第13話


         ※


 あー、まあ、なんだ。事の次第はこうだ。


 薫より先に風呂に入った俺は、今日一日に及ぶ戦闘のために、心底疲弊していた。

 そしてそのまま、壁にもたれてうたた寝をしてしまったのだ。


 その間に、全身麻酔から解放され、意識を取り戻した薫が入浴。今度は俺が悪夢に囚われ、どうしようもない不安と苛立ちと寂寥感に心を支配されてしまった。

 そこで目を覚ました俺は、今回の任務で遭遇した薫のことを思い出し、なりふり構わず抱き着いてしまった、というわけ。

 そこで俺の意識がバッサリ斬り払われているのは、薫が俺の眉間に喰らわせたジャブの狙いが精確だったことの証左だろう。


 これだけははっきりさせておきたいのだが、俺は何も、セクハラの自覚があってこんなことをしたわけではない。異性としてではなく、本当に、ただ純粋に、相棒としての薫を求めていた。それだけなのだ。


 これだけの釈明をする間、薫は赤面したり、頭を抱えたりと、様々な顔芸に勤しんでいた。


「だ~か~ら~! 俺はなにも、お前の裸を覗こうとしたわけじゃなくって!」

「はぁ? 何よそれ! まるで、あたしの身体に興味がないみたいじゃない!」

「それはそうだ、俺だって好きでお前の入浴姿を覗こうとしたわけじゃないんだからな!」

「なっ! あたしの身体に興味がない、ですって? まるであたしが、魅力のない女だって言われてるみたいでムカつくんですけど?」


 ああ、まったくややこしいヤツ。取り敢えず、会話中にまたジャブが飛んでくることがなかったのは僥倖、といえるかもしれないけどな。


 俺はあぐらをかいて、片手で額を押さえていた。対する薫は、正座したままじっと俺を見つめている。おいおい、ガン飛ばすなよ。おっかねえ。


 そんな緊張の糸は、しかし一瞬で切れてしまった。

 薫が俺から目を逸らし、冷蔵庫に入っていた缶コーヒーに口をつけたのだ。

 俺も喉、渇いてたんだよな。これ幸いと、俺は自分のサイダーを手に取り、ぐびり、と飲み込んだ。この一口で、半分は俺の胃袋に収まったと思う。


 ところで、この部屋にいるもう一人の人物を忘れてはいけない。大河原三佐だ。

 彼は現在、無線機の周波数を調整中。俺はゆっくりと立ち上がり、三佐のそばで腰を下ろした。

 無線機は小さめのトランクに内蔵されていて、そのトランクを開錠することで本領を発揮する。

 だが、これが役に立つのだろうか?


「三佐、このあたりの監視カメラは潰されています。ECMが仕掛けられていてもおかしくありません。無線通信が上手くいくかどうか……」

「問題ない。ヴィーナス博士が上手く手を回してくれているはずだ」


 おや、と俺は意外に思った。


「三佐もヴィーナス博士に協力を要請しているんですか?」

「要請、というべきか……」


 三佐は僅かに顔を顰めた。

 

「今回の任務を命じられてから、《ヘキサゴン》のことはある程度調べさせてもらった。なんでも、警視庁御用達の敏腕通信士がいるというじゃないか」

「それがヴィーナス博士である、と?」

「そうだ。私は警視庁の人間のフリをして、彼女の力を借りている」

「何ですって!?」


 薫が素っ頓狂な声を上げた。


「ヴィーナス博士は、警視庁のお陰で命拾いをしたというご自分の経験から、我々に協力してくださっているんです! そんな博士を、防衛省の外郭組織の人間が利用するなんて!」

「七原警部補。今私は、あなたと口論するつもりはない。自分のみならず、部下の命も懸かっていると言われれば、使えるものはなんでも使う。目的のためなら、手段を選ばない」


 警察組織の方々には馴染まない考えなのかもしれないが――。

 そう言いながら、三佐は無線の調整作業を続けている。ダブルタスクというやつだろうか。

 確かに俺も訓練時には、複数の敵の配置を瞬時に把握できるように、と言われていたな。


 それはさておき。


「お、おい、落ち着けよ薫、警察と自衛隊じゃ命令系統はまるっきり違うけど、けどな? 見れば分かるだろ? この人は、大河原三佐は、俺やお前とは比べ物にならない数の修羅場を潜り抜けてきた人なんだ。ここは三佐の邪魔はせずに、素直に従った方が……」


 ふーーーっ、と薫は鼻息も荒く、踵を返して飲みかけの缶コーヒーの下へ引っ込んだ。

 ん? 指示しておいて言うのもなんだが、俺にはその薫の行動が意外に思えた。


「あの薫が、俺の言葉に従うなんて……」

「意外なのか?」

「えっ? ああ、はい」

「そうか。面白いな」


 僅かに口角を上げながら、三佐はそう言った。


「何が面白いんです?」

「いや、気にするな。私も年を取ったのだということを、実感させられたまでのことさ」

「はあ」


 そういうもんなのかねえ?


