第43話Believe

 はっ、と、エステラが息を呑んだのが聞こえた。


 本当は言葉では説明したくはないのだが――多少の方便を使えば、彼女だってきっと悟ることが出来る。


 その確信を胸に、小生は続ける。




「よいか。この場合の蜘蛛の糸は、悟り――究極の安寧へ通じる道の暗喩である。カンダタはただ上を見て登っていればよかった。ブッダの垂らしてくれた救いの道を一心不乱に登ればよかったのである。だが悲しむべきことに――その時のカンダタは上ではなく、下を見てしまった」




 そう、その時のカンダタが意識したもの。


 それは――自分を追い抜いて救いの道を駆け上がっていってしまうやもしれない、他人の存在。


 蜘蛛の糸に集った亡者たちは、悩み、苦しみ、欲望、渇望、嫉妬、憎悪――血の池地獄の中に渦巻く、ありとあらゆる迷い、それそのものの暗喩なのだ。




「この蜘蛛の糸は切れてしまうかもしれない――そのカンダタの疑いの心が、刃となって蜘蛛の糸を断ち斬った。刃は掴み方を間違えれば持ち主の身さえ斬り裂くものである。カンダタは己の中の恐れ故に、登ることをやめ、下を見つめて他者に罵声を浴びせ、自ら救いの道を断ってしまったとすれば――どうだ?」




 はっ、と、エステラが何かを悟った気配がした。


 そう、それは義理の姉、今は同窓でしかないあの【女帝】に怯えるエステラそのもの。


 思わず、というように、エステラが腰を浮かせた。




「そ、それって――!」

「ああ、これが第一の答えだ」




 小生は結論を口にした。




「あえてあなた方の言葉にするのならば、カンダタの蜘蛛の糸を断ち切ったもの――それはな、絶望なのだ、エステラ」




 絶望。


 その言葉に、エステラが息を呑んで……それからゆっくりと俯いた。


 まるであまりに矮小な己の存在を、悔いるように、そして恥じるように。




「どうせこれ以上登っても天には届かない、どうせこれ以上亡者が集れば切れてしまうだろう……そう絶望した者から、果つることのない地獄に堕ちるもの。この寓話は、その絶望や、自分より優れたる他者からの目線に怯え、ふと歩みを止めた者の末路を著した寓話なのだと――少なくとも、小生はそのように解釈しておる」




 小生は言い切り――そこで目を開き、エステラに微笑みかけた。




「だが、そうではない、そうではないのだ。釈尊、ブッダが垂らしてくれた蜘蛛の糸は、如何に細くとも、本来は切れることなど有り得ない。。ただただ信じて登ればよい――」




 それは、「ある」と思えば、いつでもそこにある。


 逆に、「ない」と思えば、そこには存在しない。


 それは理論や言葉では決して説明がつかぬ神秘――。


 蜘蛛の糸とは、己の心の中から発する力の象徴なのだ。




「あなたの操る魔術も同じだ、エステラ。あなたの操る【抵抗】のエトノスが、列強国の【エトノス】に遅れを取ろうはずもない。如何に小国のそれと言えど、大国の支配に何度も何度も【抵抗】してきた先人たちの思いや知恵が数百年分も詰まった魔術理論が――どうして弱いことがあろうか」




 迷いと眠気に濁っていたエステラの目が、きらきらと輝き出した。


 そうだ、もう一息だ。




「よいか。物事を正しく、真っ直ぐに見つめよ。あなたは決して弱くも、小さくもない。それを操るあなたが自ら引きちぎらぬ限り――その細糸はたとえ地獄で責め苦に喘ぐ億万の亡者がぶら下がったところで切れるはずはない――そうは思わぬか?」




 正しく、真っ直ぐに見つめよ。


 その言葉に、エステラが視線を前に戻した。


 そして、呆然としたような表情で曲がった木を見つめたエステラが――。


 「わかった――」と一言、呟いて立ち上がった。




「わかった――わかった! 真っ直ぐに見つめる、物事を正しく――! ああ、滅茶苦茶簡単なことじゃないの! なんで今までわからなかったのよ、私はバカだわ――!!」




 しばらく、自分の未熟さに呆れるやら笑うやら、大騒ぎをしていたエステラが、小生を振り返った。




「クヨウ、あの木は曲がってるんだわ!」

「うむ」

「私がどう頑張ったって真っ直ぐにはなることはない!!」

「うむ」

「そうだ――そういうことなんだ! 曲がっていたのは、私の見方なんだ――!」




 ごくっ、と唾を飲み込んでから――エステラが叫んだ。




「曲がっている――あの木は曲がっている!! 自分の考えで真っ直ぐに捻じ曲げるんじゃない、あの木が曲がっているということを素直に受け入れる――それが『真っ直ぐに見る』、そういうことでしょ!?」




