第42話正見

 その後、決戦までの一日一日がゆっくりと流れた。


 エステラは来る日も来る日も、時間さえあればあの木の前に立って、うんうんと唸り声を上げながらあの木を見ていた。


 たまにニーナが隣にいることもあったが、圧倒的に回数が多かったのがエステラで、寝転んだり、座り込んだり、時には木に登ってまであの木をまっすぐに見つめようとするエステラを、学生たちは不思議そうに見つめていた。


 思えば気の毒な境遇を押し付けてしまったが、こればかりは仕方がなかった。




 そのまま、六日間が経過した。


 決戦前日の午後四時の放課後、少しだけ時間をあけて小生があの木の前に行ってみると――エステラが途方に暮れたように膝を抱え、木の前に座り込んでいた。




「エステラ、なかなか苦戦しておるようだな」




 小生の声に、エステラが振り返った。


 美しく整った顔、不思議な色を湛える碧眼の下に、痛々しく真っ黒な隈が浮き上がっている。


 そう言えば、昨日は小生が起きているうちは部屋に戻ってこなかったように思う。


 小生は苦笑した。




「ああ、クヨウ……」

「あまり根を詰めるな。睡眠不足は剣士の敵だぞ」

「だって……たかがあんな立木一本にここまで苦戦させられるとは思ってなかったし……終いにはあの木、夢にまで出てきたわよ」

「昨日までにどこまで試した?」

「脚立、寝転がり、座り込み、木登りまではやったわ」

「それで、真っ直ぐに見えたか?」




 小生の意地悪な問いに、エステラは己の目の下に浮き出た真っ黒い隈を指さした。




「もう……あんな曲がった木、どうやったら真っ直ぐに見えるのよ……。途中からなにやってるんだろうって思われて周りに立ち見まで出始めて恥ずかしかったのよ?」

「おお、それはいい」




 小生はその報告を喜んだ。




「人が見ている、それもヒントになるな。昨日の『蜘蛛の糸』はまさにそんな話であるからな」

「はぁ――? 意味わかんない」

「わかってしまったらダメであろう。よいか、エステラ。もう一度思い出せ。蜘蛛の糸は何をした瞬間に切れたのか。そしてあの木はどうして真っ直ぐに見えないのか」




 小生はつらつらと説明した。




「そして――何故小生は魔力がゼロなのに魔法が使えるのか。それこそが万法ばんぽうに証せられるもの、その根本は常にひとつなのである」

「だからそれが意味分かんないのよ……真っ直ぐなものは真っ直ぐなもの、曲がっているものは曲がっているものじゃない。それ以外にどうやって状況を変化させればいいのよ……」