         ※


 そんな会話をしている間に、無線機の小型スピーカーから音が流れてきた。

 砂嵐のような音だが、すぐに音質はクリアになり、通信相手の声が聞こえてくる。


《あー、あー、こちらヴィーナス。アルファ1、応答願います》

「こちらアルファ1。周波数の調整は完了、我々の現在位置の特定願えますか?」

《特定完了。明日の時刻〇六:三〇に再度通信接続し、次の光石能力付与容疑者の居場所をお伝えします》

「了解。念のため、ドローンを数機ずつ各住宅街の上空で旋回させてください。異変などありましたら早急にお知らせ願います」

《了解。通信終わり》


 音声は唐突に、ぷつんと切れた。


「と、いうわけだ。私が寝ずの番をするから、君たち二人は休むんだ」

「そんな!」


 俺の喉から、妙に歪んだ音が飛び出した。


「三佐お一人にお任せするわけにはいきません! もし複数の敵に包囲されたら……!」

「問題ない。そのためのドローン使用許諾だ。それにな、葉崎。君は私と一緒に死ぬような、器の小さい人間ではない」


 俺は困惑した。俺は持ち上げられているのか?

 いや、大河原三佐はずっと、実直で正直な人間だった。きっと今回も例に漏れず、暗に俺を心配してくれているのだろうと思う。

 だからといって、俺は彼を許したつもりはない。

 あのジャングルでの戦闘で、自爆テロにより味方の生命が奪われたことを、忘れはしない。


 俺は立ち上がり、ゆっくりと三佐の下から離れた。

 やはりこの人は変わっていない。仲間と敵の命を天秤にかけている。


 ……なんて馬鹿なことを。

 敵というのは、いつどこから現れ、俺たちの生命を刈り取っていくのか、さっぱり分からない。

 そんな連中の罠にみすみす嵌るようなことをして、部下を死なせたことに責任を感じないのだろうか? 


 もし『あの時』、警察なり自衛隊なりが素早く動いていたら。すなわち敵の排除を優先してくれていたら。

 そうしたら、俺と両親はテロリストから解放されただろうし、そもそも銃撃を受けて命を落とすこともなかったのかもしれないのだ。


 敵性勢力は、徹底して殲滅すべし。俺が自衛隊員として某国の諜報機関で訓練を受けた際、現地の教官はそう言っていた。

 それができないから、日本人は弱腰なのだと言われていることを、三佐が知らないでいるはずがない。

 だというのに……。


 俺は周囲に憚ることなく、大きな溜息をついた。立ち上がって、先ほどのサイダーを置いていたところまで撤退する。

 薫もついてきた。なんだ、アイツまだコーヒーを飲み終えてなかったのか。


「絢斗くん、今夜は大河原三佐が見張りを引き受けてくれたわ。今はゆっくり休みましょう。――と、言いたいところだけれど」

「あん? なんだよ、もったいぶりやがって。あと、俺を『くん』付けで呼ぶな。なんだか落ち着かねえ」

「はいはい、分かったわよ」


 ふるふると頭を揺すってから、俺と目線を合わせる薫。だが、そこに攻撃の意図はないように感じられる。強いて言えば、躊躇い、だろうか。


「変な意味で取らないでほしいのだけれど……。あたし、あなたの生き方に興味があるの」

「は? 俺の?」


 こくこくと頷く薫。


「あなたのことが分かったら、戦闘をもっと迅速に進められそうな気がするのよ」

「へえ」


 薫は頭を抱え、なにやらぶつぶつ呟いた。言葉にまとめるのは難しい、とか。

 実際のところ、俺たちがチームで行動する時に、誰がどのポジションにつくかを決めてしまえば、後は機械的に任務をこなしていくだけの関係だ。

 それなのに、俺を知りたい、だと?


「冗談よせよ、薫。俺が何だってんだ。余計な感情は捨てておけよ。お前は俺の相棒だし、俺にはお前をいざという時に守ってやるだけの義務がある。余計な感情を挟んだら――」

「その時は、ちゃんと自分で責任を取るから。だから、あんたはあんたの正しいと思うように行動してくれたらいい。そもそもそういうものでしょう? 絢斗」

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