呪われた傷痕

 なつかしい夢を見ていた。

 けれども、その内容までは思い出せない。

 ただ、不思議なことに、涙が頬をつたい落ちていた。


「う……ん……んんん? どこだ、ここは?」


 覚醒したレベッカは、気だるそうにしてベッドから半身を起こしてから涙を手の甲で拭う。

 ふと、胸もとを見れば、身につけているのは騎士団指定の純白のブラジャーだけだった。念のために掛け布団を持ち上げると、やはり下も肌着のみだ。


「ゲッ!? んだよ、これ!?」


 続いて、六畳ほどの狭い個室を見まわす。

 サイドテーブルには季節の果物がたくさん載ったバスケット──素敵な深紅の薔薇とメッセージカード付き──ではなく、バナナの房だけがなぜか大量に直積みされていた。

 しかも、誰かが食べた痕跡まで残っていて、ざっと見た限り、三本分の皮がその脇に置かれていたのだ。


(バナナばかりじゃねぇーか! おサルかよ、あたしは!)


 そこでレベッカは、深いため息をひとつく。

 どうしてこうなったのか、なぜこの部屋で眠っていたのか、記憶がすっぽりと抜け落ちていた。

 寝癖のついた髪を掻きむしりながら、大きなあくびもすると、薄絹の白いカーテンがほんの一瞬だけ窓からの風になびいた。下着姿のうら若き乙女がひとりで眠る部屋の窓を開けっぱなしにするなんて、なんと無用心で無責任なことだろう。


「あっ?! オーフレイムさん、大丈夫ですか!? まだ横になっていてください!」


 突然ドアが開いたかと思えば、若い女性看護師が大声で名前を呼びながらレベッカに小走りで近づいてくる。腕章には〝博愛と生命〟を意味する大きなハートの図柄がえがかれていた。そこで初めて、ここが病室であることに気づけた。


「んー、まだちょっと頭が寝ぼけてるけど、まあまあ大丈夫かな。心配してくれて、どうもありがとう。ところでさ、きょうって何日だ? あたし、どんくらい眠ってた?」

「オーフレイムさんが病院へ運ばれてから、五日経ちましたよ。ずっと眠り続けていたので、お友だちのみなさんも、それはそれは心配を……って、オーフレイムさん、なんで下着姿なんです? お着替えするなら、わたしが手伝いますけど」

「えっ……いや、これって、医者か看護師さんに脱がされたんじゃないのかよ?」

「いいえ、お怪我は太股だけでしたし、わたしたちはなにも……」


 看護師と患者、双方の脳内に大きな疑問符が浮かぶ。

 ではいったい、誰が自分の衣服を脱がしたのだろうか?

 窓が開いていることもあり、不気味な想像をしてしまう。まさか、変質者の仕業ではないのか。下着姿なのも相まって、身体が冷えて背中に悪寒が走る。


「あ! レベッカさま、やっとお目覚めになられたんですね! よかったぁ~!」


 病室の出入口に現れたのは、満面の笑みを見せるアリッサムだ。ピナフォアの胸もとでは、洗濯されて乾いたばかりの衣服と下着類が抱きしめられていた。もちろん、純白の下着だ。


「おー、アリッサム……って、おい……まさかそれって……」


 アリッサムが抱きしめているモノ・・を指差すレベッカ。


「はい。レベッカさまのお洋服とネグリジェとブラジャー、パンティーですよ」


 当然のように笑顔のままで答えたアリッサムは、綺麗にたたまれた下着をベッド脇に置く。そして、すたすたと歩いてレベッカの背後で立ち止まる。


「それでは、失礼しまーす……」


 ささやくような声を発しながら、当然のようにブラジャーのホックを外そうとして、本気で怒鳴られる。


「おい! なにやってんだよ、おまえは!? 着替えくらい自分でできるから、ほっといてくれ!」

「?」

「つぶらな瞳でかわいらしく小首をかしげるな! いいから、出ていってくれよ!」


 なぜか全力で居すわろうとするアリッサムと看護師さんもついでに病室から追い出したレベッカは、誰もいなくなったのをあらためて確認してから掛け布団を勢いよくめくり、右太股の包帯を外して傷口を見てみた。

 細い切り傷はもうケロイドに変わっていたが、不思議なことに、それは紫苑色をしていたので、どこかの部族の刺青タトゥーのようにも思える。

 瞬時に、倉庫裏で起きた苦々しい出来事の記憶が呼び覚まされる。

 レベッカは舌打ちをし、両目を閉じて深呼吸をして気を静めた。


(あいつのあの動き……いったい何者なんだ? それに、この傷痕……)


 レベッカは、黒衣の男と謎の言葉を思い出しながら、その正体を静かに考察する。そしておもむろに戦いの傷痕を中指の先でなぞった。


「──んあ!? ひっ、んぐっ……!」


 指先が触れた瞬間、全身にいまだかつて味わったことのない強烈な快感が稲妻のように駆け巡り、病室内に響くほど大きくて艶かしい声まで上げてしまう。


「な、なんだよ……今のは……」


 頬が紅く染まって汗が額から滴り落ちる。高鳴る胸の鼓動を利き手で押えたレベッカは、顔を洗って落ち着こうと思い、ベッドから降りた。

 視界に入った自分の下着姿に舌打ちをしてから、なにか羽織る物を取ろうとニ歩目を踏み出したところで、なぜか床に落ちていたバナナの皮で盛大に滑って転び、レベッカは後頭部を強打してふたたび眠りについた。


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