第20話


         ※


 俺は足首や膝の筋肉を総動員して、勢いよく黒煙に飛び込んだ。

 薫の名前を連呼する。敵に見つかりかねない愚作だが、今はそんなことを気にしてはいられない。


「薫! 薫!!」


 直後、後頭部に冷気が吹きつけられてきた。

 何だ、と声を上げかけてから察する。どうやら、金山の硬化した腕が俺のすぐ後ろを掠めたらしい。

 

 あとコンマ数秒、俺の足が遅かったら? いや、これこそ余計な考えだ。

 俺はばったりと、わざと前方に倒れ込んだ。匍匐前進の要領で、できる限り自身の身体を前方へ引っ張っていく。

 悲鳴が聞こえた地点からは、もうそう遠くはないはずだ。


 俺は前進を止め、両腕を滅茶苦茶に動かした。


「薫! 生きてるか、薫!」


 すると、人肌の温度の何かが手に触れた。

 人間大の手だ。それに、赤ん坊のそれではない。俺はその手を握り締め、煙の薄いところに引っ張り出そうと試みる。が、しかし、


 自分の掌が急に冷たくなった気がして、俺は慌てて手を離した。

 すると、見る見るうちに相手の手は肘のあたりから形が崩れた。まるで粘性の高い粘土にようだ。

 しかし、その腕はすぐさま再構築された。金山の腕の形状へと。

 槍に戻った自分の腕を引っ込め、通常形態の腕で黒煙を振り払う金山。


「ふむ、なかなかいい線をいったのではと思ったのですか……。やはりお若いというのはいいもんじゃのう、臨機応変に対応できるだけの反射神経を活動させることができて。君のお父上もさぞ満足じゃろうて。格好の実験台が見つかって」

「実験台? ……あんた、何を言ってるんだ?」


 俺は思わず、素の口調で尋ねてしまった。


「俺の両親は爆弾テロでとっくにあの世へ……」

「ん? ああ、そういうことでしたか。失敬、とんだネタバレでしたのう」

「反省する気持ちがあるなら、素直にここでいますぐ死ね。あんたみたいのは、扱いが危険すぎて刑務所には入れられねえだろうからな」


 くくくっ、と笑い声を漏らす金山。笑われるのも仕方ないだろうな、事実なのだから。


「残念ですが、その点を心配するとは、なかなかいい目の付け所じゃ。しかし、それは今この場で儂を倒せたら、という前提条件がつく。そしてその計画は、間違いなくこの段階で失敗じゃ。のう? 七原警部補?」

「なっ、なんで薫が関係するんだ?」


 震え声になりながらも、虚勢を張って尋ねる。この問に対する答えは、あまりにも明確だった。

 金山は悠々と、自らの足元に目を遣った。何か、いや、誰かが横たわっている。

 俺はそれが、今自分が最も気にかけている人物だと、直感的に察した。


「薫! 七原薫! 大丈夫か!?」


 目を閉じ、猿轡をかまされた薫は、ぴくりとも動かない。気を失っているのか。


「なあに、負傷させたわけではありませんぞ。後頭部に軽く一撃を加えただけですじゃ」


 しかし、その言葉が終わる前に俺は飛び出していた。

 腕と背筋の力で上半身を上向かせ、膝立ちに。背中から素早く自動小銃を引き抜き、なんの確認もなく銃撃した。


「うあああああああ!!」

「ふっ!」


 俺の絶叫と共に、金山もまた短く息を吸った。

 すると、金山の身体の前面が盛り上がり、さらにその歪さを強調した。筋肉が凝集されているのだ。


 拳銃程度では大したダメージを与えられるまい。

 俺はそう思っていた。しかし、自動小銃までもがこんなに無力とは……。


 対戦車ライフルに残弾はないし、焼夷弾を使えば薫までもが灰になってしまう。

 強いて言えば、金山の弱点は背中、だろうか。

 今の状況からすれば、金山は背筋までをも動員して、腹部と胸部を守っている。


 この瞬間に、背後から攻撃できれば。だがそれこそ無理な相談だ。

 味方も増援もいない、しかも人質を取られている今の状況からすれば。


 畜生、どうしたらいい?

 俺はギリッ、と奥歯を噛み締めた。


 その時だ。エントランス両脇の壁面が吹っ飛び、回転翼機特有の轟音が響き始めたのは。


「ヘリ? 増援、か……?」

「ぬうっ!?」


 奇妙な声を上げる金山。ヤツの視線が外れたところで、俺は薫のわきに両腕を通し、引き摺るようにして退避した。

 そのまま後ろから薫の頭部を抱き込むようにして、辛うじて耐ショック姿勢を取る。


 目が潰されそうなほどの光量で、エントランスは照らし出されている。逆光になって、金山の姿が見えた。細部が見えない状態だと、目の前に小山があって道を塞いでいるかのような錯覚を覚える。


 しかし、小山の崩壊はなかなかに見苦しいものだった。

 本人も苦しかっただろうな、非貫通殺傷弾――通称ダムダム弾を一身に浴びせられたのだから。


 増援部隊の考えていることは察しがつく。

 俺や薫がまだ廃病院の中にいることを確認し、貫通性の高い弾丸の使用を断念。

 代わりに、貫通性が低くとも臓器を破壊できるダムダム弾を採用した模様だ。


 幸いにして、俺たちは一発も喰らわずに済んだ。これも一重に、ヘリからの援護射撃のお陰だ。


《葉崎! 聞こえているか、葉崎! 応答しろ!》

「はッ、こちら葉崎! 大河原三佐ですか?」

《その通りだ! 我々はこの廃病院を、圧倒的火力で灰塵にするつもりでいる! 現在攻撃中のヘリがいるのと反対側へ、エントランスを駆け抜けろ! さもないと、お前らも丸焦げだからな!》

「了解!」

「分かりました! さあ行くわよ、絢斗!」

「おう! ……って、薫!?」

「そんな驚くことじゃないでしょ、あたしだって、煙から脱出するのに必死で――」


 と、言いかける薫。それを聞いて、俺は安堵した。それこそ、また抱き着いてしまいたいくらい。しかし、薫が言い切る前に、薫は声を発することを忘れてしまった。


 何故なら、彼女が抱いているゾンビの赤ん坊に、俺が拳銃を突きつけていたからだ。

 あんな化け物にまで成長されたら、人類に対する脅威になりかねない。それこそ、金山を上回るような化け物にでもなられたら。


 はっとした薫が赤ん坊を抱き込む前に、俺は零距離で引き金を引いた。

 いったいどんな銃声に聞こえたのか、俺にはさっぱり分からなかったが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る