第18話


         ※


 俺はスポーツバッグから部品を取り出し、対戦車ライフルを組み立てた。我ながら慣れたものだと思う。

 それからロケット砲だ。ライフルに比べると、構造も組み立ても極めて簡単。だが、撃てるのは一発だけ。いちいち次弾を装填しなければならない。

 まったく、世知辛い世の中だ。


「薫、離れていろ。陽動が必要になったらインカムで呼ぶ」

「了解。そんなことにならないうちに、あんたがゾンビを倒してくれればいいんだけどね」


 ……それを言うなよ。


 戦闘体勢の重火器二つを置いて、俺は通常の手榴弾をドアに貼りつけた。もうじきこのドアは破られる。だったら少しでも多くのゾンビに消し飛んでもらうのが効率的だ。

 俺は素早く対戦車ライフルを一時回収。エントランスを支える柱の陰に隠れた。対戦車ライフルを抱きしめるようにして、呼吸を整える。


「さあ来い、化け物……! 薫、ちゃんと伏せているな?」

「はいはい! 同じこと何度も訊かないでよ!」


 そいつは失敬。

 俺はカウントダウンもなしに、手榴弾の起爆スイッチを押し込んだ。


 どんっ、という重い振動が、エントランス全体を震わせる。僅かに砂状のコンクリート片が落ちてくるが、関係ない。

 それよりも――これも作戦の一つだったのだが――、大きな変化がエントランスと直通の廊下に起こった。天井の照明が点いたのだ。


 俺が作戦について思案している間に、薫が外部のブレーカーやら送電装置などを操作してきてくれた。これなら、役に立たない赤外線バイザーがなくとも戦える。


 俺は唇を湿らせ、引き金に指をかけた。

 ばんっ、という音と共に、ジェット機を優に超える速さで、大口径弾は発射された。


 着弾した時の音はよく分からない。だが、先頭のゾンビは上半身をのけ反らせ、四散してしまった。すげぇ威力。


 と、感慨に耽っている場合ではない。俺は次弾を装填し、我先にと見境なく迫りくるゾンビの群れに照準を合わせた。――消し飛べ。


 第二弾を発射したあたりで、俺はややコツを掴んだように思う。

 ライフルの反動をどう押さえるか? それは慣れたものだ。まさかゾンビのような、非現実的な敵を相手に使うとは思わなかったけれど。


 だが、問題はそう多くはない。ゾンビの動きは緩慢だし、対戦車ライフル(またはそれに匹敵する重火器)を使えば難なく撃ち払うことができるだろう。

 この勝負、貰った。この勢いで黒幕をぶち殺してやる。


 対戦車ライフルの弾倉はあと一つ。そろそろ陽動係の登場といくか。


「薫! そろそろだ! 奥にいるヤツらを手前に誘導してくれ!」

「……」

「おい薫、どうしたんだ? 出番だぞ!」


 俺はやや苛立ちを含ませた。しかし、それでも薫からの返答はない。


「何やってんだよ!」


 拳銃を取り出し、いつでも迎撃体勢を取れるようにして、俺は彼女の方を見遣った。

 薫はこちらに背を向け、ぺたんと尻を床につけている。全身を脱力させているのだろうか。


「……の……よ」

「あん? 何だって?」

「あんたのせいだって言ってんのよ!」


 あまりにも唐突な怒号。俺は一、二歩と後ずさった。

 まさか、こんなものを目にすることになるとは思わなかったのだ。


「お、おい、どうして泣いてるんだ、お前……?」


 今の薫の顔と言ったら、ひどいものだった。

 あれだけ整っていて凛とした顔は、今や涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「何があったかはちゃんと後で聞いてやる。だから今は陽動を――自分の使命を果たすんだ!」


