第43話 困惑

 ジゼルが左から右に振った炎の帯によって7、8メルテの範囲の植物が根元から焼き切れた。煙なのか水蒸気なのか、白いもやとともに草の葉が舞い上がる。

 右前方に移動したジゼルはもう一度右手を振るった。再び同じくらいの範囲の草が切断され、炎の帯は消えた。右手の木の枝は半分の長さになり、先端が焦げている。


「『火炎鞭・煽フィオンヴィポ・ベント』ですわ。これでも鎌蟲かまむしは殺せないとおっしゃいますの? 先生」


 挑みかかるようにして言った。ハンナは苦笑いのような顔をしている。


「見事だよ、ジゼル。水気の多そうな草をこうもあっさり焼き切るとは。大人顔負けの完璧な魔法だ。やりすぎて狙いの相手を即死させないように、手加減してやってくれ。イリアのために」


 満足げに頷き、ジゼルはまた呪文を唱え始めた。


「——ヤレチ ノーファンタス フィオメラ フィオンヴィポ ベント」


 右手の枝は完全に燃え尽きて炎と変わり、右手から直接炎の帯が伸びている。魔法の炎は使い手を焼くことは無い。

 一振り。広範囲の草が焼き切れて舞い上がる。残った炎でもう一振り。

 白い靄と草の切れ端が舞い上がる。

 ジゼルの上着の背中にハンナの手が伸びた。後ろに引かれてジゼルの体が引っこ抜かれるように後ろに移動した。

 靄の中からなにか茶色いものが飛び出してジゼルのいた位置に飛び降りる。イリアの鎖鎧の背中も掴まれて、後方に放り投げられた。


「やっぱり居たねぇ」

「急に引っ張らないでくださいませ!」


 膝をついて着地したイリアの目の前に短鉄棍が差し出される。受け取ったイリアは立ち上がって襲撃者を見た。鎌蟲で間違いない。


「なんで茶色いんだ?」

「茶色のもいるんだよ。普通は環境に合わせて色が変わるはずだけど、今日の2匹はあべこべだね」


 鎌蟲は草藪を焼き払った人間を認識しているらしい。ジゼルを睨んで、接近していく。

 鎌蟲から見て左側に、池から離れつつイリアは回り込んだ。3メルテの距離まで詰めると、鎌蟲は4本の脚で跳び上がるように方向を変えた。イリアに正対し、鎌を折りたたむ。

 茶色く細長い体の蟲系魔物の体はどこも焼き切れていないように見える。焦げ跡さえ見当たらない。ジゼルの魔法が当たる前に跳んで避けたのだろうか。


 一匹目と同じように、鎌の空振りを誘発しようと1歩踏み込んだ。瞬間、胸に衝撃。右の鎌が鎖鎧の胸部を切りつけ、左の鎌で短鉄棍が右手からもぎ取られた。かろうじて左手で確保する。


 足元は水辺の柔らかい土の上に切断された植物の茎や葉が積もっている状態。一匹目と戦った木の根だらけの場所よりマシとはいえ、動きやすいとは言えない。


 恐慌をきたしかけた精神を建て直し、距離を取ろうと後ろ速歩きのイリア。攻撃態勢を維持しながら鎌蟲は同じ速度で迫ってきた。


「さっきより強い!」

「たぶん空腹なんだ。さっきのは未消化の肉で腹の中がいっぱいだった」


 ハンナが危機感を感じさせない声で言った。

 見れば、茶色い鎌蟲の腹は胸部と同じくらいほっそりしている。先ほどの深緑の鎌蟲は3倍くらいに膨れていた。

 一匹目は腹が膨れてろくに動けない状態。こっちが本来の動きという事なのか。


「分かってると思うけど、あんまり損傷させずに倒すんだよ。できれば」


 バカなことを言っている。冗談ではない。

 後ろにまだ刈られていない草藪が迫って来たので、イリアは横に動いた。4本脚をわきわきと動かし、間合いを詰めてくる鎌蟲。2メルテほどの距離から一瞬で攻撃してきた。

 イリアは横に持った短鉄棍を上げて防御した。短鉄棍を持つイリアの両手の間、鎌が二本とも引っかかり、ギリギリと音が鳴っている。そのままの状態でイリアは後ろに退った。


 鎌蟲の体重はイリアよりも軽いようだ。ふんばろうとしてなのか、魔物の4本脚が暴れて地面に積もる植物の残骸をまき散らす。イリアは短鉄棍を振り回し、ぶら下がったままの鎌蟲を草藪の中に叩き入れた。ようやく短鉄棍から重量が消える。


