第55話 防御的運用

 その晩4度目。今日最後の舞台。

 夜半過ぎになると客の半分は帰ってしまうので、最後は客席を回るのではなく普通に舞台の上で歌った。曲は『麦わらの山を転がる子猫』という題。童謡の替え歌であるが、考えたのはイーヴァではなくナタリアだ。猫を思わせる振付で踊り歌う。

 歌い終えると、三曲目よりは少ないが投げ銭がされた。


 舞台から見て店の左奥。一番遠い席の4人の客がイリーナは気になった。

 4人ともまだ若く、自分とそう変わらない年頃に見える。



 普通、体の成長が止まる年齢になるまでは酒など飲まないものだ。たとえ『耐久』の恩恵で酒精の悪影響が減じられるとしてもだ。

 学園に通うような年齢の者は、年齢的にもレベル的にも飲酒はふさわしくない。


 そもそも『イーヴァの止まり木』の酒は普通の酒場よりずっと高い。

 踊り子や歌い手の受け取る投げ銭は全て本人の収入であり、舞台を運営しなければならない店の経営は割高な酒の売上で成り立っているのだ。客には経済的に豊かな紳士が多い。

 不似合いな4人連れに首を傾げ、イリーナは舞台裏に戻った。



 舞台裏に戻ったイリアは大きく息を吐いた。最後の舞台を終えるまで気が休まらない毎日だ。

 調理場の裏のほうから給仕の仕事をきりあげたナタリアが出てきた。


「おつかれイリーナ。今日も良かったよ」

「ありがとうございます。あの……」


 イリアは3回目の舞台で受け取った大銀貨の事を話した。


「……どうしたらいいでしょうかね、ちょっともらいすぎな気がするんですけど」

「あぁ、あの人ね。紺色の帽子の人でしょ?」

「そうです」

「あれは、心配しなくていいと思う。たぶんそういうのじゃない」

「そういうのとは……」

「イリーナの気にする事じゃないわ」




 の舞台の終わりとともに閉店のはずなのだが、何時まで経ってもイーヴァとドランが店から戻ってこない。

 営業中は客のつまみを作っている調理場の調理台はシモンによってきれいに掃除され、今晩の店のまかないの大アマガエル腿肉の羊乳煮込みが湯気を立てている。


 ナタリアとシモンと一緒に店の方に出てみると、店に残っている客は4人の若者たちだけだった。イーヴァと対峙して何かもめている。


「だから言ってるだろ? 出て行ってほしけりゃ、酒代を返してくれよ」

「なんで飲まれた酒のお代を返さなきゃならないんだい? おふざけもたいがいにしなよ?」


 突っかかっているのは背の低い固太りの男だ。男子と言ってもいいだろう。せいぜい16歳と言ったところ。

 その横にひょろ長いのが控えている。少し下がって、ひょろ長よりもさらに背の高い、ごく短い短髪の男。一番強そうに見えるが、レベルやアビリティーによって喧嘩の強さは大きく変わるので、よくはわからない。

 一番後ろに中肉中背の金髪が居る。イリアの事を見ているようだ。


 衣装から着替えてカツラも外していたイリアは、なぜかかえって恥ずかしくなりシモンの後ろに隠れた。シモンの体はイリアを3人分隠せるくらいデカい。



「俺たちはこの店に純粋に酒を楽しみに来たんだよ。それがなんだよ、踊り子以外は女の格好をした野郎だって言うじゃないか。何でそんなものを見せられなきゃいけないんだ。こんなひどい話はないぜ、心が傷ついちまった」

