腐敗した精神のカタチ

 前日に箸休め程度の休日を貰っていたから多少体調は良くなっていたが、会社に出勤するため門をくぐった瞬間、吐き気を催した。上半身を失った同僚が自分の下半身に追随し断面を引きずられながら、これから行く現場へと入っていく悲惨な姿を目にしたからだ。


 その気味の悪い感情を抱えつつも――仕事だからと、ほぼ脅迫じみた発破をかけてやる気を奮い立たせ、何とか足を無理やり動かし、荷物をロッカーに預けて現場入りをする。


 席に座ったらすぐに端末に電気を入れて、立ち上がるのを待つ。隣には友人がいて、腕を組みうつ伏せになって唸っている。その拍子に頭が位置がズレて、友人のこめかみには錠剤ネジがきつく締められ、そこを起点に陶器が割れたような亀裂が入っている。


「冬樹大丈夫?」

「……大丈夫じゃない」

「まだ洒落が言えるから大丈夫そうね」

「狂ってやがる……」


 友人は頭を抱えて震えている。震えているっていうか、痙攣していると表現する方が合っているような気がする。チラッと見えた顔はわたしが識っている顔よりも七歳くらい老けて見えるほどに疲れ切っていて、今にも溶け切った死体の果てになっても驚かない様子をしていた。


 前任がいたころは「大丈夫?」といったら、友人は「何?お財布の中の話?」と冗談交じりに笑いながら応答していたが、あのメガホン男が来てからは「平気平気、大丈夫大丈夫」と愛想笑いを見せる余裕があった時期もあったものの、今は仕事に対する感想を言うのがやっとだというのが、回復し切ってない人間でも判断できる。


 あらためて周囲を確認してみると、彼女の方がマシらしく、スタンドにエナドリ点滴をぶら下げて注入している同僚や笑ってるように見せかけてフェイスラインからは縫い付けられた解れが見えていて、目は解体され生気を失った動物の瞳をしている。他にも、人形を持つ歩きその子に話しかけてもらっている下半身もいて、現場の心理状態はドロドロ。とてもじゃないが、感情の生き物がいて良い環境ではない。


「はい、朝礼始めるぞ~」


 疲れた声色の少ない中年男性の声。頭部は拡声器のあの男だ。縦社会がまだ色濃いこの場所なので返事をするべきところなのだが、聞こえているはずの皆は挨拶する余裕もないのか、やつれた顔を今やっている仕事から目を反らさず作業を続ける。


 その態度に腹に腹を立てたのかメガホン男は「挨拶は!!」と耳がに穴を掛ける気かと思う声量で怒鳴り、やっと反応した同僚たちは「……おはようございます」とロード時間を挟んで返事。それはもはや挨拶ではなく確かな返事でしかなかった。


「まったく、ここのは礼儀がなっていないな。最初の人の良さはどこ行ったんだか」


 犯人であるメガホン男はそんな悪態をつき、さらに環境の空気を重くする。


 朝礼が終わり、仕事が配分される。最後にわたしの仕事分を言い渡されるとき、この無能上司は信じられない発言をしてきた。


「この仕事初めてでしょ。教えてやるから付いて来な」

「はい?」

「なにぼっさとしてる。仕事の時間はもう始まっているぞ!」


 その仕事の内容は前任に最初に任された内容のもので、一年以上やってきた仕事。メガホン男が来たときもその仕事を数カ月やっていて、何回かコイツからもその仕事を振られたことがある。それなのに『初めて』って――この瞬間、あ、この男人の仕事なんて碌に見ていないんだなと判ってしまった。


 その失望感は心に大きな空間を作り、その空間を満たす衝動的で煮えたぎった、冷たくて、つらくて、度数の高いアルコールが流入してきたかのような刺激が走り、気付けばそのメガホン男の襟を掴んで殴り始めていた。


「何が初めてだ。むしろ、専門分野だ」

「おい、このあと、ブッ、どう、ブッな――――」


 何度殴りつけただろうか。それを見て止めに入る人間は数分ほどいなかったと思う。殴り続けている間、わたしのお人好しも良いところで「今まで辛かったんだろうな、周りから無能扱いされて、頑張ろうとして無駄を省き、人から余裕を奪ってきたことも知らずに、なんでみんなに恨まれないといけないんだろうって、きっと悩んで来たんだろうね」と、それを口にしたのかどうかは分からないが、内心そう思っていた。


 だから「可哀想な人」とわたしは思った。


 その後、同僚に止められて、メガホン男は救急車で搬送。事情聴取として会社に拘束。本社から幹部がやってきて、現状を理解した会社はわたしに自宅待機を命じ「また後日処分を知らせる」といわれ、解放された時にはもう陽は落ちていた。


 彼女はその現実とやった事に多くの罪悪感を抱き、今日のことは忘れたいと思い立った心晴は普段利用しないコンビニで多くの酒を購入し、思考をぶちゃぐちゃにしながら全力疾走をして家路を急いだという事らしい。


 多くの歴史を知見してきた和多志としては、起こしたことに関しては大したことではないとは思う。けれど、どの時代であろうが、誰の想いであろうが、生じた感情には優劣はない。


 重要なのはそれを抱いて、どう対処するかは生命の役目。中には自決を選ぶものがいるが、それは勘弁してほしい。回収に困る。それに望まれた死に方をすることで、発展したデータや保全にも役立つ。これは創造主の都合だが……。


 和多志的には、勝手に死んだら面白くない。たったそれだけだ。冷たいかもしれないけども、死という、もうその世界に干渉できないという寂しさと比べたら大したことはないからだ。

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