第41話剣禅一如

 その日の放課後、夕食まであと三時間程の、午後四時頃。


 小生とエステラ、そしてニーナは校舎の裏庭に立っていた。


 ニーナはやる気に満ち溢れた表情をしているが、エステラは相変わらず露骨に面倒くさそうな顔をしている。こういうところはやはりわがまま放題の姫君であるようだ。




「これエステラ。そんなに露骨に嫌がるでない。やる前からやる気が削がれるであろうが」

「だって――特訓の教官はあなたじゃない。だからこそ不安なのよ」




 エステラは口を尖らせた。




「どうせあなたの事だもの、さっきあなたが言ったケンゼンイチニョって、足腰立たなくなるまで走れとか、チョップで大岩を叩き割れとか、そういうことなんでしょ? こっちだって嫌になるわよもう……」

「なぁにを申す。小生は開明的な男であると申したであろう。小生が行う特訓、剣禅一如けんぜんいちにょとは、身体などちっとも動かさぬ。今からやるのはただの思考訓練である」

「は、はぁ? 思考訓練?」




 エステラは物凄く意外そうな表情をし、ニーナも少し驚いた顔をした。


 小生は少し首を傾げた。




「いや――思考、ともまた違う。心構え、というのも違う。とにかく、英語で表現するのならばそのような言葉になる。だが、小生の国ではそのような言葉は用いぬ。一言で『ぜん』と言う」

「ゼン?」




 ニーナが不思議そうな表情で問い返す。


 小生は頷いた。




「エステラ、数日前に小生はあなたに問うたな。『ない』とはなにか、『ある』とはなにか、と」

「あ、あぁ。言われたわね。意味がわからなかったけれど……」

「一言で言えば、アレが禅である」




 小生の言葉に、エステラが思いっきり首を傾げた。


 その瞬間、裏庭にあの夜と同じように風が吹き、エステラが何かを思い出した顔をした。




「そ、そうだ、あなた何か言ってたわね。触れないし見えないし聞こえないけど、風はちゃんとあるって――」

「そうそう、覚えておるではないか。つまりあのようにこの世の真理を考えるための意味のない問答、それが禅というものだ」

「は、はぁ――」

「小生の観ずるところ、この魔剣士学園の学生にはこの視点が抜けておる」



 

 小生は腕を組んだ。




「だから魔力を数値で著したり、その数値で一喜一憂するような間違いを犯す。だが、そもそもが逆なのである。本来、魔法は『ない』場所に『ある』ものを作り出す技術だ。それは本来、理に適わぬ話、つまり決して言葉や数値にはならぬもの――だからこそ魔道の法、『魔法』なのだ」

「う……早速意味がわからない……。で、でも、それがあなたが魔力ゼロなのに魔法を使えることの理由、なのよね? きっと」

「そうだ。だからこの蘊奥うんのうの一端をあなた方にも理解してほしい。禅さえ理解できれば、あなた方の魔力量はその途端に飛躍的に成長する、と思うのだが――」

「そ、そんな凄い思考訓練があるんですか……!?」




 ニーナが目を輝かせた。


 小生は大きく頷いた。




「そ、それはどういう訓練なんですか、クヨウ君!? 何かそういう奥義が書いてある本とかあるんですか!?」

「だから、それがいけない。魔法とは本来文字や言葉、数字で考えてはならぬものなのだ」

「え……?」

「難しいであろう? エーテルの発見後、この魔法技術を学問的体系として発展させてきたあなた方西洋人に、この禅を理解する上での文化的障壁は物凄く高いと思う。だが、あの【女帝】にたった三人で勝つ目があるとするなら、今のところそれしかない」




 そこで小生は、裏庭の一角に植わっている立木を見た。


 植木ではない、自然木なのだろうその木は、中程から大きく曲がって伸びている。


 小生はその木に歩み寄り、二人に示した。




「ということで、小生はどんな教本よりも優れたる教本を見つけた。これだ」

「は――?」

「この木は曲がっておるな?」

「う、うん……」

「曲がってますね……」

「よろしい。では、本題だ」




 小生は冴えた声で問うた。




「小生があなた方二人に、今からこの木を真っ直ぐに見てみせよ、と言ったら、どのようにして真っ直ぐな木として見る?」



 ぽかーん、と、音が聞こえた気がした。


 小生は重ねて言った。




「何をぽかんとしておるのだ。さぁ、答えてみせよ」

「い、いや、意味がわからない……」




 エステラが困ったように首を傾げた。




「そ、そんなもん、無理に決まってるじゃない。どこからどう見ても曲がってるわよ。……ねぇニーナ?」

「そ、そうですね……曲がってますよね……」

「真っ直ぐに見る、って、そんなもん不可能じゃないの?」

「いいや、真っ直ぐに見る方法はある」




 小生が断言すると、エステラが少し何かを考えた後、ゆっくりと地面に這いつくばり、木を下から見上げ始めた。




「え、エステラさん……?」

「うーん、下から見てもやっぱり曲がってるわね。クヨウ、それって脚立とか使ってもいいの?」

「何を使ってもよろしい。どの位置から見ても構わぬ。この一週間、ありとあらゆる方法を許すぞ」

「じゃ、じゃあ、もっと近づいた位置から見れば……」

「え、エステラさん、悪いんですけど、無駄じゃないですか……?」




 ニーナが遠慮がちに言った。




「だ、だってこんなもの、どう見ても曲がってますよ。見方で変わるものじゃ……」

「いいや、クヨウは意味不明な事を言うけど、嘘は言わない男だと思う。どうにかすればその方法はきっと見つかるわよ」

「そんなこと、どう考えても不可能ですよ……」




 ニーナが言った言葉に、小生は少し感心した。




「クヨウ君が言ってるのは、この木が曲がってるのは間違いない、それが前提ってことなんじゃないですか? 多分、普通の質問じゃないんですよ」




 おお、ニーナの方はエステラと違って、なんとなく素養があるようだ。


 ニーナの方はおそらく近いうちに答えに辿り着くだろう。


 だが――問題なのはエステラの方だ。




「――あ、そうかわかった! 切り倒せばいいんだ!」

「うぇっ!?」

「そうよそうよ、切って製材すれば真っ直ぐになるじゃないの! ゼンってこういうことか! 勝つためには手段を選んでられない、だったらノコギリでも斧でも持ち出せってことね! そうでしょ、クヨウ!?」

