ライム・ライクーⅤ

 弱かった。実に弱かった。

 噂を遥か下回る程度に弱かった。


 あの日のためにたくさん準備した。装備も新調した。礼装も揃えた。

 なのに呆気なく終わってしまった。一瞬で終わってしまった。一分で終わってしまった。


 正直に言ってガッカリだった。残念だった。

 アルマ・シーザに成り代わる好敵手になるかもしれないと期待していただけあって、期待を裏切られたライム・ライクは酷く落ち込んでいた。


 退屈になると、体が無性に痛くなる。

 体が凝り固まりそうになる。

 動かせば解れるだけの話なのだけれど、体を動かすだけでは解れない窮屈さに縛られて、ライム・ライクはふて寝するしかなかった。


 が、そんな窮屈で仕方ない退屈な我が身に、突如向けられる厖大な魔力。ふて寝しようとしていた体を起こして振り返ると、世界第六位の片割れが立っていたのだから驚きを禁じ得ない。

 魔力の荒々しさに驚き、一瞬で臨戦態勢を整えたライムだったが、彼が起きるとベアトリスは魔力を封じ、一枚のカードを床に突く彼の手の指と指の隙間に投げ付け、突き立てた。


「コルト・ノーワードの新しい魔法開発のため、あなたにはそこで戦って貰うわ。アンドロメダにも許可を取ったから、せいぜい逃げ出さない事ね。因みに相手は、私の姉だから」


 ベアトリーチェ・エティア――!


 ベアトリスがいなくなって、ライム・ライクは歓喜した。


 興奮で汗が噴き出し、武者震えが止まらない。

 傍から見れば、風邪を引いて具合が悪いのかと思われるくらいの発汗量と震えを御し切れないライムは、本来ならばウィカナ含め、他の十字天騎士に報告すべきこの状況を、誰にも報告しなかった。

 報告すれば、絶対にやめろと止められる。

 理事長の許可が出ているとはいえ、まだおまえには早いと止められる。


 冗談じゃない。

 十字天騎士の頂点たるウィカナでさえ、恵まれる事の少ない稀有な機会。これを手放しになど、出来るものか。

 努力、研鑽、研究、鍛錬。

 高位の魔法使いほど、そう言った当たり前を当たり前に続けている。


 だが、何よりもし続けるべきは挑戦だ。

 より高位の存在に挑戦する事。

 世界魔法使い序列なんて明確な順序が明らかになっている状況で、高位の存在に挑戦する事は難しくない。


 魔法の研究成果を競う。

 魔法の技量を競う。

 魔法使いとしての実力を競う。


 今、世界魔法使い序列第六位の魔法使いが、自分を指名して――指名してくれているのだ。

 おそらくは魔法の発明か開発のための、ただの当て馬。わかり切っている。わかり切った事だが、そこから逃げ出す馬鹿が何処にいる。

 当て馬だろうが何だろうが、自分よりずっと強い人が、自分を指名して挑戦してくれているのだ。こんな恵まれた機会を棒に振って、相手に恥を掻かせる事ほど、やってはならない事だ。


「やってやらぁ……やってやらぁな。俺は、十字天騎士ライム・ライクだ。例え十位のケツだろうが、やってやる! やってやるぜぇ!」


 コルト・ノーワード工房。


「あいつがまともな魔法使いなら、絶対に受けるでしょう。相手は世界魔法使い序列六位、ベアトリーチェ・エティア。此の世で三番目に強い女なんだから」


 北の大陸にある信仰の深い国で生まれたベアトリーチェは、来ている格好が修道服と言う事もあって、座っているとまるで聖母のような魔力と似て非なる力を感じられる。


 そんな彼女は今、コルトに髪を預けていた。

 普段は布で覆っている髪を晒し、コルトの手に触られる。

 女性のそれと比べても細く、繊細な動きを得意とするコルトの指はベアトリーチェの髪を三つに編み、一本に束ねていた。


 長くすると癖になるからと、セミショートにしているベアトリスは羨ましそうに姉を見る。

 姉がコルトに髪を触らせるのは、魔王ゾディアクを倒す旅の最中、彼女がコルトに好意を寄せたその日から、続けていた習慣である。

 魔王との戦いも含め、大事な戦いの前には必ず、コルトに髪を結わえて貰っていた。


(ごめんね、リーチェ。僕の個人的な研究に巻き込んでしまって)

「構いません。寧ろあなたのためだから、私は戦えるのです」


 その美しさは聖母が如く。

 しかしてその膂力は魔物が如く。

 女の細腕で、人の体躯を超える大鎌を使い、その鎌で、魔王ゾディアクの右腕を斬り落とした。


(出来たよ)

「ありがとうございます。では、参りましょう……挑戦者として戦場に立つのは、いつ以来でしょうか」


 ベアトリーチェ・エティア、出陣。

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