第42話 魔法

 イリアが攻撃を止めたのに気づいたのか、ハンナが近寄ってきた。


「どうなった?」

「……成長素は摂れたと思う」

「ふむ」


 鎌蟲かまむしは左右の鎌を地面につき、腹も地面に降ろしている。体を動かさず、首を回してハンナの動きを追っている。


「ふむふむ。これはどういう状況なんだろうね。虫の魔物は『凶化』状態じゃなければあまり動かないってことなのかな。さっきも、近づくまで木の上でじっとしていたし」

「それはわかんないけど、殻を割った所は動かなくなるみたいだよ……」

「あー。じゃあもう、これは戦えないんじゃない?」


 ハンナは振り返って、手招きでジゼルを呼んだ。

 ジゼルがこっちに向かってくる。

 ハンナは躊躇なく鎌蟲に近寄って、靴の裏で左の鎌の先端を地面に押さえつけた。魔物が最後の抵抗で持ち上げた右の鎌を、左手で掴む。

 鎌と言っても、本物の草刈り鎌のように刃物になっているわけではない。刃に当たる部分には鋭い刺が20本ほど並んでいるのだが、『耐久』が200前後あるというハンナの手のひらは傷付かないのだろう。


 バキリという音が鳴って鎌蟲の右前足が変な方向に曲がった。イリアの目では捉えられない速度でハンナの右手がひらめき、鎌蟲の頭部が落ちた。


「昆虫の魔物の魔石は腹部に形成されるんだよ」


 ハンナが魔石を取り出す様子を、イリアは顔を背けて見ないようにした。


 死亡した魔物の体は『仮性アビリティーよう構造』を失う。構成する物質がマナ抜きの本来の状態に戻るということだ。

 気絶しただけでまだ生きていた大アマガエルの腹もハンナは素手で貫いていた。

 死んだ鎌蟲の腹を裂くくらい、なんの苦も無いのだろう。


「さあジゼル、この魔石を喰らいなさい」

「は? いえ、遠慮しますわ? イリアが倒したものでしょう?」

「なにを言ってるんだキミは。何のために連れて来たと思ってる? なぁイリア」

「俺は要らないのでジゼルさんが食ってください」

「どういうことですの?」

「いいからはーやーくーっ! 成長素が漏出ろうしゅつしちゃうだろ!」



 ジゼルは不承不承と言ったていで黄緑色の魔石を受け取った。そばにあった草の葉で軽く表面を拭きとると、親指の先ほどの大きさのそれを奥歯で噛んだ。


 上品な令嬢のジゼルが巨大昆虫の腹から抜き出された物体をちょっと拭いただけで口に入れたのを見て、イリアは軽く衝撃を受けた。

 だがレベル15になるまでに、少なくとも50個以上の魔石をジゼルは摂取しているはずだ。今更汚いだとか気持ち悪いだとかいう方が変であり、まともなアビリティーの持ち主ならこれが普通の感覚なのだろうと、思い直す。