「そーだぜ、金ぇ返せ!」


 追従したひょろ長はしゃっくりをした。どれくらい飲んだのかわからないが、明確に酔っているのはそいつだけであり、他はそれほど正気を失っているようには見えない。

 つまり、これは酔ったうえでの失態ではなく、意識したうえでのいちゃもんだ。


 この店がそういう店だという事は公然の事実だ。

 そんなことで傷つくような純情な連中なら、イーヴァが今日舞台で歌った、肩に担げるくらいのものがどうとかいう酷い猥歌で失神しているだろう。



 盛り髪のカツラをむしりとって床にたたきつけたイーヴァを後ろに引っ込め、ドランが4人組に話しかけた。


「君たち、ならず者のような格好はしていないね。たぶん学園生だろ? 飲み代を返すか返さないか、裁判に訴えてもいいが、君たちの経歴に傷がつくよ」


 ドランの言葉が届いたからなのか、後ろから金髪が言った。


「おい、もうやめようぜ。俺はこんなことするなんて聞いてない。バカな言いがかりは——」

「お前は黙ってろ」


 金髪の肩を押しのけ、短髪が前に出た。


「そんな脅しで俺らが引くと思ってるのか。学園をクビになるくらいなんでもない。レベルなんかどこでも上げられる」


 そういうと、後ろ腰から何か取り出した。大振りのナイフだ。

 まるで見せつけるように、ゆっくりとドランの顔に向けて突きつける。


「酒代を返してもらう。それと慰謝料を金一枚だ。さもなきゃ若い女男おんなおとこの歌い手を二度と舞台に立てないようにしてやるぞ」



 短髪は学園に10年くらい通っているのだろうか。とても10代の若者とは思えないの利いた声を出した。

 シモンが短い悲鳴を漏らす。


 ゆっくりと右手をあげて、ドランはナイフの刃を掴んだ。


「舐めるなよ、クソガキ…… 刃物ごとき怖がってこんな商売できると思ってんのか」


 イリアは驚いた。普段温厚な印象しかないドランの、地の底から湧いてくるような低い声は短髪の倍も恐ろしく聞こえる。

 短髪はナイフを引こうとしているが、ギシギシと音を立てて動かない。

 ドランが腕を振ると、金属の破壊音がして右手にナイフの折れた刃が握られていた。


 4人組は呆然としている。

 ドランは短髪の足元に刃を放ると、一言「消えろ」と言った。




「あぁ、さっきのはだよ。実際僕のレベルは24しかない。学園生相手でも2対1なら負けちゃうかもね」


 イーヴァにドランにナタリアとイリア。4人で深夜の夕食を食べながら、イリアは起こったことの真相を聞いた。


「イリアくんは知ってるかな、【鉄指】っていうんだけど」

「ドランさーん、店の中ではイリーナでしょ?」

「あ、ごめんイリーナ」

「いや俺はどっちでもいいですけど……」



 ドランは大人として認められるレベルから4つしか上げていないという。普通なら鋭利なナイフを力いっぱい握って傷もつかないようなステータスでは無い。


 【鉄指】というのは一応は『武技系・肉体型』のアビリティーだ。余剰マナを消費すると手足の指だけが強靭化するという、不思議な異能の作用をする。

 その作用は強力でまさに鉄同然だそうだが、肉体型であるのに防御向きでない、あまり活躍の場が考えにくいアビリティーだ。


「まぁそれでもいちおうは『武技系』だっていう事で、僕も若いころは国軍に所属してたんだよ。乗り気じゃなかったんだけど、両親に勧められてさ」

「それはすごいですね」

「すごくないよ? 軍隊っていうのは平均的に戦士団よりレベルが低いものなんだ。戦士団にはまだ入れないけど、戦うのが好きっていう若者が入ることが多い。だから僕はなじめなかった」


 ナタリアとイーヴァは事情を知っているのだろう。ドランの話を特に気にするでもなくカエルのもも肉を頬張っている。

 シモンの作るまかないは一流料理店のものに匹敵する味だ。4人以外の従業員も時々食べてから帰ることがある。


 カエルを飲み込んで、ナタリアがイリアに話しかけてきた。


「実はね、イリーナ。アイーダ姉さんも軍に居たのよ」

「そうなんですか?」

「ドランさんと同じ所属で、やっぱり馴染めなかったんだって。もったいないよね、【剛躰】なのに」

「【剛躰】ですか……」


 【剛躰】とは『武技系・肉体型』を代表するアビリティーだ。マナを消費して、ただ単純に体全体を硬くする。

 異能名は≪身体硬化≫。

 物理的な攻撃に対して圧倒的な防御を誇る【剛躰】の保有者であるアイーダは、レベルも30近いという。


「じゃあなんで、脚を折られちゃったんですか? 相手のヤクザって、そんなに強いんですか?」

「いや、そこまでではないと思うよ。僕もアイーダも軍時代、魔物狩りは頑張ったけど、人間相手は得意じゃなかったし。たぶん時間稼ぎされちゃったんじゃないかな。マナ切れしちゃえばそれまでだから」



 武技系異能の持続時間は種類によって変わる。一般的にその効果が特殊で強力であればあるほど余剰マナを早く消費してしまう。

 【剛躰】は単純に硬くするだけなので比較すれば長い方だろう。


 だが攻撃側が攻撃する瞬間だけ異能を用いればいいのに対し、防御するならずっと発動している必要がある。

 ために、防御的な異能の運用には注意が必要になるのだ。いずれにしろイリアには縁のない話だが。

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