鏡餅

訪問当日。秋雨がしとしと降りしきる中、到着したクリニックの前には「薬局の入口でたまに見る」まあまあな大きさの可愛いオレンジの象くらい大きい、見たことのない鏡餅のゆるキャラみたいなマスコットが出迎えてくれた。


「なんで鏡餅なんだろう?」不思議な気持ちで院内に入ると高橋先生が待ち合いの隅に座り、ノートパソコンをカチカチしながら私達を待っていた。今は診療時間外である。お昼休みに時間をとってお話してくれる事になっていた。

私が高橋先生と対面した瞬間に感じたことは「私としずくを足して2で割るとこの人の様になる」という謎の感覚だった。直線を書いて私としずくを線の端っこに立たせたとしたら、そのちょうど中間地点にいるイメージというべきか。そしてそう思えるくらい、開業医としてはかなり若々しい人だった。さすがにお幾つですか?とは聞けなかったが、色々な考察込みで30歳±5歳くらいだと思う。


「はじめまして。矢野しずくさんと柏木小音さんですね。私は高橋望(もち)と申します。よろしくね」


「不思議な読み方をするお名前ですね、素敵です」ある意味素直なしずくの横で「玄関前のお餅は先生の名前の読み方から来てるのか!」と頭の中がスパークして勝手に盛り上がってる私。

そんないつもの凸凹な二人に、先生は絶対音幹についての私見を話してくれた。まとめると。


「人間の脳は2つのパターンで自分に降りかかる事象について対処し「体にどのように動くべきか」という信号を送っている。①は初めての事への対処。②は過去の記憶や経験したことを思い出し、今起きてる事と照らし合わせてする対処。

例えば、初めてお皿を洗う時と何回も洗った経験がある状態でお皿を洗うのとでは、脳が処理する「行程」の数が違う。後者の②で対処した時、脳は「深追い」をしない。なぜならそのほうが楽だからである。それは恐らく人間の脳が一日にできる「正しい判断」の回数が決まっているとされているからに違いない。


なのだが、中には脳の記憶を司る機能が、何かしらの要因により覚醒することで、普通は「パッパ」と処理して終わらせるべき事を何故か深追いするタイプの人がいる。昔の経験などを奥の方から引っ張ってきて、どんな些細なことでも現在に照らし合わせるのだ。これを記憶のメモリー容量が多いと仮定し、更にその照らし合わせる整合性自体が飛び抜けて高い、という2つが重なった時に「絶対音幹」という次元に到達するのではないか。

そしてこれは矢野しずくに限られた能力ではない。その2つが重なり素養がある人には絶対音幹の感覚が宿る可能性があると思っている、ということであった。


当事者として、的を得ていると思った。

事実、私はしずくから教わることに成功したし、実際にどういうものが絶対音幹なのかが感覚として解るようになったからだ。

そしてこの考察の優れているところは、私が絶対音幹を取得したことを先生は知らないということ。それを証明する式を解答のない状態で導き出しているというところだ。


もちろん高橋先生に協力させてもらうことにした。解明出来るならしてほしいし、もし出来たならば後世にまで生きるような「何か」を起こせるかもしれない。冗談でなくそう思えた。

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