「残念、大外れだ。一応言っておくが、その木を切り倒したりしてはいかんぞ。学園に怒られてしまう」

「ちぇー、違うの? それ以外に答えがないじゃないの。こんなもんどう見たって曲がってるんだし……」




 エステラはニーナとは違い、まだ前提からも離れられていない。


 これはより時間がかかりそうな気配だ。


 ちなみに、この説話は小生の祖国であれば誰でも、答えまで知っているものだ。


 小生はため息をこらえて続けた。




「よし、それならば……エステラ、あなたにはヒントをあげよう」

「うぇ?」

「あなたの【エトノス】は【抵抗】のエトノス、つまり細糸を操る魔術だったな?」

「そうだけど」

「よし。ならばピッタリの寓話ぐうわがある。その細糸を決して切れぬもの、あの【女帝】の鎖に勝る強度にまで強める寓話だ」

「えっ、そ、そんな話あるの!?」

「ある。小生の国に伝わる寓話だ」




 小生は少しだけ言いたいことを頭の中にまとめてから、語り出した。




「――ある時、地獄の血の池地獄に、カンダタという大泥棒が堕ちた。このカンダタは生前、ひとつだけ善行を為した。踏み殺すつもりだった一匹の蜘蛛を、踏まずに助けてやったことだ」

「何よそれ。大泥棒の癖に蜘蛛も踏み殺せないなんて、優しいんだか悪人なんだかわかんないヤツね」

「まぁそれはそうだ。その善行を覚えていたお釈迦様は、カンダタを救うべく、極楽浄土より一筋の蜘蛛の糸を垂らし、カンダタを極楽へと誘った」

「お釈迦様って誰よ?」

「小生の国では神よりも偉大な道者――要するに、この世の真理を悟ったお方だ。あなた方の言葉では――そうだ、ブッダと言ったはずだ」

「ああブッダ、なるほど。その人ならなんとなく知ってるわ。頭にいっぱいイボイボつけた人よね?」




 エステラの言葉に、小生は苦笑した。


 やれやれ、西洋諸国の人から見たら、あの螺髪らほつが単なるイボにしか見えないとは。


 少し可笑しい気持ちになった小生は笑いをこらえながら続けた。




「カンダタは喜び勇んでその蜘蛛の糸を掴んで登り始めた。だが中程まで来たところで下を見ると、同じく血の池地獄に堕ちた亡者たちが助かりたい一心で、蜘蛛の糸に大勢群がっていた。一人の体重でも切れそうな細糸に、数十も数百もの亡者が群がればどうなる?」

「そりゃ切れるでしょ。いくらブッダが垂らした糸でも」

「その通り。当然、カンダタもそれを恐れた。だから叫んだ、お前たちは降りろ、とな。この蜘蛛の糸は俺だけのものだ、俺だけが助かるべき道なのだ、とな」

「やっぱりそこは極悪人ね」

「すると――どうなったか。カンダタが叫んだ瞬間、蜘蛛の糸はプツリと切れ、カンダタは真っ逆さまに血の池地獄に堕ちて行ってしまいましたとさ。おしまい」

「なぁにそれ、単なるバッドエンドじゃない。何の話なのよ?」




 エステラが顔をしかめた。


 小生は説明した。




「この蜘蛛の糸が何の象徴で、群がってきた亡者は何の暗喩なのか。そしてその亡者たちを見たガンダタが意識したものとは何か。それが分かれば――この木を真っ直ぐに見られる方法も見つかろう。そしてそれが叶った時、あなたの【エトノス】は飛躍的に強いものになる……」




 小生の言葉に、エステラがますます困惑顔になった。


 どうにも、これ以上詰め込めば本格的にこんがらがりそうな表情である。


 今日はこのぐらいにしておいたほうがよさそうだ。




「まぁ、今今すぐに全てを解き明かしてみせよ、とは言わぬ。だがこれがわかれば、あなた方は誰にも劣らぬ魔剣士になることができよう。さぁ、期限はあと七日だ。答えを見つけてみせよ」

「クヨウ、本当にこんな意味のないような質問に答えられるものなの? それに、それだけで魔術が飛躍的に強くなるなんてことは……」

「いいや、嘘ではない。よいかエステラ、この設問も基本はひとつ、『ある』と思えばあるし、『ない』と思えばない――これが全てのヒントだ」




 そう、あると思えばある、ないと思えばない。


 これが小生の知りうる限りの魔術、魔法理論の根本原理なのだ。




 言い切った小生の言葉に、エステラもニーナも、一層困惑した表情を浮かべた。







「面白かった」

「続きが気になる」

「いや面白いと思うよコレ」


そう思っていただけましたら、

何卒下の方の『★』でご供養ください。


よろしくお願いいたします。



【VS】

もしよければこちらの連載作品もよろしく。ラブコメです。



魔族に優しいギャル ~聖女として異世界召喚された白ギャルJK、ちょっと魔王である俺にも優しすぎると思うんです~

https://kakuyomu.jp/works/16818093073583844433

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る