第2章

第49話 渦蟲

 審査所からハインリヒ邸に戻ったイリア。

 借りていた使用人部屋に散らばっていた持ち物をすべて背負い袋にしまった。

 一階に降りる。ジゼルが後ろについて、一緒に玄関を出た。


「お世話になりました。なにもお礼できなくてすいません」

「そんなのいいんですのよ、わたくしの方こそ魔石まで頂いてしまって…… それよりも、本当に出て行ってしまいますの? 我が家は別にいつまで居てもらって構いませんのよ?」

「いえ、俺はあくまでハンナのおまけで滞在させてもらっていたので」


 曲がりなりにも、ハインリヒ家に貢献していたハンナだからただで滞在する資格があったのだ。一人で居座るほどイリアは図々しくない。


 小さいが高級そうな住宅が立ち並ぶ、閑静な中央区。

 急ぎ足で歩くイリアはソキーラコバルにやって来た時とほぼ変わらない姿。違うのは短鉄棍を肩に担いでいることだ。

 なかなか勇ましい姿の気もするが、警士の使う物の半分の長さなので、かえって半人前とばれる恐れがある。だが担ぐ以外に楽に運ぶ手段がないのだ。

 杖のように突いて歩くと石畳で先が削れ、しみこませた錆止め油が取れてそこから錆びてしまう。


 イリアは先ほど一時滞在許可証の更新をした東門に向かっている。目指すは隣街のコトナーだ。

 今日中に向こうについて宿を取り、翌朝、人気の無い人工管理魔境である渦蟲うずむしの森に行くのだ。渦蟲の仮想レベルはだいたい5だと、つ脚ラクダのカールは言っていた。




 コトナーで二泊して、午前中にソキーラコバル東門から帰って来たイリアはアビリティー学園分校に向かった。

 いつも使う正門をくぐる。昼間だからなのかよくわからないが、門衛にとがめられたりすることは無かった。

 学園生の出入りが激しく、イリアは緊張した。



 イリアは8歳のころ父ギュスターブによって自室に軟禁されている。

 期間は9日間。不当な扱いだったとは思っていない。

 ノバリヤ住民の子供の額を薪雑棒まきざつぼうでかち割ったことが理由だったからだ。

 我を忘れるほどの怒りの原因も覚えている。その子供が、亡くなった母ポリーナの事を「硬肉女かたじしおんな」と呼んだからだ。



 大昔から女性が戦士として活躍する事例は数多い。チルカナジアを開国した初代の王であるラウラ・ストルモントがそもそも女王であり、国の最大戦力として存在した。

 だが、『魂起たまおこしの水晶球』が開発されたのが170年前であり、その普及にも年数が掛かっている。大人のすべてがアビリティーを得るようになったのは歴史的に考えれば最近で、そうでなかった時代の方がずっと長い。

 人数が限られる以上、アビリティーを得て魔物と戦うのは。女は家に居て子を産み育てるべきという考え方があったのは当然といえる。

 そういう古い考え方が表れているのが「硬肉女」という言葉だ。


 母ポリーナは父と家庭を持つまで女戦士だったのだ。レベルは30以上だったという。当然、『耐久』もその分高く、触れば体はレベル20そこそこの普通の女性よりは硬いだろう。

