの?」

「直球で言葉にしてやろうか? てめえの頭の中は、救いようもねえお花畑だってことさ」


 すると、今度こそ薫は立ち上がった。

 背を向けていた俺の肩を掴んでぐいっと半回転させ、自分の真正面に立たせた。同時に、もう片方の腕には鋭利な金属片を手にしている。どこにあったんだか。


「人命を奪わずに任務を達成できたら、それ以上望むべく事態はないわ。あんただってそう思うでしょう?」

「いいや」


 俺の発した短い否定語に、薫は目を見開き、そして俺の両肩を握り締めた。

 薫は凄まじい気迫で何かを伝えようとしている。だが、口元をひん曲げるだけで、一向に言葉は出てこない。


 結局薫は、両の掌で俺の胸を突き飛ばした。

 バディ解消、といったところか。

 やれやれと俺がかぶりを振っていると、ちょうどよくイヤホン(再支給品)から声が聞こえてきた。


《あー、あー。こちら大河原三等陸佐。葉崎、七原、聞こえるか?》

「こちら葉崎、聞こえます。おそらく七原にも」


 面倒を避けるためか、三佐はすぐに次の作戦について述べ始めた。

 敵の残党は、海岸沿いのコンテナ置き場と、大型変電所の二ヶ所に分かれて行動を始めたらしい。そして俺と薫のうち、どちらかが随伴した方がいいのだという。

 敵の規模からして、海岸沿いのコンテナ置き場には八名、変電所には六名の戦闘員が派遣される。彼らに助言し、支援攻撃を加えるのが任務なのだそうだ。


「それにしても三佐、俺と七原が別行動を望んでいるなんて、よく分かりましたね。

《ま、年の功ってやつだろうな。そろそろ破綻するだろうと思ったから、こんな命令を下した。それだけだよ》

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