傍観者の罪科

 生きるとは何か?この命題に幾多の先人たちが挑み、最終的には自分を納得させるための理屈を作り上げ、はっきりしたことは見出せないまま、その一生を終える。悠久の時を渡ってきた和多志ですらその答えにたどり着いていない。そんな中、琴乃巻心晴は興味深い考え方を持っていた。


 それは生きるという事は『運命を選択していくこと』ではないかという仮説だ。この一言を聞いてもおそらくピンとこないと思うので解説するが、その背景には『神はサイコロを振らない』『ラプラスの悪魔』『シュレディンガーの猫』といった理屈が骨組みとして存在する。


 まず『神様はサイコロを振らない』についてだが、これはとある有名な物理学者が友人に送った一説で、大まかな内容、宇宙誕生した時点で運命は完成されているのだから神様もしくは創造主がサイコロを振る必要はないという世界の見方。


『ラプラスの悪魔』も似たような感じで、すべての運命を見通する存在がいてそれを計算することができれば未来や過去の出来事を予測することができるという発想。


 最後に『シュレディンガーの猫』は猫と毒と装置を入れた箱の中の状態は箱を開いて確認しない限り判明しないことを前提に、観測しなければ死んだ猫と生きている猫が存在するという現象が起きるという思考実験で、実際には行われていない三次元からしたら不思議な考え方だ。


 細かいことを語れば切りがなくなるので先に結論を言うが、これらの説は既にこの時代では多くの部分が否定されている。


 皮肉な話、シュレディンガーの猫に関しては否定を目的に制作されたが、量子力学という小さい粒の世界では同座標に全く違うものが存在することを説明する内容に用いられ、その界隈では有名すぎる笑い話となっているのはまた別の話。


 心晴はその情報を掴む前、その考えを組み合わせたときにとある矛盾点に気付いていた。確かに未来予測やある程度の道筋があることは理解でいる。しかし、そういった無数の可能性が収束する一点、全体を見通せる創造主と違って、観測できる範囲が限られている生命からすれば、大部分の可能性を捨てて認識する存在はあまりにも世界にとって都合が悪すぎるという矛盾点だ。


 いってみれば創造主からすれば生命というものはバグみたいなものだ。


 良い例として今回の心晴のように、他者に運命のサイコロを握られ、勝手に振られて選ばされた運命で、その者が想定していないことが起きればそれは運命と言えるのだろうか。むしろ、バグのような存在と仮定するなら、下手したら七以上の数字だって容易に出る可能性だってある。


 その七が出た結果があの暴力行為であるなら、神の想定した運命はどうなる?


 もっとも話、そんな文字通り振り回されている人間は、運命を切り開くような勇者でもなければ、運命に抗う挑戦者でも、真実を求める探求者ですらない。だからと言って生きることなんてどうでもいいと薄情に突き放せる人間でもない。きっとそんな奴は存在しているだけで、何も成さず、何も遺さない、ただの傍観者ではないかと考えるまでに至ってしまう。


 選ばないもまた運命の選択だといってしまったら、話はそれまでだが――「そんなどっちつかずの生き方をしている存在が果たしてこの世界に、何の意味を与え、何の影響をもたらし、どんな世界を作っていくのだろうか……」


 そんな物憂げな弱音を吐き、自分の立場をあらてめて自覚したわたしは電気を消して、ベットの上へと身体を移し、布団の中に包まる。そこから見える暗がりと温かさは業が深く、その睡魔のまどろみは今のわたしの心情と先の未来を暗示しているようだった。一方、現実の時間は残酷にも過ぎてゆき、やがて窓の外が白み始めていることを認識しながら、わたしは目を閉じて、いつ目覚めるかも分からないまどろみの世界へと、意識を沈めていく。


 次目覚めるときは現実が終わっていることを夢見て――――。

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