 性的な揶揄やゆの意味合いもある「硬肉女」だが、「硬肉女」は子供が難産になるという迷信もあるのだ。


「おまえの母ちゃんが死んだのは硬肉女だったからだ、女のくせにレベルをあげすぎる、だから死んだんだ」


 イリアが激高したその言葉。

 後に学んだところでは、その内容は完全な嘘である。

 へその緒が繋がっている間、胎児は母親のステータスの恩恵をそのまま受ける。なので一般論としてはむしろレベルが高い方が妊娠出産は安全になるはずだ。


 今にして思えば幼い子供が言ったことであるし、当時もイリアは「殴った自分が正しかった」などと思っていなかった。


 相手家族への賠償のために父は奔走。

 自室の寝台の上で丸まって震えるイリアは、ただ相手の子供が死なない事だけを祈っていた。

 9日間、その男児が意識を取り戻し容態が安定したと聞くまで、ほとんど食べ物が喉を通らなかった。

 剣術の鍛錬を楽しいと思わなくなったのはその件以降である。




 ノバリヤの街出身だからと言って子供が全員戦士団に所縁ゆかりがあるわけではない。一般家庭の子の多くはアビリティー学園に入る。

 当然、ここ州都ソキーラコバルの分校にだ。

 ここにはイリアが幼いころ交流のあった者も居るはずなのである。


 イリアが額をかち割った2つ年上のルカという子も、たしか毛糸編み職人の子であった。

 職人の母と二人暮らしだったルカは事件後、ノバリヤからは居なくなっていたが州の外までは越していないかもしれない。

 3万人もいる学園生の中、たった一人と出会うこともそう無いだろうし、年齢と共にお互い容貌が変わっているはずだ。会っても気づかないとは思うのだが。



 教職員棟の二階。イリアはゲオルクの部屋の扉を叩いた。ハンナのようにいきなり開ける無礼は働かない。

 「はいはーい」という愛想のいい返事と共に扉を引き開けたゲオルクは、イリアの顔を見て一瞬唖然とした後、瞬間的に襟首を掴んでじり上げてきた。


「おっまえコラァアッ!!」

「違います! 鑑定に来たんじゃないです! レベルも上がってません!」




 昨日。イリアは渦蟲の森で最初の一匹を見つけ出すのに半日もかけてしまっていた。

 低級魔物くらい知識があれば簡単に見つかるとハンナは言っていたが、渦蟲についての知識をイリアは持っていなかった。

 ようやく見つけ出した等格の魔物。渦巻く殻からはみ出た、ナメクジのような軟体。

 肉をちぎり飛ばさないように手加減しながら短鉄棍で殴っている間に、イリアは相手の反撃で負傷してしまった。

 飛び出た目の下に一対生えている触手。それが思いのほか速く、長い間合いで伸びてきて、先端に生えたとげで左胸を突かれてしまった。

 長くはないが太い刺であり、包帯の下の傷の周りは今、青あざになっている。


 戦闘には一応勝利している。

 もともと動きの極めて鈍い魔物が相手。触手に気を付けて正面に立たなければ脅威は小さい。

 だが鎌蟲かまむし同様恐怖を抱かない魔物であるようで、いつまでたってもらちが明かない。そう判断したイリアは、殻を狙って全力で短鉄棍を打ち付けた。

 破壊音と共に殻に大きなひびが入り、まるで痛みに耐えきれないというかのように魔物は殻の中に籠ってしまった。成長素はその時に得ている。


 ひびからは渦蟲の体液が流れ続けていた。ひょっとしたらこのまま死ぬのではないか。

 代わりにとどめを刺してくれるハンナは居ない。自分の攻撃のみが原因で起きるを認識したら自分はどうなるのか。

 恐怖にかられたイリアは全速力で森から逃げ出したのだった。




 ゲオルクはイリアの襟首を放してくれた。小太りの中年男は乱れた横分けの髪を直しながら息を一つ吐く。


「ごめん。あのバカ女の生徒だから、3日でまた上げてくることもあるんじゃないかと思って…… アビリティー鑑定じゃないなら、何の用?」

「あの、実はですね——」


 日々の雑談の中でイリアはジゼルから学園図書館の事を聞いていた。3千冊以上の蔵書がある図書館は通常、学園生と教職員しか利用できない。

 だが教職員の保証があればイリアでも利用できないことは無いというので、駄目で元々と思って唯一の顔見知りであるゲオルクに頼みに来たのだった。


「——というわけです」

「あーそう。いいよ、別に」

「いいんですか?」

「だってハンナの生徒ってことはイイトコの子だろ? 身分証見せてよ。破損とかあったら親御さんに請求するから」


 イリアが銀板の身分証を見せると、ゲオルクはその内容を覚書おぼえがきした。もう一枚小さな紙片に何か書き、身分証と共に渡してくる。

 紙片にはゲオルクの名で、イリアに図書の閲覧を許すようにという内容の依頼文。宛名に司書と思われる女性の名前が書かれていた。

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