第50話 読書
ゲオルクに教えてもらった通りに分校敷地内を移動するイリア。学園生があちこちに居る。
コトニーから帰ったばかりのイリアは背負い袋をせおっているし、短鉄棍も担いでいる。だが学園生の中にも同じように武装している者は多い。
アビリティー学園は学問の府であると同時に若者のレベル上げを援助する訓練校の役割もあるのだから当然だろう。
他人から見ればイリアは学園生の一人と言っても何の違和感もないのではなかろうか。
敷地の中央南寄りに建っている煉瓦造り二階建ての建物。一般家屋と同じくらいのその建物が分校図書館だ。入口階段の前で見上げていると、イリアを追い越して丈の長い青い法服を着た女子が図書館に入っていった。イリアも続く。
一階丸ごとが大きな書庫のようだ。窓が無く薄暗い。真ん中に煉瓦の太い柱が2本立っていて、三方の壁全てが書架になっている。
3千冊もあるだけあって本独特のにおいか部屋に充満していた。
先に入った法服の女子が、入り口横の机に居た女性と小声で二、三言かわすと横の階段から二階に上がって行った。
色素の薄い金髪を肩まで伸ばしている、袖の無い服を着た若い女性。彼女がおそらく司書なのだろう。
「えっと、あなたがエイニーさんですか?」
「そうよぉ、何かお探し?」
イリアがゲオルクからもらった紙片を差し出した。
エイニーは入口扉の上部に開いた採光窓の光を頼りに読んでいる。緑色の瞳を縁取る髪と同じ色のまつ毛が光を反射していた。
「ふぅん。まぁ、いいですよ。で? どんな本を探してるんです?」
「とりあえず州都周辺の人工管理魔境についてわかるものが読めれば」
「……はいこれ。二階に行って読んで来て。読み終わったら返してね」
読み込まれてぼろぼろになった紙表紙の冊子だ。エイニーの机のすぐ後ろの本棚から取り出された。覗いてみれば同じ本が数冊並んでいるようだ。
学園生には最も需要のある本だろうから不思議ではない。
二階には本立て付きの大きな長机が4つ並んでおり、一つの机に椅子が8脚ずつ備え付けてあるようだ。大きな窓が北側以外の三面にあり、薄暗い一階とはまるでちがう。
本を読んでいるのはイリアと同じ十代の若者たちだ。眼鏡をかけている者がとても多い。20人ほどいる利用者の半数が眼鏡ではないだろうか。ノバリヤの街ではめったに見なかった。
学園生は3万人居るはずなのに、なぜ図書館の利用者が20人しかいないのか。イリアには非常に疑問だったが、とりあえず自分の用事を済ませることにする。
『ソキーラコバル周辺人工管理魔境』と、何のひねりも無く題された冊子を開く。
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1刻かけて読み終わり、裏表紙を見てみると「ベルザモック分校刊」とある。この冊子は分校の製本所で印刷されたもののようだ。
本の印刷の方法は常識としてイリアも知っている。文字を彫り込んだ木の板に地魔法で精製した特殊な粘土を押し付け、巧みな火魔法使いが歪まないように原版として焼き上げる。そして原版に墨油を塗って紙に写すのだ。
原版は保存されるが、需要が無くなったり訂正の必要が出た場合は割って細かくすりつぶし、また粘土の材料にされる。これを廃版という。
隣では眼鏡の男子が本立てに立てた大きな本の内容を覚書き帳に書き写している。
イリアも覚書き帳と携帯筆記具が欲しかったが、あれはなかなか値が張るのである。
ノバリヤを出る時は8枚あった大銀貨が、いろいろあって今では3枚しか残っていない。痛かったのはコトナーで
傷を負ったまま戦い続け、いちおうイリアの基準としては勝ったのだが、コトナーまで逃げ戻ったので肌着も綿服も血だらけになってしまった。
肌着は買い直した。綿服は洗濯に出し、一晩で乾かしてもらうための特別料金がかかった。
傷の治療は軟膏を塗っただけであるが、当然軟膏代と包帯代がかかった。半分以上残っている瓶詰軟膏は背負い袋の中に入っている。
イリアは一階に降りてエイニーに冊子を返した。
「あの、他にも読みたい本があるんですけど」
「なぁに?」
「この辺りでお金になる採取物のことがわかる本を、読みたいです……」
