第15話

《よし、打ち上げるぞ! 三、二、一!》


 ぱんっ、と軽い音がした。三佐が特殊な拳銃で、照明弾を撃ち出したのだ。

 俺は焦らず、しかし迅速に両目を腕で覆った。

 さらに過ぎること、数秒。ばん、という破裂音がして、真っ白な光がぎらぎらと周囲を照らし出した。何もかも、である。


 本当だったら、俺はバイザーの上から自分の目を腕で覆い、完全に視界を閉ざしていたはず。だが、俺はそうしなかった。

 ゾンビの大まかな数と、外見的な特徴などを把握しておかなければならない。


「……ん?」


 俺の胸中に、ふと違和感が湧いてきた。

 確かに、さっき自分で確かめた通り、連中の血色は悪くて目は血走っている。

 しかし、それだけだ。ゾンビという言葉から連想されるような、血や肉の露出、尖った牙や爪といった外見的差異が見られない。


「こいつら、もしかして……?」


 ゾンビじゃない。ゾンビらしい言動を取らざるを得なくなった、千鳥足の人間たちだ。

 光石の恩恵を受けた様子もない。で、あれば。

 俺は自動小銃の弾倉を外し、初弾も取り除いた。代わりに装填したのは、強力なゴム弾の込められた弾倉。


「まあ死にはしねえよな!」


 照明弾は、ゆっくりと下りてきて今や風前の灯火状態。だが問題ない。俺も薫も、敵の数と位置は把握済み。

 敵は合計十体。いずれの個体も、入院患者用の白いパジャマを身に着けている。不衛生な感覚は生じない。


「よし……」


 俺はセミオートにレバーを切り替え、銃撃を開始した。

 のっそりしているせいか、特にこれといった反撃も、回避される不安もなく、俺は淡々とゴム弾を叩き込んでいった。


 しかし、ここでトラブルが起きてしまった。


「ちょっ、勝手に一人で――」

「安心しろ、薫! 俺一人で片をつける!」


 怒鳴ってみたが、逆効果だった。俺がゾンビたちの眉間にゴム弾をぶつけている最中、薫が撃つな、やめろと喚きだしたのだ。これでは集中できないな……。

 また、ゴム弾の弾倉もあと一つしかない。今まで四、五体は無力化したが、これでようやっと半分だ。せめて追い払うだけでもできないだろうか。


 俺が実弾の使用も止むなしと考え始めた、まさにその時だった。

 俺は何者かに勢いよく突き飛ばされた。言うまでもなく、薫の仕業だ。


「おい馬鹿! 相手はあと四体だ、その間にお前を誤射しちまう!」

「気にしないで。そのための防弾ベストでしょ?」

「自動小銃の威力は拳銃とは比較にならねえ! 貫通されるぞ!」


 そう言い切るや否や、俺の背後で、ごおん、という音がした。廊下を構成していたコンクリートが跳ね飛ばされ、マンション外壁にまでひびが入る。


 何をやってるんだ、と言いかけた俺だが、実際は俺が舌を巻く事態となった。

 トンッ、と地面に降り立った薫は、そのまま勢いよく一回転。残るゾンビたちの頭部を一蹴した。といっても、首が折れたとか、もげたとかいう様子ではない。

 頭に衝撃が走って、昏倒した様子なのだ。


 最後の一体が、残力を振り絞って立ち上がろうとした。が、それに対しても薫の不殺精神は揺るがない。相手が膝立ちになったところで、さっと肘鉄を一発。

 数本の歯をばら撒きながら、後方にぶっ倒れた。


 流石だな、この女。光石の能力付与を、格闘戦能力に全振りしただけのことはある。


「絢斗、あんたは三佐に連絡を。あたしは周辺警戒にあたるから。通信が終わったら合流して」

「了解。……って、大河原三佐!」


 誰かの手が自分の肩に載せられたのには驚いたが、そこにいたのは三佐だ。彼が担当していたベランダ側のゾンビの駆逐は完了したらしい。


「葉崎、それに七原警部補、怪我はないか?」

「はい、二人共無傷です」


 既に一階に下りている薫の代わりに、俺はまとめて答えておいた。

 それを見て、三佐は一つ頷いてこう言った。


「私はドローンが撮影した映像処理にあたる。ヴィーナス博士の支援も必要だ。周辺警戒は、お前と七原警部補に任せたいんだが、どうだ?」

「はッ、問題ありません」

「銃火器の扱いはお前の方が上だと聞いている。七原警部補の援護を頼むぞ」

「了解」

 

 再び頷いた三佐は部屋に引っ込んだ。さっきまで手を加えていたトランクサイズの無線機を展開し、誰か――きっとヴィーナスだろうな――と連絡を取る算段なのだろう。


 俺が外部階段を下りていくと、そこには薫がいた。

 あるゾンビ状態にある男性の顔を膝に載せ、ペンライトを眼球に当てたり、肩を揺すったりしている。


「薫、どうだ?」

「どうっていってもね……。酷い栄養失調だわ。経口補水液と点滴を容易する必要がある」

「ここに持ち込むのか? 至難の業だぜ」


 俺は思わず肩を竦めた。


「いくらヴィーナスが監視カメラを潰しているといっても、いい加減当局で気づく連中が出てきてもおかしくはない。大体、昨日の夜から今日未明まで、銃撃戦をやっていたんだぞ? 一般住民から通報された可能性だって――」

「だからって放っておけないでしょう!?」


 思わず一歩、俺は後ずさった。薫の気迫に押されたのだ。

 と同時に、疑わしくも思われた。


「なあ、薫。お前、警官より医者にでもなったらどうだ?」

「は?」

「救急搬送されてきた患者の対応とか、随分と慣れているじゃねえか」

「まあね。これでも警視庁の人間だし」


 おいおい、それじゃあ防衛省の人間である俺が、患者の前では無力だって言われているようなもんだろうに。ま、俺と薫の対応力を比べれば、認めざるを得ないことだが。


「不殺の精神、ねえ……。ご苦労なこって」


 しまった、言い過ぎたか。

 と思ったのは俺だけで、薫はゾンビもどきの連中の状況を着々と調べていた。

 それから顎に手を遣り、うーむ、と唸る。


「どうしたんだ?」

「ゾンビになった人たちを、元に戻せる可能性がある。でも、それに使う薬剤がとっても珍しい液体だから、あるとすれば――」

「中央病院か」


 こくり、と頷く薫。

 しかしマズいぞ、もしかしたら、そこで新たな敵が待ち構えているかもしれない。


「薫、このゾンビたちを元に戻すのに、制限時間はあるのか?」

「明日未明の〇時〇分がタイムリミットね」

「そうか……。慎重に動くとすれば、余裕があるとは言えねえわけだ」

「そう。どうやって移動したら――」

「葉崎、七原、ちょっと来てくれ」


 そう言って会話を打ち切らせたのは三佐だ。


「ヴィーナス博士がお呼びだ。通信限界の制限もあるから、すぐに来てくれ」


 俺と薫は顔を見合わせたが、すぐに二人で『了解』と告げていた。

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