 そう言うと、薫は再び尻餅をつく格好で泣き崩れてしまった。

 俺が薫の腕を取って引っ張り立たせようとした、その時だった。俺のイヤホンから、明瞭な声が響いてきた。


《そう責めないであげて、絢斗くん。七原さんは今……ちょっとね》

「どういうことなんだ? って、あっ……ヴィーナス博士、ですか」

《察しが悪いわね。まあいいわ。今はそんなことはどうでもいい。繰り返すけれど、七原薫さん……。今はそっとしておいてあげなさい》

「はっ、はあ!? 何を言ってるんですか!? 今は実戦の真っ最中なんですよ! それなのに――」

《だからこそ、なのよ、絢斗くん》


 観察眼には恵まれなかったのね。

 そう言われて、俺は怒りで頭が真っ白になりかけた。

 しかし、そういった心理的ストレスに対抗しうる訓練もまた、俺は受けてきた。

 一つ深呼吸をすると、再びヴィーナスの声が聞こえてきた。ちょうどタイミングを見計らったように。


《最初にあんたたちが遭遇したゾンビ……。Ⅱ型と違って、きちんと栄養と薬物投与をすれば、元の人間の姿に戻れるっていう話だったけれど》

「ええ」

《最新の報告書によると、どうもそう上手くはいかないようなのよ》

「上手く、いかない……?」


 単刀直入に言うわね。

 そう言って、ヴィーナスはふっと息を吸った。


《ゾンビ化した人間は、元に戻すことができない。そう分かったのよ》

「へ?」

《ちょっとはあんたも自前の脳みそを使いなさい! いい? 薫は、自分にはゾンビ化した人たちを救えると思って戦っていた。でもそれが不可能になったのよ。黙っていられればよかったのだけれど、再度覚醒したゾンビに襲われたら元も子もないからね。伝えなくちゃならなかった、ってわけ》

「え? んじゃあ……。っていうか、どうして俺が悪者なんです?」

《薫はあんたに心を開きつつある。さっき私の研究室を訪れた時から、そんな気配は感じていたけれど。もし私だったら、ゾンビは生き返るから確実に殺さなければならない、なんてこと、とてもじゃないけど言えやしない》


 だからこそ、あなたの言葉で、薫に言い聞かせてもらいたかったのよ。

 そう付け加えるヴィーナス。


《でもあなた、イヤホンもマイクも外していたでしょ? 後方からの指揮を前線の兵士が無視していたら、勝てる戦闘も勝てやしない。まさか、そんな単純なことまで――》


 ヴィーナスからの通信は、唐突に打ち切られた。

 というか、俺が一方的に切った。

 自分が平常心でないことは分かっている。だからといって、俺の胸中で暴れ狂う『怒り』という名の怪物を押さえ込めるか? 決してそうではない。


 気づいた時には、俺は自分のイヤホンをぐしゃぐしゃに踏みにじっていた。

 なんて幼稚なんだろう。そう俺は思ったし、傍から見てもそう思われるだろうな、とも考えた。


 俺は、自分の脳裏にまで上り詰めてきたどす黒い感情を隠すことなく、薫へと向き直った。

 よく見ると、そこにいたのは薫だけではなかった。彼女の胸に抱かれるようにして、赤ん坊が眠っている。肌の色合いからして、ゾンビになりかけといったところか。


 それを見て、自分でも信じられないほどの嫌悪感が湧き上がるのを、俺は感じた。

 コイツはもう、人間には戻せない。戻そうとして下手に時間をかければ、完全なゾンビになってしまう。つまり、人間を襲い始めるのだ。


 確実に仕留めるには、今まさにこの瞬間しかない。

 俺は、我ながら流れるような所作で銃口を赤ん坊に突きつけた。ゆっくりと銃口を上げ、眉間に狙いを定める。しかし――。


 俺が自衛隊で受けてきた訓練。体力も知力も、随分鍛えてくれたものだと、今更ながら感謝している。

 だがよりにもよって、こういう非情な判断をするために必要な精神力までは授けてくれなかったようだ。

 原因は明らか。俺の直属の教官にして上官だったのは、あの大河原弘毅・三等陸佐だったから。


 俺に咄嗟の判断ができない理由。その原因こそ、五年前のジャングルでの戦闘だ。

 三佐が、自爆テロを画策した少女を救おうとしたせいで優秀な隊員が命を落とした。俺が軽傷だったのは偶然に過ぎない。


 それは分かっている。三佐の判断ミスだと断言してやってもいい。

 しかし……だが……!


「……くそっ!」

 

 俺は拳銃をぐいっと引き離し、握ったまま頭を抱えた。

 そのまま、薫から引き下がる。正確には、ゾンビ化している幼児からだろうか。それともその両方だろうか。


 いずれにせよ、発砲しなかった俺は褒められてもいいと思う。

 誰から? 知るかよ、そんな些細なこと。


 俺は素早く拳銃をホルスターに戻して、エントランスを行ったり来たりした。

 頭を掻きむしり、そこいらの柱を蹴りつけ、壁をぶん殴った。

 よくこれで流血沙汰にならなかったものだ。もしそうなっていたら、精密な銃火器を扱う際に支障が出ていただろうから。


 そんなことをしながらも、俺には実感があった。

 エントランスと廊下を繋ぐドアの向こうに、ゾンビが大挙して押し寄せていること。その確固たる実感が。

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