 改めて距離を取るイリア。草の間からゆっくりと顔を出す魔物。

 身軽で攻撃の間合いが長く、移動速度が速い。違いはそれだけだ。それだけだが、先ほどと同じ方法では戦えない。

 空振りを誘い逆に距離を詰めて反撃する。その、詰めるべき距離がさっきは2歩。今は3歩だ。1歩の違い、一呼吸の違いが命取りになる。


 イリアは短鉄棍を左に構えた。草藪を踏み越えて鎌蟲が出てくる。2メルテの距離、2本の鎌が振り下ろされる。


 さっきから鎌蟲はイリアの頭部を狙っているように思えた。賢くない魔物と思っていたが、最初の攻撃で鎖鎧の引っ掻いたときに胴体を狙うのが得策でないと判断したのかもしれない。

 イリアは左から右へ短鉄棍を横なぎにし、鎌を打ち払った。剣術の稽古相手の剣よりも鎌蟲の攻撃は速い。だが、イリアの『速さ』は21あるのだ。

 認知・思考速度はアビリティーを得る前と比べて、既に2割増しているのだ。


 攻撃を打ち払われて、相手に出来た大きな隙。イリアは短鉄棍を手放して前方に飛び込んだ。

 両手で鎌蟲の胸部の下、後ろ足の付け根に当たる部分をわしづかみにし、引き倒そうとする。予想以上の脚力、鎌蟲が倒れないことが感覚的に分かる。

 イリアはそのまま体勢を入れ替えるように背後に回った。人間でいえば腰にあたるの部分に馬乗りにまたがる。右手で鎌蟲の右腕、人間でいえば肘に当たる部分を掴んだ。

 左も同じようにしようとしたが、もたつく。左の鎌を器用に後ろに回した魔物がイリアの左肩を切りつけた。鎖鎧が引っ掛かり、バチンという音と共に一部がちぎれる。

 なんとか左肘も捉えた。鎌がこちらに向かないようにひねって押さえつける。


 人間でいえば肩に当たる部分。鎌蟲の腕の付け根はイリアの手首ほどの太さも無い。

 最初に短鉄棍を持っていかれそうになった時はめんくらったが、ハンナは鎌蟲の脅威を13歳児に例えていた。やはり腕力においては現在レベル4のイリアに若干分があるらしい。

 首を回して背後のイリアを見ようとする魔物。至近距離で見る鎌蟲の顔。口を開くと、中の殻付きの触手のような物がガシャガシャと蠢く。イリアは思わず短い悲鳴を上げてしまった。


 全力で鎌蟲の前足を押さえる。鎌蟲はもがき、暴れる。その気持ちの悪い口でイリアの腕を噛もうとし、後ろ脚をうごめかして背中に乗るイリアをどけようとする。

 気づけばハンナとジゼルがすぐそばまで来ていた。


「どうしますの? これ、ここからどうなりますの? わたくしがとどめを刺せばいいんですの?」

「それは無しだよジゼル。でも、そこからどうするんだ? イリア」

「……抑えつけるだけでも、勝てる。ダンゴネズミの時はそうなった」



 もがき続ける鎌蟲を封じること5分ほど。そろそろ腕力が限界と言う頃になって、イリアと鎖鎧の重量に耐えていた鎌蟲がその腹を地面につけた。

 力尽きたというような風情で、鎌蟲の抵抗が止む。


 体の芯に成長素の感覚。しっかり感じ取ってから、イリアは両手を離して立ち上がり後ろに退った。そのまま距離を取る。


「摂れた?」


 ハンナが聞いてきた。息を切らせてイリアは頷いた。

 鎌蟲は前足を地面に付き、首を回して4つの目で人間たちを見ている。


「なんですの? え? 今どういう状況ですの? これ」


 燃料の入った金属容器を右手に持ち怪訝そうに眉根を寄せたジゼルが、ハンナとイリアの間で視線を行ったり来たりさせた。

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