第14話

「……」

「いいわよ、別に。あんたとあたし、っていうか、防衛省と警視庁ではまるっきり違うからね、戦う相手も、頼れる助っ人も、武器の取り扱い方も。ただ、連携だけは取れたらいいかな、って思っただけ」

「ああそうかい」


 そう言いながら、俺は無造作に床に寝っ転がった。両手を後頭部で組んで、仰向けに横たわる。


「ちょ、ちょっと! 絢斗はちゃんと考えてんの?」

「生憎、俺にも考えたいことが山ほどあってな。今は休ませてもらうぜ」


 はあ、と溜息をつく薫。呆れている様子だが、そいつはお互い様だ。

 コイツにこれ以上関わっていたら、俺も寝不足になっちまう。

 どう足掻いてみたところで、俺も薫も人間だ。永久機関を搭載しているわけではない。

 考えるべきは、光石から授かった能力付与についてだ。三日間という期間限定がある。暇をしている余裕はない。


 もしかしたら、佐々木やジンのように、光石を利用して戦いを仕掛けてくる者もいるかもしれない。出発予定時刻が繰り上がる可能性だってあるんだし、ゆったり休んでいられる保証はない。


 なにやら薫と三佐が話し込んでいるようだが、俺はお呼びでないようだな。俺に関係があるのなら、俺を叩き起こしてでも話の内容を聞かせるはずだし。

 やがて、玄関から出ていく三佐の背中を見送り、俺はぎゅっと目を閉じた。


         ※


 翌朝。

 俺はぱちぱちと瞼を開閉させた。さて、そろそろ六時半になるはずだが。


「あれ?」


 俺は携帯端末の時刻表示を見て、小さく呻いた。今は六時半ではない。まだ四時だ。もちろん午前中の。

 真夏だからだろう、既に陽光が差し始めている。だがその光の輪郭が、どうにも曖昧に見えてしまって仕方がない。今日の天気は曇りなのだろうか。

 それにしても――。


「む……」


 我ながら、起床時刻が狂ってしまうとは珍しい。身体の重心が安定しないし、軽い倦怠感さえある。


 二度寝をすればいいのだろうが、一旦起きてしまうとなかなか寝つけない。俺は起床することを決定し、腹部に掛けられたブランケットをどけた。

 そして、首を捻った。


「ブランケットなんか使わなかったぞ、俺は……」


 そう。俺は寝間着姿で、何も身体に掛けずにフローリングに横になったのだ。腹部を冷やさないのは、体調管理上の重要事項。だが、誰かにそれを為されているというのは、なんだかとても奇妙な感覚だ。

 一応、気分としてはサッパリしている。だが、身体は相変わらず怠い感じ。即座に起床して戦闘体勢に入れるほど優秀な人材ではない。


 俺が額に手を遣ってかぶりを振っていると、穏やかな寝息が聞こえてきた。俺の聴力がようやくまともに機能し始めたということか。


 その寝息を立てている人物に振り返る。

 薫だった。髪は背中や肩に流され、薄い唇と高い鼻がある。実に穏やかだ。


 俺は考える。

 コイツは本当に、実戦を経ることで自分が強くなれると思っているのだろうか?

 否定しきる根拠はないが、強くなる過程で死んでしまったら元も子もない。

 さらに言えば、力をつけた人間が欲するのは、さらに高度な力、圧倒的な存在感だ。キリなんてあったもんじゃない。

 まあ、薫がそれほど傲慢な人間だとは思えないが。


 って、待てよ。今更だが、このブランケット、もしかして薫が掛けてくれたのか?


「コイツ……」


 なんとも複雑な波に心を揺さぶられながら、俺は考えた。

 自分のこと、任務のこと、訓練のこと。

 いつもなら、この三点セットで十分頭を使ったはずだ。しかし、今日は勝手が違った。


 七原薫のこと。三点セットにプラスアルファだ。

 あまり気にしていなかったが、お袋を除いて、こんなに異性と一緒に過ごした一日はなかったかもしれない。

 昨日という日を迎えるまでは。


「……」


 俺はしばし、薫の寝顔を見つめた。なんだか、さっきまで荒れていた心の表面が、すうっ、と凪いでいくような感じがする。


「んあ」

 

 俺は奇妙な声を上げ、彼女の頬に伸ばしていた手を止めた。

 何を考えているんだ、俺は? いや、考えていなかったからこそ、こんなことをしたのか? 薫だって嫌がるはずだ、少しは彼女のことを考えろ。

 

