第51話 イリアは所属しない

 ハンナと大アマガエル狩りにでた初日に朝食を食べた料理屋。その近くにゲオルクの家はあった。

 真っ暗な夜の壁外北側地域。街灯も無く、家々の窓からこぼれる明りしか辺りを照らすものはない。

 なのでよくわからないが、ゲオルクの住居は小さな二階建て木造住宅のようだ。


「夕食くらい食べていく? 奥さんの手料理だけど」

「紹介してくれる宿って食事無しなら安くなりますか?」

「どうだろ? ちょっとわかんない」

「じゃあ遠慮しておきます。奥さんにご迷惑でしょうし」

「そっか。じゃあちょっと待ってて、荷物置いてくるから」


 ゲオルクは分校から書類鞄を持って帰ってきていた。玄関扉を開けると家の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。どうやら子持ちのようである。

 1分も経たずにまた出てきた。


「じゃあ行こうか。それにしても、本当に金に困ってるみたいだね。実家に手紙送って仕送りしてもらえばいいんじゃないの? 8大戦士団の頭領家の子なんだろ?」

「あぁー、まぁ……」



 そういう手も考えられないことは無い。

 だが金に困っているといってもアビリティー研究処に行けば、少なくとも食うには困らない立場なのだ。

 それをしたくない、もう少し考える時間が欲しいというのはイリアの勝手であり、その勝手を通すために実家に負担をかけるのは、なんだか違う気もする。



「なにかいい儲け話ありませんかね」

「ないでしょ。そんな大人の4分の1程度のステータスじゃどんな仕事も務まらないよ。だからこそみんな学園に入ってレベル上げするんだし」


 話しているうちに着いた宿はゲオルクの家とさして変わらない大きさの建物だった。宿の主人はゲオルクをそのまま20歳年寄らせたような見た目の人物。

 宿賃は小銀貨2枚半で二食付きだった。





 翌日イリアは防壁内の北大通りの店を巡っていた。駐屯兵宿舎のある北区は鍛冶屋や防具屋などが多い。


 昨日学んだところでは、大アマガエルと戦ったセイデス川を東に20キーメルテほど遡ればマスが釣れる。もうすぐマス釣りの盛んな季節がやってくるらしい。

 もう大アマガエルは怖くないのだが、流れが速く淀みの少ない上流域にはカエルの代わりに剃刀イタチが出る。

 仮想レベルは3から5と低い魔物だが、下あごから上に向かってはみ出した牙が極めて鋭利な、厄介な魔物らしい。

 泳ぐのが得意であり、かつ陸の上でも敏捷だ。


 詩篇『森の恵み』でせっかく学んだので、森に入って植物採集ということも考えてみたが、森に一人で潜るのはおそらく剃刀イタチを相手にするより何倍も危険性が高いだろう。


 鈍重な渦蟲うずむしの攻撃ですら手傷を負ったイリアは、何でもいいから防具が欲しかった。牙角きばづのジシの皮上着は持ってきているが、ダンゴネズミにも噛み破られたのだからイタチに対しては心もとない。


 しかし、どこに行ってもイリアの手持ちで買えるような防具は売っていない。

 小さな胸当てが大銀貨2枚で売っていたが、話を聞けば弓を射る際につるから乳房を守るためのものだった。


 最後に入った店で、新品ではなく中古を探すべきだと言われ、教わった中古防具屋へ向かう。北大通りから東に少し、兵士宿舎裏にあった『品質保証フォルムボルカ』という店に入ると、女の店員が店の真ん中にたらいを置いて革盾のカビを洗い落としていた。


「いらっしゃい」

「えっと、まず商品を見てもいいですか」

「いいともさ。そっからそこまでの棚が金3枚。そっちが金2枚で、そっちの壁の左側が金1枚。右側が安いのだよ」


 金属鎧や鉄盾のある、高価な商品の棚には用が無い。

 一番安い商品の飾られている棚を見ると、木製の盾や革の胴当てなどがある。

 木の盾など自分で作った方が安くつきそうだし、短鉄棍を両手で使うので適さない気がする。胴当てを手に取って体に当ててみると、大きすぎて動きが阻害されそうである。

 いつの間にか傍に寄ってきていた女店員が話しかけてきた。


「その棚にあんたの体に合う寸法のもんは無いかもよ? あんたにはこれがおすすめだよ」


 肩幅の広い筋肉質の女店員が手に持っているのは革の全身鎧だ。そんなもの買えるわけないとイリアが言う間もなく、あれよあれよという間に装着されていく。

 

