挿話 きらめく風の記憶(3)

 狭くて窮屈な花崗岩の裂け目を、ふたりは出口を求めてひたすら突き進む。

 壁伝いに生える青白い光苔が道標みちしるべとなって、このまま先へ進むようにうながす。

 レベッカの荒い息づかいとクラリスの咽び泣く声が間近で反響し合い、互いの強迫観念をより強くさせていた。

 心臓が今にも破裂しそうなほど、激しく鼓動する。

 頭の混乱状態をなんとかしようにも、レベッカとクラリスには、それを成す人生経験が少な過ぎた。


「ううっ……ひっ、んぐッ……うう」

「クラリス、泣くなら外へ出てからいっぱい泣けって! 体力はとっておくんだ! 絶対に大丈夫だから! 大丈夫だから、オレに全部任せろって!」


 ヤスリのような岩肌に激しくぶつかり、ふたりの衣服や露出している肌がみるみるうちにすり切れ、薄黒く汚れて血もにじませる。だが、痛みを感じる余裕も暇も無い。ゴブリンの群れから逃げきるためには、一秒でも時間が惜しかった。


「がんばれクラリス! ここからは、道が広くなる……ぞ……」


 無慈悲なことに、必死になってたどり着いた先は、行き止まりだった。

 いや、違う。そこは、ほんの少しだけ広い、小部屋のような空洞。辺り一面には、まだらに群生する青白い光苔が星空のように輝き、地面に転がる様々な種類の動物や人骨をあやしくらしていた。

 どうやらここは、ゴブリンたちの餌場えさばのようだ。


「そんな……マジかよ……なんて……こった……」


 レベッカの模造刀を握る手から覇気が消えていき、やがて偽物の剣先は足もとの割れた頭蓋骨に向けられる。

 ゴブリンは、自分たちよりも賢かった。

 罠にめられた。

 あれだけの数がいて、しかも、光苔の明かりまである道を塞がないはずはない。

 ここへ逃げ込むように、最初からそう仕向けられていたのだ。


「……罠だ。罠だったんだ」


 落胆するレベッカのそばで、クラリスのすすり泣く声が不意に止まる。


「ねえ……わたしたち、ここで死ぬの?」


 レベッカは、無言のままなにも答えられない。名の売れた預言者でなくとも、この先のふたりの未来は確実に当てられるだろう。


「……痛いのは嫌だけど、レベッカとだったら、一緒に死んでもいいかな」

「おい! なにを馬鹿な──」


 言葉の続きを、クラリスのやわらかな唇がさえぎる。


「──ぷはッ!」


 思わず突き飛ばしたレベッカは、驚きの表情を目の前のクラリスに向けたまま、無意識に手の甲で何度も唇をぬぐった。


「失礼ね、もう。初めてなのに……」


 クラリスは、笑っていた。

 不意に奪われた、初めての接吻キッス

 それは、気がふれての行動なのだろうか?

 すべてをあきらめてしまった結果なのだろうか?

 ただ、幼馴染みだからこそ、よくわかる。

 そのときの彼女は、心から笑っていた。


「どうせ生き延びても……あした、わたしは死ぬの。だから、さっきも死ぬつもりで飛び降りたんだ」

「な……なに言ってんだよ、おまえ?」

「あのね、レベッカ。もうすぐわたし、結婚するのよ」

「……あ、え?…………けっ、結婚!?」


 絶望的な死期が迫る中で、まさかの告白。レベッカは〝おめでとう〟と言うべきか一瞬だけ真剣に悩んだが、同い年のクラリスが結婚するには少々早すぎる年齢だとすぐに気づき、やはりやめた。


「あ……相手は誰だよ? オレが知ってるヤツか? まさか、キザ野郎のケイレブ?」


 気配が、殺気が、大勢の騒ぎ声が近づいてくる。レベッカは模造刀を握り直し、頭の中をすぐに戦闘態勢へと切り替える。


「結婚相手は、お父さまよりもずっと年上の……すごい大金持ちよ。わたし、〝後妻ごさい〟になるんですって」


 後妻なんて言葉は、率先して剣術を学んできたレベッカには理解ができなかった。だが、クラリスの父親の事業がうまくいってはいないことは、自分の屋敷の使用人や身近な大人たちの噂話から多少は知っていた。


「なんだよ、それ…………クソが……クソッ……クソッ、クソッ、クソったれがぁぁぁぁぁぁぁ!」


 最初に割れ目から顔をのぞかせたゴブリンの頭を、めいっぱいの力で叩き割る。青白い地下の星空にドス黒い血飛沫ちしぶきが放物線をえがいた。


「きゃああああああああッ‼」

「クソ! クソッ! クソッ!」


 ニ体目、三体目と、不気味な声を上げてゴブリンが現れるたびに、レベッカの振り回す模造刀が的確に頭部の急所をとらえ、ほぼ一撃で次々に倒していった。

 仕留め損ねても、起き上がるまえに顔を踏みつけてから喉元や目玉を突き刺して殺していった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ‼」



 そこから縦穴の記憶は、レベッカには無い。

 覚えているのは、悪趣味な金ピカの豪華絢爛な四輪馬車に乗り込んでいく、まるで白い花の妖精を想わせる花嫁ドレスに包まれたクラリスの薄い背中。

 吹き抜けていく春のきらめく風が、遠く離れていく金色の長い髪と、いつまでも佇む自分の前髪を揺らしていた。



 それが最後に見た、親友でもあり、姉妹以上でもある、幼馴染みの姿だ。




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