 小生は満面の笑みで頷いた。




尊答そんとうじゃたてまつる――ようやくわかったな、エステラ。おめでとう」




 小生の言葉に、しばらく言い様のない感動に震えていたエステラが――急にグスッと洟を啜ったので、小生は仰天した。




「え、エステラ――!?」

「ああ、凄い……東洋の人は、大八洲の人は、こんな素晴らしい知恵を持ってるんだ……凄く、凄く簡単なことなのに、こんなこと考えたこともなかった……」




 エステラは何度も何度も頷いた。




「そうだ、そうだよね……【抵抗】の【エトノス】は強い。絶対に弱くはない。リューリカの支配だって何度も何度も跳ね返してきた凄い魔術理論なのに、私は自分に自信がないからって、どうせ列強国の生徒には敵わないんだっていじけて、正しく見つめないで、その知恵を今まで台無しにしてたんだ……」




 エステラが己の未熟さを恥じるように呟き、無念そうに唇を噛んだ。


 そう、誰だって悟った後には、このように己の未熟さを恥じてしまうものだ。


 だが――小生は、その時のエステラにそんな表情をしてほしくはなかった。


 ただただ――笑ってほしかったのである。




「これ、そんな表情をするでない。こういうときは、ただ喜べばよいのだ」




 小生の言葉に、エステラが小生を見た。




「答えがわかったなら、恥じ入るのではなく、素直に喜ぶのも修行だ。そう考えれば日常生活全てが修行、当たり前のことを当たり前に出来るようになること――それが禅なのであるからな」




 小生の言葉に、エステラはやっぱりわからんというように、諦めて笑った。




「大八洲のサムライは痩せ我慢ね。日常生活全てが修行だなんて――鋼鉄さえぶった斬れるわけだ」




 あはは、と、お互いに顔を見合わせて笑ってしまった後――。


 ふと、小生はあることを思いついた。




「エステラ」

「何?」

「答えがわかったところで――ひとつ、手合わせをしてみぬか?」




 手合わせ。その言葉に、エステラが少しぎょっとした。


 小生は笑って首を振った。




「安心せよ、友達に刃は向けぬよ。そうだな――小生が操るこの【刃】のエトノスと、真理を悟った今のあなたの【抵抗】のエトノス、どちらが強いか試してみようではないか」




 ここは裏庭、抜剣したところで誰の目も届かぬであろう。


 小生は刀を一息に抜き放った。




「あなたの蜘蛛の糸を、小生が斬ってみよう。それだけで今、あなたが何を悟ったのか、全てがわかるであろう」




 小生の言葉に、エステラが頷いて、右手を前に掲げた。


 途端、エステラの手から伸びた細糸が曲がった木に伸び、一直線に展張した。


 残り僅かな太陽の残光を受け、きらきらと輝く細糸――蜘蛛の糸。




 すう、と大きく息を吸い、吐き出し――小生は両手で刀を構えた。




「ごめんなさい! 遅くなちゃいました……って、え、ええっ!? くっ、クヨウ君!? エステラさん――!?」




 遠くからニーナの声が聞こえたが、エステラも小生も、そちらを見なかった。


 ただならぬ状況に竦んだのか、ニーナもそれ以上、何も言おうとしない。


 しばらくその細糸を前にして精神を集中させ――小生は一言だけ告げた。




「言っておくが――一切加減はせぬぞ」

「わかってる」




 エステラが、決意の声で言った。




「信じる。絶対に斬れないんだって――私は、私と、あなたを信じるから」




 信じるBelieve――その英語が、なんだか物凄く、頼もしく聞こえた。




 瞬間、小生は両手で刀を振り上げ――裂帛の怒声とともに振り下ろした――。







「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。



【VS】

もしよければこちらの連載作品もよろしく。ラブコメです。



魔族に優しいギャル ~聖女として異世界召喚された白ギャルJK、ちょっと魔王である俺にも優しすぎると思うんです~

https://kakuyomu.jp/works/16818093073583844433

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