 イリアは鎌蟲の死体をどうするのかハンナに聞いた。

 金銭的価値は無いのだそうだ。金属のようだと感じた鎌の部分も、マナの恩恵を失えば材木ほどの硬さしか無いらしい。


 後ろ脚は短鉄根よりも少し太く、前足はそれよりも一回り太い。

 中には筋肉が詰まっているらしく、焼けば食べられないことも無いとか。

 昼食を用意していないとはいえ、ジゼルもイリアも遠慮した。



 死体を後にして、再びハンナは森の奥目指して歩き出した。細々と続いていた道はすでになく、大きな木の下、根が這って藪の生えていない部分を選んで進んでいく。

 短鉄棍はまたハンナが持ち、横にのびている邪魔な小枝などを打ち払いながら先頭を進んでいく。

 最後尾のイリアに振り向いたジゼルが話しかけてきた。


「それにしても感心しましたわ。第7期の鎌蟲なんて、3年目の学園生が隊を組んで倒すのが当たり前ですのに」

「いや、まぁ危なくなったらハンナが助けてくれたでしょうし」

「それはもちろんですけれど、それでもやはり凄いことですわ」



 前衛・肉体型。つまり『マナ出力』を上げずに接近・格闘戦を重視したステータス構成ならば、レベル15ほどで『力』『耐久』を100まで上げられるだろう。

 肉体の強靭さなどというものは筋力ほど簡単に測れるものではないはずだが、常識的には『耐久』が100あればアビリティー無しの場合の2倍強靭になると言われる。

 つまりジゼルと同じレベル15の前衛であれば、鎌蟲の攻撃をそこまで恐れる必要は無くなる。目などの急所はともかく、手足を斬りつけられても深手にはならないだろう。


 本来、それが当然なのだ。冒険ではなくなのだ。

 3個でも4個でもなく、5個の魔石でレベルが上がる。その程度の魔石を持った、その程度の強さの魔物。

 レベル15の人間なら安全に狩れる相手だから、仮想レベルを15と定めているのだ。

 ハンナが居なければ、この先イリアはこんな危険な戦闘をする気はない。


 ハンナはどんどん先を行く。ここの森は奥に行けばレベル35まで上げることが出来ると言っていた。

 ≪下限緩和≫という異能を持つ成長系アビリティーがあり、その名を【細心】という。

 【細心】以外のすべてのアビリティーにおいて、成長素を摂れる魔物の仮想レベル、別の言い方で魔石格は、自分のレベルから5つ下までだ。

 つまりこの森では34レベルの人間がレベル上げをすることが可能で、つまり少なくとも仮想レベル29の魔物は出るという事。

 まさか日帰りできる距離には出ないはずと、イリアは思いたかった。




 そろそろ昼になっただろうか。休憩をはさみつつゆっくり歩いているので、あまり疲れてはいない。

 鬱蒼うっそうとした森の中に青く透き通る池が現れた。周囲には木が少なく、腰の高さほどの草藪が広がっている。


「ここ怪しいと思わない?」

「いえ、わたくし分かりませんけれど……」

「鎌蟲って木に居るんじゃないの?」

「いいや、本来は草原に居るものなんだ。鎌蟲の先祖っていうか、魔物になる前の虫がそうなんだがね。魔物になって大きくなりすぎた鎌蟲は、短い草の草原では隠れられないから森で暮らしてるんだけど、ここなら住みやすそうだ」


 短鉄棍で草をなぎ倒しながらハンナが進んでいく。池の北側に広がる草藪の全体の広さは、大きな家が10軒ほど建ちそうなくらい。2軒分ほど草を払って、ハンナは戻ってきた。


「ジゼル。やっぱり魔法であの草を払ってくれないか。私がこれでやってると、そのまま殴り殺してしまう気がする」

「……わたくしが魔法で殺すのはいいんですの?」

「ちょっと当たったくらいじゃ死なないって。相手は魔物だし、毛が無いから燃えにくい。脚の2、3本焼き切ってくれるなら、むしろイリアにはありがたい」

「……」


 ジゼルは黙って辺り探し、太い枯れ枝を拾ってきた。火魔法の媒介にするのだろう。金属容器の燃料は緊急事態用の物と言っていた。


 ハンナの打ち払った部分と、まだの部分。その境目近くまで歩を進めたジゼル。

 イリアとハンナも背後に続く。


「エルク ファンシルフェ ヨルタン ピンマナ ラパクサス セリア——」


 ジゼルが呪文を詠唱している。

 イリアは魔法の呪文をまだ一つも学んでいない。呪文に使われる言語は精霊言語と言い、大陸西部全域で使われる共通語とはまるで文法が異なる。

 呪文は魂起こしを受け、余剰マナの同調適性が明らかになってから覚えるのが普通だ。水精霊に対してしか適正の無いイリアが火魔法の呪文を覚えても意味がない。


 ジゼルのアビリティーは【火の導師】。

 『導師系』のアビリティーが対応する精霊に同調適性を持たないという、間抜けなことは起こらない。

 だが、その他すべてのアビリティーにおいてはアビリティー種と精霊同調適性にはまったく関係がない。どんなアビリティーが発現しようと、地精霊単一適正だったり、水風複数適正だったり、色々になる。

 遺伝することも無く完全な偶然によって決まるようだ。


 この余剰マナの精霊同調適性。つまり、どの精霊種の魔法をどれくらい効率よく使えるかという資質は、ある意味アビリティー種別よりも残酷に格差をもたらす。

 せっかく魔法系のアビリティーが目覚めたのに、精霊同調適性が良くないために戦士への道を諦める者はよく居る。


 イリアの水精霊単一適正『並』というのは、底辺に近い。

 『可』でないだけマシというだけだ。



 呪文は単一精霊魔法の場合、現代ではほとんどの者が思考詠唱している。

 発音しないのに詠唱と言うのもおかしなものだが、『速さ』で認知・思考速度が向上するのだから、呪文を頭の中で唱えた方がずっと早く魔法を発動できる。

 ジゼルがわざわざ呪文を発声しているということは、複合精霊魔法を使うつもりなのだ。

 発声詠唱と思考詠唱の両方で、異なる精霊にそれぞれ働きかけて協調させるのが複合精霊魔法だ。単一精霊魔法より強力であるらしい。


 ジゼルが呪文を唱え終わると、右手に持っていた枯れ枝の上半分が燃え上がった。普通の炎とは動き方が違う。

 周りにつむじ風を巻いて細長く伸びた炎はジゼルの体を一度取り巻くと、振った右手に従うように背の高い草藪を薙いだ。

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