第45話 講義

 KJ暦766年。大陸の西の端に近い北海沿いの小国、ネズバック王国。

 15歳で『魂起たまおこしの』をうけたホルヘという男性が発現させたのが、新種アビリティーの【健髪】である。

 長期間におよぶアビリティーの判定検査の結果、真正の新種と判明。すぐにホルヘはネズバック王政府に軟禁され、魔石を摂取させられ続けた。何度もステータス不適応症を起こしながら、3年でレベル40まで上昇。


 国を超えて影響力を持つ【賢者】保有者の団体、「賢者議会」の介入によりホルヘ氏が置かれた状況は少しだけ改善したらしい。

 人道主義を掲げる賢者議会の政治的影響力だけが原因ではなく、3年の間に【健髪】の発現が世界中で何十例もあった事実が王政府に伝わったことも大きいだろう。

 研究成果の独占が出来なくなった以上、あまり有用とは言えないアビリティーを無理に研究することに、それほど利益は無い。


 ホルヘ氏の発現から10年。776年になって【健髪】の異能≪体毛強化≫がレベル40になった時に変化することがわかった。

 通常、『耐久』ステータスの恩恵は毛髪の根元から1デーメルテほどまでしか届かないが、【健髪】保有者は頭頂から肩ほどの長さまでが強靭化される。

 それがレベル40になると≪体毛強化≫は≪体毛強化・増≫となり、腰の長さまで効果が届くようになる。

 男性であるホルヘ氏は、もともと肩の長さまでしか髪が伸びなかった。そのために分からなかった異能変化の性質が、他国での女性保有者の研究協力によって判明したのだった。


 現在27歳のホルヘ氏は故国を離れ、賢者議会の本拠地である賢都ヤズマブルで療養生活を送っているらしい。



「というわけで、新種アビリティー発現者の運命と言うのはなかなか過酷なものなのだね」


 ハンナが不吉な予言をのたまう。ジゼルは心配げにその美しい眉根を寄せた。


「まさかこの国ではそんな酷いことは起きませんでしょう?」

「まぁね。ネズバックは人道も学問も遅れた国だから。チルカナジアならもう少しマシだとは思うよ」



 アビリティーの中にはレベル上昇に伴って異能が変化するものがある。

 レベルが一つ上がるごとに効果が大きくなる異能もあるのだが、レベル20や40、あるいは60になった時に大きく変化するほうが例が多い。


 武技系の中でも特殊な性質を持つ【木工】は、発現と同時に≪木質剛化≫を使えるようになる。手で触れ、マナを流し込んだ「植物の繊維質」を硬くするという異能。金属製の武器は強靭化できないので、魔物との戦いでは活躍できない。

 せいぜい木剣を硬くできるだけのように思えるアビリティーだが、レベル20まで上げればもう一つの異能≪木質柔化≫を得る。

 この異能を使えば、生きている植物も死んで製材された材木も柔軟にすることが可能なのだ。


 自身の肉体や鎧ではなく、手に持つ物を強靭化する種類の武技系アビリティーは工具も強靭化できる。そのため、木の伐採や裁断、彫刻においても有利だ。

 だが【木工】の第2の異能≪木質柔化≫は工具を強靭化せずとも材木の加工に有利。

 さらに歪んだ材木を真っ直ぐに整形したり、ある程度好きな形に曲げることもできるのだ。

 戦闘に向かないアビリティーである【木工】は、実は建築業や製材業などに引く手あまたの、食うに困らないアビリティーなのだ。



 武技系最強のアビリティー【剣士】の異能も変化する。イリアの父であるギュスターブがレベル40になったのは、イリアがまだ3歳のころだったという。

 ≪斬気≫によって薄く鋭利な刃を強靭化したところで、岩の塊を斬ることは出来ない。

 いくら薄くても刃に「厚み」が存在する以上、その厚みが岩に引っ掛かってそれ以上剣は進まなくなる。

 「割る」ことは可能だろうが、最高の切れ味と丈夫さを持った剣でも硬度の高い物体を「切る」ことは出来ないのだ。


 だがレベル40を超え≪斬気≫が≪斬気・纏≫に変化すると、振った剣の周囲の物体を一瞬、わずかに柔軟化する効果を発揮するようになる。

 これにより、レベル40を超え、十分な剣技を身に付けた【剣士】に斬れないものは存在しなくなる。岩だろうが鋼鉄の塊だろうが、竜の頭蓋骨だろうが、すべてを両断する絶対的な攻撃力を得る。


