第19話

 ずるずるずるずる、とゾンビ共の足音が無規則に響き渡る。


「あいつら……」


 いや、彼らとて人体強化術の実験による被害者であり、俺が叱責するのはお門違いもいいところだ。

 だが、俺の殺気、暴力性は、見事に壁の向こうのゾンビたちに向けられている。


「貴様らがいなければッ!!」


 俺は素早く、しかし慣れた挙動で、頭部を低く保ちながら対戦車ライフルの設置場所へと駆けた。途中で何かに数回ぶつかったが、きっとゾンビだろう。

 だが、今やそんなことはどうでもいい。


「薫! エントランスにゾンビ共が流れ込んでる! 応戦しろ!」

《……》

「薫、聞こえているな? 二度は言わねえ! 近い順にゾンビを行動不能に陥れるんだ! 分かったな!」


 薫からの返答がないままに、俺は対戦車ライフルに異常がないことを確認。そのまま腹這いになり、右腕で弾丸を装填し、左腕で銃身を支える。

 セミオートに設定し、白煙の向こうへ向かって発砲する。半ば適当だったが、煙がだんだん薄らいできたことを加味すると、狙いは随分とつけやすかった。


 おっと、弾倉を交換しなければ。弾薬はまだ余裕がある。しかし、この先に何が出てくるのか分からない以上、無駄撃ちは避けねば。


「これでも食ってろ!」


 俺が放り投げたのは、件の灼熱手榴弾だ。

 ぱっと真っ白な光が瞬いた直後、俺は再び身を翻した。対戦車ライフルを回収して、柱の陰に身を潜める。

 薫が無事かどうかは分からない。だが、ゾンビたちに致命傷を与えたのは確かだ。


 すると、耳をつんざくような鋭利な叫び声が響いた。


「……なんだ?」


 俺はゾンビたちの後方から迫りくる何者かに、意識を集中させた。

 見えない敵にフォーカスするのは困難だが、足音やその振動から、大まかな体格と体重、接近速度などは感じられる。――大物だな。


 俺は対戦車ライフルを見下ろした。弾丸は残り二発。

 心細く思えるが、さっきの灼熱手榴弾で大方のⅡ型は駆逐したはずだ。

 ボスと思しき敵の登場に備え、雑魚を排除するためにこの二発を使ってしまおう。


 俺がそう思ったのも束の間、奇妙な現象が起こった。

 こちらに向かっていた雑魚が足を止めたのだ。

 何か警戒されるようなことをしただろうか? いや、そんなことは……。


 そう俺が考えを巡らすうちに、ゾンビには再び異変が起こっていた。腰部からぷしゅっ、と濁った血液が噴出し、そのまま床に落ちたのだ。上半身だけが。

 あたかも、胴体を日本刀でばっさりと斬り捨てられたかのようだ。


 この斬撃が繰り返されること、あと三回。これでⅡ型は全滅した。残るは大型ボスだけだ。

 今俺の正面で赤い眼光を光らせているのはボス、ということになる。

 こちらの出方を窺っているのか、さっきより足取りは鈍くなった。


 俺は念のため対戦車ライフルを回収。テーブルの陰に身を寄せた。弾丸さえあれば、こいつはまだまだ使えるんだ。ライフルをそっと壁際に立てかけ、代わりに対物ロケット砲を担ぎ上げる。


 弾数は六発。一回の戦闘で使い切るのは、あまりに贅沢な弾数だ。しかもここはエントランスといえども屋内だし、特別広いわけではない。

 発熱効果を売りにしている兵器を使うには絶好の場所だ。

 テーブルの陰から身を乗り出し、照準を定めようとする俺。

 

 そして息を止めた。否、止められた。


「……」

「おうおう、そう来なくてはのう。最近は専ら、ここに近づく輩もおらんでな、鮮血に飢えとったんじゃ」


 本来なら、ゾンビは喋らない。ほぼほぼ人語を解さない。

 だが、こいつは悠々と、流暢な日本語で語りかけてきた。十分な知性も蓄えている様子。


 巨人というには小柄だが、人間として見れば、明らかにおかしい体格をしている。

 体高は三メートル近くあり、一見細身に見える体躯はボコボコと何かが浮き上がっている。ああ、これは血管や筋肉だ。


 コイツは素っ裸なのだろうか? 巨人用の衣類なんて、そのへんのスーパーやデパートでも取り扱ってねえぞ。


 それにしても、コイツはどうやってこんな巨体を手に入れたんだ? 【格闘】の効果を五つも六つも強化されたのではと疑いたくなる。

 

「どうした? 儂の姿が醜いかね? ああ、それはそうだとも。ここで培養したゾンビやⅡ型の研究の最高傑作が、儂自身だからのう。儂の名は、金山銀司。元はしがない生物兵器の開発主任じゃった。諸々あって、今は諸君らをここで待たせてもらっていたのじゃ。諸君を叩き潰すためにな」