「ふぅーん…… じゃぁ、ちょっと待っててねぇ」
エイニーは一階の書架を巡り歩き、3冊の本を選んで持ってきてくれた。
ゲオルクの手紙を読むときは光にかざしていたのに、本は薄暗い中でも探せるらしい。どこに何の本があるのかを把握しているのかもしれない。
『体質強化系』アビリティー【健脳】保有者だろうか。あるいはただ本が好きなだけかもしれないが。
二階に持っていき頁を開く。
一冊は服飾の専門書で、魔物の皮の事が詳しく書かれてあった。ダンゴネズミのような最底辺の魔物の皮のことまで網羅されていて、商品価値を落とさない剥ぎ方が親切に書いてある。イリアはその本を閉じて脇にやった。
二冊目は薄い本だった。『楽して稼ごう拾って売れる物120選』。
軽薄な題のわりに内容はしっかりしていた。
砂金の取れる川の見つけ方や、鳥の糞から種を取り出し新しい作物を見つける方法など。短く簡潔な文で意外な考え方がたくさん紹介されている。
読み物として面白く、最後まで読んでしまった。
だがイリアにとって実現性は無い。金脈のある地形はベルザモック州には無いようだし、鳥の糞から一攫千金というのは時間的余裕のある場合にすることだろう。
一つだけ参考になったのは魚の釣り方だろうか。
魔物の危険が少ない川であっても、そもそも水辺は溺れて事故になる危険がある。暇な大人が周りに少なかったイリアは魚釣りを教わったことが無かった。
三冊目は『森の恵み』という詩篇だった。
森で採れる食料に感謝を謳った詩が1頁ごとに載っている。文法は童謡のように簡単なものだが、韻律が美しく整っていて芸術的だ。
動物性の食料のことには触れられておらず、一つの詩に1種類の植物やキノコのことが謳われていて、採れる季節や場所の情報がきちんと分かるようになっている。
その場所はベルザモック州の西半分に限定されているようだ。ヴァレリーという名の著者はきっとソキーラコバルの出身なのだろう。
「おい、イリア君。もう閉館だよ」
分厚い詩篇を読み
声をかけてきたのはゲオルクだ。
「ボクの顔を潰さないでくれよ、心配してエイニーがわざわざ呼びに来たんだぜ」
「すいません、つい読みふけっちゃって。今出ますから」
イリアは長机の足元に置いてあった荷物を引っ張り出した。周りに図書館利用者は誰も残っておらず、イリアは一人で読み続けていたようだ。
「なに、君14歳でヴァレリーなんか解るの。さすがお金持ちの子は違うね」
「金持ちとかは関係ないと思いますけど…… 詩なんてちゃんと読んだのは初めてですし」
「いやー、やっぱり感性みたいなのはあると思うよ。そもそも学園生で本読むのが好きな奴なんてほとんど居ないし」
本を返してゲオルクと共に外に出た。校門に着くころになってゲオルクが聞いてきた。
「ハンナはもうどっか行ったって言ってたけど、イリア君は今どこに泊まってるわけ?」
「あー…… まだ宿をとってないです……」
「駄目じゃん。もう夜だよ。安宿でよければうちの近所にあるけど?」
「本当ですか? 教えてください、今お金があんまり無くて」
「うん。まぁ値段の割には安全だとおもうよ。宿の親父さんがしっかりした人だし」
街灯の灯る道の先を進むゲオルクにイリアは駆け足でついて行った。イリアより背が低く、足も短いゲオルクだが一歩一歩が大きい。
イリアの感覚的には2キーメルテも歩き続けた。たどり着いたのは北大通りの先。大防壁に開いた門である。
イリアが怪訝な顔をしていると、振り向いたゲオルクが言う。
「ひょっとして、『こいつ貧民街なんかに住んでる』って思ってる?」
「思ってないです」
「その顔は思ってるだろ。本当に止めた方がいいよ、その言葉使うの。ハンナのバカがしょっちゅう口にしてるけど、ソキーラコバル市の人間の半分は壁外に住んでるんだぜ?」
「やっぱり差別的な言葉なんですよね?」
「うん。あいつ悪気無く平気で口に出すからさ、言葉遣いうつったりしないように気をつけな?」
出門審査ではイリアの荷物を調べるのに少し時間がかかった。
そのあいだ、ゲオルクとイリアはハンナの無神経さについて語り合った。
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