 ≪斬気・纏≫はもはや武技系の定義に当てはまる異能とは言えない。

 【剣士】は『武技系』であると同時に『現象系』のアビリティーなのではないかと言うのが現在のアビリティー学の見解だ。そう書いてある本が、イリアの実家の図書室にある。




 レベルが上がると異能が変化する可能性があり、そのために【健髪】のホルヘ氏は苦しむことになったのだ。もしかしたら60まで上がれば更なる変化があったのかもしれないが、その高みに至るのは簡単な事ではない。



「イリアの新種アビリティーがこの先どうなるのかは分からない。少ししたら世界中で同じアビリティーが発現するかもしれないし、一生そうならない『唯一種』のアビリティーかもしれない。あるいは公表されていないだけで、既にどこかでは存在の知られているものなのかもしれない」


 ハンナは話を続けている。


「公表するのかしないのか。するとすれば何時どこで、誰の元でか。イリアは状況を見て賢く振舞う必要があるわけだ。でないと一生を棒に振る恐れがある。普通に考えればアビリティー学園の研究処に行くものなんだろうが、学者は別に聖人じゃないからね。なにが起きるかは私にもよくわからない。そういう事に巻き込まれたいかい? ジゼル」

「わたくしは……」

「ジゼルを信頼しないわけではない。だがハインリヒ家は立場のある家だ。おかしな政治利用の可能性を恐れたりするくらいなら、何も知らないという立場でいる方がいいとは思わないかい? まぁ、イリアが判断するべきことではあるが」

「……」

「二人とも、秘密を話すのか話さないのか、聞きたいのか聞きたくないのかはゆっくり考えなさい。いずれにせよ今日の検証実験の事も含めて勝手に外に漏らしてはいけないよ? それは理解してくれるね、ジゼル」

「はい」


 ハンナの講義が終わる前に、イリアは前々から抱いていた疑問について聞いた。

 なぜ異能が20の倍数のレベルで変化をするのかという疑問である。


 ハンナの言うには、アビリティーというものが「20進数」で構成されているという説が有力らしい。ジゼルには分かるらしいが、イリアには「20進数」という概念がよくわからなかった。




 2刻間の休憩を経ての鎌蟲かまむしとの再戦。

 へし折られたクルミの若木に接近したイリアに、草藪の中から茶色い影が飛び出す。


 体勢を低くした鎌蟲がイリアの足元を狙って攻撃を繰り出す。

 今までにない、弱点を的確に狙った攻撃。

 昆虫は記憶したり考えたりしないというハンナの話がいきなり怪しくなったが、なんとかイリアは短鉄棍で打ち払った。

 今度は頭を狙って両鎌を振るう魔物。これも打ち払う。短く持たなければ素早く振ることが出来ない短鉄棍ではあるが、防御的に用いるならそう悪くはない。

 むき出しの両手を鎌で引っ掻かれないように注意し、防御に徹するのはイリアにとって困難ではない。


 5度攻撃を防がれた鎌蟲は体を起こして両前足を高く掲げた。降参ではなく威嚇の姿勢だろう。

 最後の攻撃を誘発するために一歩前に出たイリア。

 鎌を突き出し鎌蟲が前に踏み込むのを、ぴんと張った腰の綿帯が妨害した。綿帯の先に繋がれたクルミの若木の重量は、たぶん鎌蟲の体重くらいはある。

 イリアに届かずに空振る左右の鎌。


 イリアは短鉄棍を長く持ち、上から大きく振り下ろした。

 細長い触角が生えた頭部をわずかに掠めて、短鉄棍の先端が鎌蟲の左肩に当たった。

 ベキッという音。左の鎌が痙攣しつつ折りたたまれる。



 卑怯ではある。動きを妨害する綿帯が腰に結ばれていると、相手が分かっていないことを利用したのだ。剣術の練習試合なら明らかに不公平である。

 だが、ダンゴネズミと戦った時も、相手を罠で捕らえて幕屋まくやに閉じ込めて戦ったのだ。今更鎌蟲とだけは公正に戦いたいというのも、虫がいい。


 残った右の鎌を持ち上げ、再び威嚇の姿勢をとる鎌蟲。

 イリアは短鉄棍を長く持ち、何となく自分も同じように大上段に構えて見せた。


 昆虫の生態はよくわからない。

 イリアが構えて数秒。動きを止めていた鎌蟲はそのままの姿勢でゆっくり後退あとずさっていった。

 イリアの全身に甘い痺れの刺激が広がる。レベル上昇だ。

 熱い風呂に浸かった時にも似た、心地よい感覚。腕力の全てで握っていた重い短鉄棍が、急に、わずかに軽くなる。

 イリアは武器を降ろし、距離を取り続ける鎌蟲から目を離さないままでハンナに向かって左手を上げた。

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