「ああ、そうかい!」


 言い捨てながら、俺は反対側の柱に向かって駆け出した。その陰に滑り込む。

 だが、無傷でとはいかなかった。防弾ベストの背部に違和感が走ったのだ。


「おおっと、惜しい」


 余裕のある金山の言葉。

 安全圏に入ってから振り返った俺は、ごくりと今日何度目かの唾を飲んだ。

 そこには、巨大な槍が突き刺さっていたのだ。

 これが防弾ベストを裂いたのか? どれだけ精確に操られるものなのだろうか? いやそもそも、これは巨大なゾンビ、金山の仕業なのだろうか?


「おや? おかしいのう。情報では諸君らは二人組じゃ。もう一人、いるはずだと思うんだがのう」


 そう言うと、さっきの槍が、ばきりと音を立てて引き抜かれた。しゅるしゅるといいながら、金山の腕と同化していく。

 あれは腕を槍状にして、敵に突き立てる技だったのか。


 ここまで考えをまとめてから、やっと薫の身を案じ始めた。

 そう言うと俺がとんでもない薄情者だと思われるかもしれない。だが、戦闘そのものを最優先でこなしていかなければ、俺は死ぬ。

 そうなっては、救える命も救えない。


 結果、俺は自分のことで手一杯であり、薫の安全の一端わきに置く外なかった。

 ダン、ダン、ダン、ダン……。

 床面のリノリウムをぶち抜きながら、金山が近づいて来る。あたかも執事か何かのように、落ち着き払った様子で。


 身を乗り出すのは危険だ。俺は金山を直視せず、音と記憶に従って、エントランスの様子を脳内で構築した。

 薫もただ、ボーっとしていたわけではないらしい。俺のようにどこかに隠れているのだろう。


「実はのう、葉崎さん。あなたには賞金が掛けられているのですじゃ。もちろん、我々の仲間内のものだがのう」


 どういうことだ、と声を上げようとして、俺は慌てて口に手を当てた。


「葉崎絢斗さん、七原薫さん。お二人を儂が仕留められれば、まだまだ生物兵器の研究が続けられるわい! 年寄りの我儘と思って、ここは一つ、儂に殺されてみてはいかがかのう?」

「うるせえ、クソジジイ。俺は、自分の死に場所は自分で決めようと思っていてな。その提案には乗れねえんだよ、タコが」


 俺はわざと、金山を挑発するような言葉を探し、発した。

 金山は表情一つ変えない。だが時間稼ぎならできる。

 今回の《ヘキサゴン》で発生した事態。それは、俺たち二人だけの任務としては、あまりにも荷が勝ちすぎるものだ。


 あわよくば大河原三佐の人脈で、あと六、七名の増援を寄越してほしいものだが。

 だが、三佐は俺たちの戦いっぷりを――この街の異常性にピンと来ていたはずだ。増援はきっと来る。

 いや、たとえそうだとしても。


「俺が相手で残念だったな、金山さんよ! こんなカビ臭い廃墟でくたばるのは、お互い趣味じゃねえよな! ……っと!」


 俺はロケット砲の本体を隠していた。床下のスペースへ続く蓋が緩んでいたので、軽く外して収納しておいたのだ。

 このアイディアに至ったのは、まさに金山がエントランスに入ってこようとしていた時だったのだが。危ない危ない。


「教えてやる。あんたは図体がでかいだけの、木偶の棒だってな!」


 すっと肩にロケット砲を担ぎ上げ、焼夷弾が装填されているのを確認。カウントダウンはおろか、一呼吸する暇すら与えなかった。


 迅速に、そして精確に。

 そう念じてからスコープを覗き込み、俺は躊躇いなく焼夷弾を発射した。


 着弾直後、真っ赤な爆炎と真っ黒な黒煙が舞い上がり、そして真正面からは、ズズン、という重低音が何重にも重なって轟いた。

 俺は素早く次弾を装填、同じ箇所に撃ち込んだ。今度は天井から砂塵が舞い散ってくるほどの打撃だ。これで生きていられる人間なんて――。


「げほっ、けほ、ごほ……。んん。どうやら最近の若者文化は理解しかねますな。そのお陰で、先手必勝というのが常套手段なのだと理解したからのう、今度は儂から出向いてみようかの」


 俺は舌打ちした。焼夷弾の二発目は余計だったと思ったのだ。

 煙が邪魔で、状況の把握が困難なのだ。


 こんな状況でも、何故か薫の声は聞こえてきた。いや、声というより悲鳴だ。


「薫ッ!!」


 声がした方へと、俺は駆け出した。

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