第三章 vs厄災アーテル

#24 ひかり part 3.1 ~満天の星の下で~

 気がつくと、そこは見慣れた自分の病室だった。


 ――なんで? わたし、シエルちゃんの家にいたはずじゃ……。


 ベッドの上で困惑していると、不意に部屋のドアが開いた。


「あ、目が覚めました? 明日奈さん」


「……え?」


 扉の方へ視線を向けたわたしは、声をかけてきた相手を見て、思わず絶句してしまった。


 転生する前のわたしを担当していた看護師さんだった。


 ――どうして……。


 自分の身に起きていることが信じられず、幻に包まれているような気持ちで呆然と看護師さんを見つめた。看護師さんの眉が心配そうにひそめる。


「どうしたんですか? 狐につままれたような顔をして」


「だって……わたし、異世界に転生して、シエルちゃんと……」


 どうにか絞り出したわたしの言葉に、看護師さんはぽかんとした。


「何言っているんですか。アニメの見過ぎですよ。異世界転生だなんて……ああ、もしかして、そういう夢を見たんですか?」


「違いますよ。本当に……」


 ふと窓に映った自分の姿に、わたしはもう一度、唖然とした。

 顔色が悪く、髪の毛もない、転生する前のわたしがそこにいた。

 驚いてベッドから転がり落ちてしまった。


「痛っ」


 一呼吸おいてから、ゆっくり体を起こす。


 そこは病室ではなく真っ暗な場所だった。おそるおそる周りを見回しているうちに目が慣れていく。


 ベッドがある。眠っているシエルちゃんがいる。

 確かめるように自分の頭を触ると、髪の毛のサラッとした感触があった。


 今見たものは悪夢だったことを悟り、ほっとして息を吐き出す。


 突然、シエルちゃんが起き上がって、枕元にあるランプに魔法で火をつけた。

 その薄明かりに照らされて、周囲の様子がぼうっと浮かぶ。


「んん? ひかり、どうかした?」


「ああ……いえ、ごめんなさい。起こしちゃいましたよね。ちょっと嫌な夢を見ちゃって……。そうだ。夜風に当たるために少し散歩にでも行ってきます」


「やめといた方がいいよ。危ないから」


 シエルちゃん曰く、警備の兵が見回ってくれているとはいえ、夜の街には危険が多いらしい。冒険者崩れの盗賊団や、街に入り込んできたゴーストなどの夜行性の魔物と遭遇することもあるのだとか。


「それはまあ……そうですよね……」


 わたしが顔の影の色をより黒くしたのを見て、シエルちゃんは大きく息を吐き出してから、


「……私もついて行くよ。それなら、一人より安全だし」


 そう提案してくれた。


 わたしは一瞬目をパチクリとさせた後、申し訳ない気持ちになって顔をしかめた。


「すみません。寝ていたのに」


「いいよ。わたしにも悪夢を見て、気分を変えたいと思う気持ちはわかるし。どこか行ってみたい場所はある?」


「いえ、特には……」


「そっか。それなら……」


 少し考えて、シエルちゃんが案内してくれたのは、街の裏山にある平べったい形の巨大な岩だった。


 昼間にここに登れば、山の下に広がるソムニアが一望できるという。

 今は夜の闇に塗りつぶされて、何も見えないけれど。


 その代わり、上には無数の星々が静かに、しかしはっきりと自分たちの存在を主張するかのようにピカピカ煌めいている。


 その光に目を眩ませながら、岩の中央に座り込む。涼しい夜風が顔を撫でた。


「ここは私が一番好きな場所だったんだ。いろいろあって、しばらく来てなかったんだけど、昔と変わってなくて良かったよ」


 シエルちゃんが、夜空に視線を向けたままのわたしの隣に座る。

 しばらくの間、キョトンと口を半開きにして星の海に釘付けになっていると――。


「――ひかり?」


「……あ、すみません。ぼおっとしていました」


 シエルちゃんに声をかけられていたことに気付く。自分でも思っていた以上に頭上に広がる星の海に夢中になっていたみたいだ。


 なんだか少し恥ずかしくなって、何かをごまかすようにわたしは顔を掻いた。


「そんなにこの風景が気に入ってくれたなら、私も嬉しいよ」


 それだけ言うと、シエルちゃんも黙って空を仰ぐ。


 どのくらいの時間そうしていただろう。わたしはポツリと言葉を漏らした。


「……わたし、こうしてこんなに奇麗な満天の星を眺めるなんて初めてで」


 うっすらと滲んだ目を、星々からシエルちゃんの方へ向ける。


「しかも、友達とそれを共有できるなんてことも考えたこともなくて……絶景に感動するなんてガラじゃないんですけど、今はとても泣きそうです」


「……うん」


「わたし、眠っている間にシエルちゃんとこうしていられるのはただの夢で、実際はまだ病院で過ごしていて……みたいな悪夢を見てしまったんです」


「……」


「だから、もう一度寝てしまえば、もしかしたら本当に悪夢の通りになってしまうんじゃないかって、どうしても不安になってしまって……。ちゃんとこの世界で明日を迎えられるのかなって……」


「……」


 わたしの話を静かに聞いてくれていたシエルちゃんが、急にわたしの肩を抱き寄せてきた。


 大きな風が一吹きして、周りの木々を揺らす。


 突然抱かれて、わたしはドキドキしてしまった。赤くなっているのを隠すように、シエルちゃんから顔を背ける。


「あ、えっと……いきなりこんな話をされて困りましたよね。ごめんなさい」


 わたしはあたふたとした後、シエルちゃんから体を離した。


 すると、わたしの中に、もう少しシエルちゃんに抱きしめられていたかったという気持ちが沸き上がってきた。


 友達に対してこんな気持ちになるなんて……。友達ってこういうものなのだろうか。シエルちゃんが初めての友達だから、よくわからない。


 なんてことを思っていると、シエルちゃんはゆっくりと息を吐き出し、


「……心配しなくても、ちゃんとこの世界での明日は来るよ」


 そうわたしに告げて、もう一度。


 今度は簡単に離れられないくらい強く抱き寄せてきた。


 しばらく、わたしは硬直していたけれど。


 やがて、顔を俯かせながら、シエルちゃんに全体重を預けた。


 シエルちゃんの顔は見たかったけど、それ以上にわたしの顔はシエルちゃんに見せられないくらいに紅潮していたから仕方がない。


 それほどまでに、わたしの心は説明し難い高揚感に包まれていた。


 胸の奥の一番深いところで何かが身じろいだ後、全身が熱を帯びた。

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