挿話 きらめく風の記憶(2)

「げっ。縦穴って……ここなの?」


 怪訝そうにつぶやいたクラリスが眺めているのは、草が生い茂る岩壁にできたニメートル程度の高さと、子供がやっと通れる横幅の亀裂だった。


「そうだよ。さ、行こうか」


 今度は、自分が先頭を進む番だ。そう確信した表情で先を行こうとするレベッカの腕を、


「ちょっと待ってよ、馬鹿バカ!」


 クラリスは物凄い力で引っ張り、


「うわっ!?」


 レベッカはそれに抗えず、無様に転がって倒れる。


ってーな!」

「こんな狭い穴を通ったら、お洋服がボロボロになっちゃうじゃないの!」

「おまえ……ここまで来て洋服の心配かよ? でもまあ、探検だからしゃーないって」


 地面に胡座あぐらをかいたまま、午前中の探索で岩肌に引っかけて破れてしまったシャツの脇腹部分に視線を落とす。

 つい数日前にもズボンの膝を破いたばかりで、こっぴどく祖母に叱られたうえに、ムチまでお尻に受けていた。今度は何回打たれるのやら……。


「嫌なら帰るか? オレは行くぜ」


 ゆっくりと立ち上がったレベッカは、なにも怖れる様子をみせずに縦穴の中へ消えていった。


「えっ、ちょっと……うう……」


 クラリスは、あらためて縦穴を見つめる。

 吸い込まれるような暗闇。

 服の汚れが気になると言ったのは口実で、本当は怖くなったから拒絶したのだ。

 もしかしたら、けものの巣なのかもしれないし、違うかもしれない。ひょっとしたら、ものすごい宝箱が隠されているかもしれないし、あったとしても空っぽかもしれない。

 好奇心と恐怖心のはざまで、涙目になったクラリスは深呼吸を繰り返す。そして──。



     *



「おい、足もとに気をつけろよな」

「わ……わかってるわよ、もう」


 途中までは姿勢を変える必要のなかったひんやりと冷たい真っ暗な空間も、今では前屈みでもキツいくらいに天井が低くなっていた。

 固かった地面の感触が急に軟らかくなってきたのは、大量のコウモリのフンを踏んでいたからなのだが、暗い穴の中ではそれに気づけるはずもない。もっとも、気づいたところで、クラリスが絶叫するだけで終わるだろう。


「ひゃっ!」

「キャー!? どうしたのレベッカ!?」

「水溜まりに足を入れちゃたから、靴がずぶ濡れに……」

「そんなことで大声を出さないでよね、馬鹿バカッ!」


 目が慣れてきたとはいえ、ふたりは暗闇のなかを進むだけで精一杯だった。どうしてロウソクの一本くらい持って来なかったのかと後悔するレベッカの前に、うっすらと青白い光の帯が見えてくる。


「うわぁ……」

「えっ、あれって宝石? 綺麗きれい……」


 花崗岩かこうがんのゴツゴツとした壁には、まるで誰かが素手で塗りたくったような、乱雑で幾何学的な模様が青白く発光していた。

 そして、さらに奥へと続く道は二股に別れ、一方は真っ暗闇、もう一方はここと同じように青白い通路となって歩みをうながす。


「どうするの、レベッカ?」


 幼馴染みの不安な眼差しが痛い。

 きっとこの先には〝なにか〟があるだろう。

 それも十ニ歳の、まだ若い自分たちが探検ごっことして進むには不釣り合いな〝なにか〟が。


「……ここまで来たんだ。もう少しだけ進もう」

「う、うん」


 レベッカには、強い自信があった。

 狼や熊の一匹やニ匹なら、腰に携えた模造刀でも──勝ち負けは別として──十分に戦える、と。

 ふたりは迷わず、青白い光をめざして進んだ。

 そこは、窮屈で落盤の恐怖もあった闇の道程を忘れさせてしまうほど快適で広く、おとぎ話の中に出てくるような幻想的空間だった。

 街の教会よりも高い天井からは、猛獣の牙を彷彿ほうふつとさせる大きくて長い鍾乳石しょうにゅうせきが無数に垂れ、地面からもたくさんの石筍せきじゅんが侵入者の行く手を遮る。この光景を例えるならば、〝青白く輝いた怪物の口〟ではなかろうか。


「すごーい! これって、全部宝石なのかな?」


 感激のあまり、鍾乳洞の中央まで走ったクラリスをレベッカは落ち着いた歩調であとを追う。


「いや……多分、光苔ひかりごけの仲間じゃないかな」

「えーっ? コケって、あの緑のモサモサの?」


 唇を尖らせたクラリスは、続けざまに頬をめいっぱい膨らませて不機嫌な表情へと変える。それは、彼女が本気で怒ったときの癖だった。


「宝箱はどこ? 妖精さんのお友だちは?」

「妖精に会いたかったのかよ? だったら洞窟じゃなくて、花畑や森に行けよな。とりあえず、この先にもいくつか通れそうな道が続いてるけど、きょうはもうやめて外で遊ぼうぜ」


 だが──レベッカの判断は遅かった。

 石筍が死角となり、周囲に迫りくる危機を感知することができなかったのだ。


「えっ」

「ん? どうしたクラリス?」

「なんか……足音が聞こえたような……」


 その言葉に、レベッカの利き手が模造刀にれる。

 どうか気のせいであってくれと、心のどこかで自分がつぶやく。


「あっ! あそこ!」


 クラリスが指差すのと同時に、レベッカもそちらを鋭い眼光で見る。青白い光の手前で、小さな人影が左右に揺れながら、こちらへと近づいて来ていた。


「もしかして……妖精さん?」

ウソだろ……マジかよ……」


 小さな人影は、ゆっくりではあったけれど、ふたりに向かって確実に近づいて来る。ひとり、またひとりと、その数が増えていく。小さな人影たちの手には、なにかが握られていた。

 棍棒だ。

 人影の顔が確認できる距離まで近づいた頃には、レベッカとクラリスはすでに囲まれていた。



 ゴブリン。その数、ざっと三十体。



 幼子ほどの背丈の体格は腹が出っ張っていて、着衣は腰蓑こしみの以外は身につけていない。毛髪のない頭からは、短いツノが一本だけ生えている者や先が欠けている者、ニ本生えている者など様々だ。共通して言えるのは、肌が緑色で棍棒を持ち、凄まじい殺気を放っていることだろう。


「あ…………い、いや……助けて……」

「クラリス……まだ動くなよ」


 ゆっくりと静かに模造刀を抜きつつ、幼馴染みの盾となる。レベッカの腕を掴む細い指からは、恐怖と絶望のリズムが止めどなく伝わってくる。

 ふたりがやって来た道には、より多くのゴブリンが立ち塞がっていた。どうやら、ある程度の知能はあるらしい。

 では、ほかの逃げ道はどうか。

 レベッカはゴブリンに注意を払いながら、視線と勘を駆使して周囲を探る。


 ──あった!


「クラリス、走れ!」


 利き手には模造刀、もう片方の手にはクラリスの手を強く握り締め、レベッカは威嚇と自身を鼓舞する意味で、雄叫びを上げながら全速力で走った。


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