ライム・ライクーⅥ

 噂は瞬く間に広がった。

 誰かが意図して広げた訳ではない。

 だが噂は忽ち広まり、意図せずして決闘の場である第一体育館へと、コールズ・マナ全生徒四三〇名が集結した。


 待ち構えるのはコールズ・マナの代表。

 十字天騎士、ライム・ライク。


 対するは、世界魔法使い序列第六位の片割れ。

 ベアトリーチェ・エティア。


 普通に考えれば逆の構図。しかし、本来とは逆だったから叶った構図。

 本来の立場で挑もうならば、違い過ぎる立場と実力が競わせるまでも無いと許さなかった。

 だからライム・ライクは、とてつもない幸運を掴んだ幸せ者だ。今日の彼以上に幸運な生徒は、今の世代ではきっと現れないだろう。


 ふと、聞こえて来た風切り音。

 興味を惹かれて身を乗り出そうとしたライムだったが、わずかに見られた光の破片を見て咄嗟に後退。後退したライムのいた場所に、投擲された大鎌が突き刺さった。


 禍々しくも美しい巨大な大鎌。

 まるで地獄の底より死神が投じたような漆黒の鎌に、ライムは触ろうと思えば触れたが、決して近付こうとはしなかった。

 ただの直感であり、何の根拠もないが、指先の腹の一部でも触れようものなら、忽ち使い手もない鎌に両断されて、殺されてしまう――そんなイメージを脳内に孕んでしまったばかりに、ライムは軽率に動く事が出来なかった。


「来たぞ!」


 客席の誰かが叫ぶ。

 ヒールの織り成す鋭い跫音を鳴らし、静かに現れた聖母が如き美人は、人々から声を奪う。

 熱気が渦巻き、混濁し、いつ沸騰してもおかしくない状況の中で、皆が静寂を護り、静謐を死守せんとする光景は、世界にその名を刻んだ魔法使いだからこそ起こせる、魔法のような奇跡であった。


(この方が、この人が六位……嘘だろ? ? ならついこの間、お茶をご馳走してくれたあの人は一体、どんだけの魔法使いだって話だよ! みんな、気付いてねぇだろ。この人が来るより先に、ずっと凄い人が来てたんだぜ?! それを蔑む、嘲る、馬鹿にする。とんでもねぇ……! 俺自身、呑気にお茶なんて飲んでた自分を殴りてぇ! 何がお情けの二位だよ。お情け頂いてんのは、ずっとこっちの方だってんだよ!)


 呼吸。瞬き。ほんのわずかな指の動き。

 一挙手一投足から目を離せず、自分自身の呼吸、瞬きが気軽に出来ない。

 相手の全てに意識を向け、自分の全てに意識を向けているライムは、立っているだけで気絶しそうな勢いで全神経を尖らせていた。


 すると、ベアトリーチェはその場で手を叩いた。

 何かの魔法かと思って身構えたライムは何も起こらない事に呆気に取られ、客席の全員が今度は息を忘れた。


 注目が集まる彼女の第一声は。


「過呼吸になってますよ。深呼吸を」


 指摘されて初めて、ライムは自分が過呼吸になっている事に気付く。

 指摘された通りに深呼吸を繰り返し、何とか安定させていくと、ライムは深々と頭を下げた。


「ご指摘ありがとうございます」

「いえ。万全な状態のあなたでなければ、意味がありませんから」


 意味がない。

 その言葉で、何となくこの戦いの真意を理解した。

 いや、元々察してはいたのだが。


(こりゃあ、コルト・ノーワードの試作魔法の実験台か、もしくは魔法開発のための模擬戦闘だな。だが、だからどうした――模擬戦なら萎えるか? な訳、あるか!)

「さすが、コールズ・マナで頂点を張る十人の一人。この戦いの意味を察して頂けた様で、何よりです。そして、素晴らしい事にその火は消える事を知らない。素晴らしい姿勢です」

「……どうも」

「そして残念ながら、全力で勝負……と、したいところなのですが。あなたの察する通り、この戦いは私のためではなく、更なる魔法の発展のために行なわれるもの。速攻で終わっては、困るのです」

「では、どうなさりたいと……?」

「今回、私はその鎌は使いません。使う魔法は、直接攻撃系統にのみ限ります。そして、あなたの魔法は、自由。戦闘方法も、使用魔法も、戦術も、何もかも自由です」

「それはハンデではありませんか」

「いいえ? 挑戦者だからこそ言える我儘です。受け入れるかどうかは、挑戦を受けるあなた次第。もし拒否なさると言うのなら、残念ながら……」


 と、鎌に一瞥を配るベアトリーチェに対して、ライムは苦笑。

 見た目に反して煽り言葉の上手いベアトリーチェを相手に、話せば話すほど自分の逃げ場がない事に気付いた時には、もう遅かった。

 逃げる場所は、もう何処にもない。


「いいですよ。ご自由になさって下さい、チャレンジャー」

「寛大なご対応に感謝します。それでは」


 客席の中には、コルト・ノーワードがやられたイルミナ・ノイシュテッターの報復のために彼女を呼んだ、何て声も聞こえるが、ベアトリーチェと対峙すればその考えは一掃されるだろう。


 見てみろ、真っ直ぐに相手を見るその眼差し。

 此の世の悪を知らぬ子供が見せるような純粋無垢な眼差しに、敵意も無ければ害意も無い。唯一、蝋燭の先のともしびが如く光る戦意のみが、彼女の瞳に宿っている。

 それを前にして、策略だ謀略だと抜かせる奴はただの馬鹿だ。


「じゃあ。この銅貨が落ちた瞬間が合図です。準備はいいですか?」

「了解しました」


 銅貨が弾き飛ばされる。

 天井スレスレまで上がった銅貨は折り返し、地面と衝突した。


「『――!』“ウインドバレット”! “ブラスト”! “エアカッター”! “エアハンマー”!」


 高速詠唱かつ多重詠唱。

 ライム・ライクの得意技にして、彼がベアトリーチェに勝てる唯一の技。

 今回は風系統の魔法に限定し、より威力が出る様にし、更に接近戦を仕掛けて来るという宣言を受けたため、強力な風圧で接近を阻止する作戦を取った。

 だがこの作戦には唯一欠点があった。

 吹き荒ぶ風の音が騒音となって、ベアトリーチェの詠唱が聞こえず、彼女の繰り出す魔法が見えない事である。


「『輝ける勝利の栄冠は、いと猛々しく燃え滾る聖火。広がり、滲み、染み出て、零れ、赫然と輝ける真紅にて、悪魔は眠りを妨げられん。悪意の繁栄。憎悪の跋扈。此の世に聖火ある限り、二つの悪は無いと知れ』――“バイオレント・クリムゾン”」


 ベアトリーチェの四肢が発火。

 風など物ともせず、微動だにしない炎は真紅に燃えて、ベアトリーチェの体を武器へと変える。


 走るだけで地面が割れる。

 振り被るだけで風が割れる。

 薙ぎ払った足刀は防御魔法を詠唱しようとするライムの顎を捉えて外し、振り上げた拳は外れた顎を無理矢理捻じ込みながらライムの顔を打ち上げ、頭蓋に守られた脳を掻き混ぜた。


 風の魔法が止み、打ち上げられたライムは頭から落下。

 地面に突き刺さった体が背中から倒れると、ベアトリーチェの体で燃えていた炎が消えて、彼女は会場中央に突き立てた大鎌を担ぎ上げる。


 戦闘時間、一分未満。

 三〇秒に届いたのか否か怪しい戦いは、世界という壁を圧倒的実力差で見せ付けた。

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