「簡単なことだ。物事を正しく見つめよ。これを小生の国では『正見しょうけん』と呼ぶ」

「正しく見つめた結果、どう見ても曲がってるんじゃない」




 やれやれ、「それ」が答えなのだけれどもな。


 小生は少し笑い、ヒントを出してやるかと思って、エステラの隣に座った。





 胡座をかき、足の甲を太ももに乗せ、手で定印じょういんを結ぶ。


 目は一間ほど先を見つめ、決して閉じぬようにして、背筋を伸ばす。


 所謂、結跏趺坐けっかふざの体勢になる。




 エステラが小生を不思議そうに見つめる気配を感じた。




「……何よそれ?」

「これが小生の国でいうところの座禅だ。釈尊しゃくそんが遂に悟りを開かれた時、このような体勢でおられたそうな」

「ザゼンって何? 要するに瞑想ってこと?」

「瞑想と座禅は似て非なるもの――只管打坐しかんたざ、ただ只管ひたすらすわり、何も思わぬし、考えぬ。ただ座ることで己の中を見つめるのだ」




 小生が笑顔とともにエステラを見つめると、エステラは物凄く困惑した表情になった。




 ざあっと、風が吹いた。


 風性常住ふうしょうじょうじゅう――風は世界の全てに吹き渡り、吹き渡らぬところはない。


 見えない、聞こえない、触れない、だが風はある。


 「ある」けれど「ない」――そう、それは魔術と同じだ。




「エステラ。エステラは何故あの【女帝エンプレス】に勝ちたいのだ?」




 小生が結跏趺坐のまま、根本的な問いを投げかけると、少し迷った末に、エステラが口を開いた。




「姉さんが凄く幸せそうだから……かな」




 エステラはぼそぼそと続けた。




「私の姉さん、カウナシアの元第一王女は……公爵令息であるナターシャの兄と結婚させられたの。本当は人質ってことなんだけど……何だか、単純にそうは見えないのよね。何ていうか、本当に好き合って結婚した夫婦なんじゃないかって、たまに真剣に思うぐらい、仲が良くて、凄く幸せそうで……」




 エステラは膝頭に口元を埋めた。




「かつてカウナシアとリューリカは敵国同士だった。それなのにその公爵令息と第一王女は凄く幸せそう。もちろん、国民のみんなには申し訳ないんだけどさ。とても数年前に血で血を洗う戦争をした相手の国同士の人間とは思えないぐらいなの」




 そこでエステラは、己が帯びた剣の鞘に巻き付けたロザリオを手にとって眺めた。




「これは姉さんがくれたお守り。元々は亡くなった母の形見だった。私が思い悩んでるのもわかってたんでしょ。命の次に大切なもののはずなのに、姉さんは魔剣士学園に来る時、このロザリオを預けてくれた――」




 エステラはぼんやりとした表情で前に向き直った。




「姉さんと違って私の婚約者はクズの塊みたいなヤツで――そして義理の姉はあんなんでしょ? 私だけが何だか馴染めない感じで――私はたまらなくなって、周囲にかなりの無理を言ってこの学園に来た」




 はぁ、とエステラがため息を吐いた。




「本当はカウナシアの独立なんて、私はどうでもよかったのかもしれない。私は羨ましかった。幸せな結婚をした姉さんが。強くて美しくて、信頼されているナターシャが。自分の境遇から逃げる場所が欲しかった、の、かも……」




 そのとき、エステラはちゃんと、己の中を見つめていた。


 「正見しょうけん」――それは何よりも、己の中の見えざる部分と向き合う事が重要だ。




 そこで短く沈黙したエステラは、顔を上げ、曲がった木を睨んだ。




「でも、もう逃げたくない。ナターシャからも、リューリカの【支配】からも」




 エステラは腹の底から低い声を絞り出した。




「私の決着は、私がつける。あのクズに関してはあなたに助けてもらったけれど……友達に何度も助けられたくない。私にだって意地がある。絶対にナターシャに勝って、私はもう何者にも怯えない生き方をする。姉さんと義理兄にいさんみたいに、いつかあのナターシャとだって対等になってみせるんだ――」




 エステラは歯を食いしばった。




「勝つための方法があるなら、ナターシャと対等になれるかもしれないなら、私はもう逃げない。あらゆる理不尽への【抵抗】――それがカウナシアの流儀だからね」




 ほほう……これは、かな


 エステラの今のこの目は、本物のサムライ、そして剣士の目だ。


 一度決意を固めた者には、真田の槍も、為朝ためともの矢もこれをとおらず。


 今のエステラには、たとえ迫撃砲の直撃弾だって透らないに違いない。




 その目を見ていて――つい、助け舟を出したくなった。


 少しの沈黙の後、小生は口を開いた。




「エステラ、あの木をよく見たまま聞け」




 小生は長々と説明を始めた。




「よく考えよ。カンダタがぶら下がっても蜘蛛の糸は切れなかった。既に数百人の亡者がぶら下がっているのに切れはしなかった。そりゃそうであろう。この世で最も偉大なる導者である釈尊しゃくそん、ブッダが直々に垂らしてくださった糸だぞ。そもそも切れることなどあろうか?」







「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。



【VS】

もしよければこちらの連載作品もよろしく。ラブコメです。



魔族に優しいギャル ~聖女として異世界召喚された白ギャルJK、ちょっと魔王である俺にも優しすぎると思うんです~

https://kakuyomu.jp/works/16818093073583844433

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