第54話 集中
ナタリアとドランは昼食を買いに出ているらしい。アイーダにうながされ、椅子を持ってきてイリアも席に着く。
「もう一度お礼を言うよ、イリーナ。あなたが居なければこの店は終わっていたかもしれない」
「ふんっ、そう簡単につぶれてたまるもんか!」
鼻筋に数十本の皺を寄らせてイーヴァが
一方のアイーダはすっと伸びた鼻梁に切れ長の目。キメの細かい肌は色黒だ。
見ただけでは女性としか思えないアイーダはラハーム系の血が強いようだ。
KJ暦500年代半ばまでベルザモック州のある北東地域は魔境の森そのものといっていい有様であり、その開拓にはチルカナジア王国民の他にアール教徒の開拓団、それにラハーム教国から口減らしで追い出されたラハーム系住民がそれぞれ従事した。
そのためこの地には宗教的、政治的な思想は中央と変わらなくとも東方の血を引いている者は多い。イリアもわずかだが血が混じっている。
「アイーダさんはこの店の稼ぎ頭だったって聞いています」
「アイーダ姉さん」
「アイーダ姉さん」
二人が説明してくれたところでは、アイーダが右の脛を骨折したのは喧嘩が原因だという。
深夜、閉店した店から自宅に帰る際、3人の男に絡まれて返り討ちにしたのだとか。脚を折られながら最後には勝利したというのがイリアにはちょっと分からない。
だがとにかくその際に周囲の家屋を破壊したらしく、20日の禁固刑を言い渡されたのだそうだ。事情を鑑みて賠償までは求められなかったが。
刑期を終えて釈放されたのは昨日のことだそうだ。
「ひどい話じゃないか、牢役人にはたんまり包んだのにさ。骨接ぎの一人も入れてくれないなんて」
「でもその差し入れの額の分だけ、ほかは良くしてもらったわ。骨接ぎ無しでもあと10日すればちゃんとくっつくんだから、もういいじゃない」
「骨が付いたからってすぐ舞台ってわけにはいかないだろ? 体を戻すのにだって何日かかかっちまうよ……」
骨折は正しく固定すれば自然に治ることが多いわけだが、最高度の地魔法と手術を用いれば折れてすぐにもつなぐことが出来る。
普通生き物の体を直接魔法で操ることは出来ないが、骨の成分は地精霊魔法との相性がいいらしく、地圧に似た圧力をかければ魔法で操れるのだ。
大きな街であれば一人か二人くらい、レベル60前後の老地魔法使いが『骨接ぎ師』を営んでいるものだ。
もっとも、治療にはとんでもない痛みが伴うらしく、誰もかれもが骨折するたび骨接ぎを頼むわけではないのだが。
「イリーナ。あなたは夜道を一人で歩いたりしないのよ。私よりひどい目に合うかもしれない」
「えぇ…… この辺の治安は良くないとは聞いてましたけど、そんなに……」
「そうじゃない。奴らはこの店をつぶすのが目的なの」
「やつらって誰です」
「親分とかいって威張ってる、ルアージマルって名のヤクザよ。私が叩きのめしたのもルアージマルの子分ども。保護料を払わないからっていちゃもんをつけてきたのよ」
ルアージマルという男は年齢60歳ほどの大男らしい。
ソキーラコバルには学園生を除いても16万人が住んでいて、その半分が壁外に住んでいる。
その中でも東西に延びる主要街道の周辺、東地区と西地区には非合法的な影響力を競い合うヤクザの組織がひしめいているのだそうだ。
西地区で一番小さい組織だという、ルアージマルの一味。子分は10人ほどで、うち3人はアイーダとの喧嘩の結果、騒乱罪で服役中。
残りはたったの7人。親分本人を含めても8人だが個々人のレベルが高く、侮れないのだと二人は言う。
「保護料っていくらなんですかね」
イリアが聞くと、イーヴァがまた怖すぎる顔をした。
「払えばいいって言ってんのかい⁉ 冗談じゃないよ、いったい何から保護するってんだ。壁外を住みにくくしてるのは奴らヤクザどもじゃないか! 払ったら払ったで奴らの喧嘩に巻き込まれるだけ。本当に安全になるなら、いくらだってはらってやるてぇの!」