 ぶんぶんかぶりを振りながら、俺はもう一人の同伴者のことを考えた。

 いくら歴戦の猛者だといっても、戦闘待機中の三佐を一人で放っておくわけにもいくまい。

 俺は拳銃と自動小銃の分解・掃除を行い、それぞれ初弾を装填。防弾ベストとホルスターを身に着けて、ベランダに足を踏み出した。


         ※


 三佐は双眼鏡を手に、マンションの周囲を見渡していた。上空から、扇風機の羽の回るような音がする。ああ、あれが三佐の取り寄せたドローンか。


「大河原三佐、自分です、葉崎です」

「おう、早いじゃないか」


 三佐の声がくぐもって聞こえてくる。徹夜中の人間とは思えない、はきはきとした声だ。


「見張り役、代わりましょうか?」

「若いもんがそう苦労を背負いこむ必要はない。二度寝したらどうだ?」

「そうもいきません。既にパジャマは脱いでしまいましたし、銃器の点検作業も完了しました。三佐も、少しでもお休みください」


 そう声をかけても、三佐の警戒心が揺らぐ気配は皆無。流石とでもいうべきか。

 だが、今は俺にだって言いたいことがある。


「三佐?」

「ああ、すまんな。では、葉崎には私の援護を要請する」

「援護?」


 思わず訊き返した。何かあったらしいな。


「了解しました。では自分も射撃準備を――」


 と言いかけて、俺の言葉はぶつり、と切り離されてしまった。中佐の重機関銃の発砲音が轟いたのだ。


「葉崎! お前は反対側に出ろ! 包囲されたらマズいぞ!」


 包囲されたら? 何だ? 敵は何者なんだ? 

 ええい、自分の目で確かめる外ないということか。


「ど、どうしたの、絢斗?」


 ベランダに向かおうとして振り返ると、薫は早速起床していた。防弾ベストや各所のプロテクターの装備は完了しており、ピンと背筋を伸ばして正座している。


 取り敢えずそれを目視確認した俺は、薫のそばを通り過ぎながらその腕を掴んだ。


「ちょっ! な、何?」

「俺にもよく分からねえ! 取り敢えず、向こうは三佐が抑えてるから、俺たちは出入口側に出るぞ」

「えっ、ああ、了解!」


 薫が言い淀んでいる間に、俺は玄関ドアに通ずるドアに耳を当て、迫りくる何者かの気配を感じ取ろうとした。

 気配はやや下方に、北から南へと流れていく。複数いるようだが、正確な人数までは分からない。


 光石の恩恵を受けている様子ではあるが、かといって気分が高揚したり、全能感に浸ったりするわけではない。自分の意思をなくしてしまったかのようだ。


 俺は小声でそれらのことを薫に伝えた。首肯する薫。俺はゆっくりとドアを開け、銃口を覗かせる。そして、その先にあった光景によって、不快な波に呑まれそうになった。


 しゃがみこんで、指でドアを突いてゆっくりと空間を確保していく。

 自動小銃を抱きしめるようにして、さっと共用廊下に出る。

 それから、柵の間から銃口を出して、セーフティを解除する。


 俺と薫が、加えて三佐が見ていた光景。それは、街路を埋め尽くすゾンビの群れだった。

 ゾンビ、などと安易な言い方に聞こえるかもしれない。だが、そうとしか見えないのだ。


 血色の悪い体表部に、血走った眼球。四肢に異常はないが、動きはあまりにも緩慢だ。

 やはり便宜上、ゾンビと呼称するほかあるまい。やたらと高齢者が多いようにも思えるが、元の姿や意識を取り戻せはしないものだろうか?

 考えているうちに、ゾンビたちの視線は俺と薫に集中していた。


「クソッ、俺たちを食おうってのか?」

「待って絢斗! 彼らを元に戻すワクチンか何かがどこかにあるんじゃ――」

「悪いな、薫。少なくとも俺は、敵性生物と遭遇したら、すぐに殲滅するように命令を受けているんだ。人間だろうがゾンビだろうが、敵に遭遇したら倒さなきゃな」

「馬鹿言わないで!」


 薫の拳が、ほんの数秒前に俺の顔があったところを通り抜けた。


「まったく、どうしてあんたはいっつも殺すことしか考えないの? 佐々木のことも、ジンのことも!」


 俺は薫に一瞥さえくれる気にはならなかった。無言で自動小銃のセーフティを解除し、先頭のゾンビの額を狙う。

 そして、小さく舌打ち。


 ダットサイトのお陰で、細かい狙いをつけることはできる。だが、ゾンビたちを一体一体仕留めるには、全体的な場の光量が明らかに足りない。


 どうしたらいい――?


《聞こえるか、葉崎?》

「はッ、大河原三佐!」

《俺が今から照明弾を打ち上げるから、そのうちにできる限りの目標を沈黙させろ! バイザーは下げておけ! 七原警部補には、室内で近接戦闘に備えるように伝えろ!》

「了解しました!」


 俺は薫の両肩を掴み、開きっぱなしになっていた玄関ドアから薫を部屋に放り込んだ。

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