 イリアの全身は背中と二の腕の内側、腿の裏側が開いている他は全て、硬く分厚い黒革で覆われた。


「素材は東方のヨロイ一角っていう獣の硬皮だそうだよ。どうだい? 寸法が合ってると重さも感じなくて動きやすいだろ?」

「おぉ……」


 確かにまるで違和感がない。まるで自分が甲殻動物になったかのようだ。

 何よりも見た目が格好いい。黒い全身革鎧と言えばユリーの着ていたものに似ている。肘や肩などに革が重ねてあり強そうに見える。

 さらに特徴的なのは胸部が白鉄板になっていることだ。金属が表面にだけ張り付けてあるのではなく、ちゃんと革を取り外して同じ厚さの鉄板に取り換えてあるのだから、当然防御性は高い。


「えーっと…… おいくらなんですかね」

「キズも少ない一級の品だからね。鉄の鎧よりは断然安いけど、金貨で2枚はもらいたいねぇ」

「……また来ます」


 女店員は片眉をうごめかしてから鼻息を漏らし、鎧を留めている腰の革帯を外し始めた。




 『品質保証フォルムボルカ』を出たイリアはそのまま北西区に向かった。

 中央区以外はどこも建物が密集しているソキーラコバル市だが、北西区には寮や宿舎など、一つ屋根の下に大勢の人間が住む建物が多い。

 その北西区でも北の端、防壁のすぐ内側にある建物は『自由労働者組合』だ。


 ノバリヤにも同じ名前の組織は存在した。戦士団にも入れず、職人や農家といった忍耐のいる仕事にも就けない、半端者の加入する組織だ。

 運営側の主な業務は日替わり隊結成の手助けと、日雇い仕事の斡旋である。


 質の悪そうな安っぽい扉を開いて中に入る。

 見るからに勤勉さと程遠いような雰囲気を醸し出す者が十数名。卓にだらしなく肘をついていたり、いすを並べてその上で寝ていたり、あるいは床に寝ていたりしていた。ほとんどの者が武装している。

 数札かずふだ遊んでいる者らも居た。『道化師渡し』という遊び方だ。賭け遊びではなく子供でもできるもので、イリアも知っている。



 待合室と事務所を隔てる壁。そこに開いた受付口の隣。大きな掲示板にイリアは近づいてみた。

 紙や、あるいは釘で打ち付けられている小さな木板に、乱雑な字でそれぞれいろいろなことが書いてある。


 ある一枚には東方への旅商隊結成の誘い。ある一枚には新設戦士団の結成を目指すという宣言。少しまともな字で書かれているのは王都北方森林魔境の開拓事業への募集だ。

 秋に馬喰まくらいアギト討伐のため『黒森』を目指すという中隊結成の勧誘もあった。馬喰いアギトとは仮想レベル40台の二足歩行のトカゲの魔物である。


 掲示板の内容が何かの冗談でない限り、ここには戦士団正団員でもおかしくないレベルの者が出入りしているようだ。州都とノバリヤでは事情が違うのかもしれない。

 やはりというか当然というか、レベル5で出来そうな仕事の依頼など無い。大人は普通レベル20以上なのだ。

 イリアはため息を吐いて、それでも万が一の可能性に賭けて窓口に向かった。



「用件は何だい? ボク。日替わり隊の申し込みには組合員登録が要るよ」

「いや、それはいいです……」


 頭頂部の禿げあがった口髭の男がガラス窓を開けてきいてきた。ボクという呼ばれ方にはさすがに少し腹が立つ。

 登録するとなれば当然アビリティー種別の申告が要るはずだ。だが今は【不殺(仮)】の事を隠したいとか、そういう事よりも自分のレベルの低さが問題だ。


 誰もレベル5の14歳を戦力として考えてはくれないだろう。

 この建物に居る怠惰そうな者たちの誰よりも。イリアは自分が最弱であることを解っている。


「何か俺にできそうな仕事無いですか。 ……レベルは5なんですけど」

「ふーん……」


 禿げ男はジロジロとイリアの顔と体つきを見ている。


「君さぁ、歌は歌える? 音痴だって言われることは無い?」

「歌ですか?」

「うちの業務とは違うんだけど、俺が個人的に頼まれてることがあってさ。君次第で紹介できる仕事が、あるにはあるよ」


 特に好きということは無いが、歌が苦手という事も無い。

 まだハンナが雇われる以前、学問塾の幼年部に通っていた時は文字や数字を覚えるための歌を結構すぐに歌えた気がする。他にも童謡を何曲かは知っている。

 イリアは受付の男に書付かきつけをもらって、指示された場所へと向かった。

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