「イリーナはまだ子供なんだから、知らなくても仕方ないよ、母さん」
「じゃあ、市に相談するとか……」
「警士隊は壁内のことで手一杯なのよ。市長は頑張って毎年人数を増やしてるけど、ずっと人手不足らしいわ。街道沿いを巡回してくれてるだけでもありがたいと思わないとね」
イリアは思わずため息を吐いた。こんな所にも人口増加の弊害が出ているらしい。
とはいえアイーダとの喧嘩の件でルアージマルは市政府に目をつけられているらしく、表立って何かしてくるとは考えにくいという。
チルカナジアの法は厳格であり、役人は勤勉だ。
ルアージマルが罪もない『イーヴァの止まり木』に悪意を持って害をなしたと明らかになれば、ただでは済まない。
とりあえずイリアは頭を切り替え、今夜の舞台に集中することにした。
ローランが舞台の真ん中で背もたれの無い椅子に掛けた。箱琴を膝に乗せ、構える。
イリーナの出番だと思っていた客がざわつき始める。「どういうことだ!」と怒りの声を上げる者が一名。
いつもの黒い帽子を目深にかぶり直し、ローランが箱琴をかき鳴らした。
王国で一番有名な恋歌である『ラウラ大橋のたもとで』の伴奏である。現在イリーナの歌う一番人気の曲だ。
『雨上がりの ナジアの街で あなたの姿 探したら』
酒を並べている棚の方から歌声が高らかに響いた。長卓の上にイリーナが横座りしている。
療養のために自宅で寝ているアイーダから借りた、上下つながりの緋色の衣装。
寸法が大きく、イリーナの手は指先しか出ていないが、着付けをしたドランはなぜか「そのままでいい」と言った。
『はるか東の 城門の上 おおきな 虹が見えたわ』
長卓からゆっくりと降り、歌いながら手振りを加え、体をうねらせながらイリーナは客席の間を練り歩く。
店に来るまではステータス上昇のための違和感が残っていたが、連日の踊りの指導のおかげでそれはすでに解消されている。
今イリーナは完全に自分の体を制御できていた。
『私あなたの ユーディット姫 魔法で壁を 壊して欲しい』
吊り燭台の照明には香料入りの蜜蝋ロウソクが大量に使われていて、酒場の中は昼間のよう、とまではいかないがとても明るい。
イリーナの首には野ウサギの冬毛皮でできた長い襟巻が巻き付けられていて、体の前に垂れ下がっている。
曲の一番盛り上がるところを歌いながら手振りを大きくしていくイリーナ。
『何もないのよ できないことは 私のそばに 居てくれるなら
ラウラ大橋に 私はいるわ この身以外の すべてを捨てて』
客が歓声を上げる。
二番の歌詞に入ると同時に背の高い赤毛の踊り子、リリーが出てきてイリーナの後ろに控えた。
歌いながらまた客席を回るイリーナに向かって投げ銭が飛んでくる。
イリーナにぶつかる前に空中でそれらすべてをリリーが掴みとっていく。
【操躰】というアビリティーは直接体の器用さを高めてくれるわけではないが、身体感覚が鋭敏になる。なのでよく訓練すれば驚くほど巧みに体を動かせる。
レベル26の【操躰】保有者であるリリーは、露出の高い衣装で側転しながらまた銅貨を掴みとった。
イリーナの初舞台から毎日来ている濃紺の帽子をかぶった紳士が、腕を伸ばして硬貨を直接手渡してきた。店においてこの行為を銅貨でするのは許されない。
イリーナの左手に置かれた硬貨はなんと大銀貨だった。
内心驚いたが、平静を装って歌を続けつつ、野兎の襟巻で紳士の頬を撫でた。
客が歌い手や踊り子に触れば出入り禁止になるが、逆は問題ない。
だがイリーナの場合、直接は触れるべきでないとナタリアに言われている。
『イーヴァの止まり木』はあくまで健全な店なのである。
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