第41話 鎌蟲

「いいですかイリア。同じレベル、同じステータスでも体格の大きな男性と華奢な女性が喧嘩をすれば、女性が負けてしまいます」

「私の喧嘩術をもってすれば——」

「先生は少し黙ってらっしゃて。鎌蟲かまむしが脱皮をするのは何故ですか? イリア」

「大きくなるため?」

「そうです! 春に生まれて一度脱皮した第2期幼虫なんて、せいぜいこんなものですわ」


 ジゼルが手で示したのは、半メルテほどの長さだ。虫にしてはだいぶ大きいが、細長いあの体形で半メルテなら、重さはあっても数キーラムだろう。それで10レベル相当格の魔石が手に入るならなら、お得なような気もする。


「それが、一年でああなるんです! 大きい分だけ力と危険性が、仮想レベルの差以上にはるかに違います!」


 ああなる、と指さされても距離があるのでいまいち大きさがつかめない。十数メルテ離れている木の、そこそこ高い位置に止まっている。

 腕を伸ばして指と比べ、簡単に計算してみる。人間よりも大きいという感じはしない。


「イリア、あなたは魂起たまおこしを受けて間もないはずですよね? レベルは今いくつですか」

「……4です」

「ほらごらんなさい! 子供と大差ないじゃないですか! 春幼虫相手だって、本来なら不相応ですわ!」


 心配してもらっているのはわかるのだが、子供と一緒とまで言われるとさすがにイリアもムッとした。

 二十日前まで子供だったのは確かだし、自分の体が強靭になっている実感もまだないが、何度も魔物と戦ったことで勘のようなものは取り戻せてきた気もする。いちおう2年と少し前まで、消極的ながら毎日剣術を鍛錬していたのだ。


 頬を膨らませ眉を吊り上げているジゼルに、背後から近づいたハンナがその肩をつついた。


「ジゼルやジゼル」

「なんですの!」

「このイリアは、魂起こしを受けた当日、レベル1で、一撃で子攫こさらいイヌを撃退している。個体差のある魔物だが、仮想レベルはだいたい10くらいかな?」

「嘘……」

「嘘じゃない。こっちに来てからも、大アマガエル相手に一人で勝ち続けている。何と言っても代々続く『白狼の牙』頭領家の血筋だ。我々とはモノが違うのさ。心配は無用だよ」


 ジゼルがイリアを見て、感心しているような疑っているような複雑な表情。その後ろで右手を握り親指を立てて見せるハンナ。

 どういう意味か。うるさい姉弟子を黙らせたからやっと戦えるね、とでも言いたげな顔。イリアがいつ戦いたいと言ったのか。



 自分の頭部がむき出しであることに苦情を言い、イリアはハンナの鉄板入りつば無し帽を貸してもらった。寸法はだいたい合っている。頭の周囲を囲むように薄い鉄板が入っている帽子は、思ったよりも重くなかった。

 短鉄棍をハンナから受け取って、ナラの大木に近づいていくイリア。足元の地面には木の根が這っていて歩きづらい。


 慎重に歩を進め、木まで5メルテほどの距離。見上げる鎌蟲の居る高さも5メルテほど。

 近寄ってみればやはりでかい。頭の先から腹の先までで1.5メルテ近くあるのではないか。

 上下二つに分かれた胴体。上を胸部、下を腹と呼ぶらしい。胸部から短いはねが生えて腹の一部を覆っている。

 7回目の脱皮を終え、完全成虫に変わるときに大きな翅に変わり、ごく短い距離なら飛ぶのだという。そうなる前に戦えるのは不幸中の幸いか。


 木に止まっている鎌蟲が近づくイリアに反応した。上半身をひねってイリアの方を見る。鎌のようになっている2本の前足の他に、4本の後ろ脚。木にしがみつくようにしていたその4本が、1本、2本と幹の表面から順に外れた。


 鎌蟲が着地する、どさりという音。

 4メルテ先、左右の鎌を持ち上げてイリアを威嚇する。

 人間の半分ほどしかない、体の割に小さな頭部には赤い4つの巨大な目が輝いている。上唇のような位置にある甲殻が持ち上がると、その下には、牙と言うか触手というか、とにかく気持ち悪いものがカシャカシャとうごめいた。


「がんばれイリア、しょせんは昆虫の魔物だ。そいつらの甲殻の硬さは人骨と同程度に過ぎない」

「人骨と同程度⁉」

「あー違う、死んだ人骨。死んでアビリティーが消えた人間の、骨。……つまり、血も涙もない冷酷な、ガリガリの13歳児が両手に鎌を持っている、そんな程度の脅威でしかない。勝てる勝てる」


 ハンナの話が終わるか終わらないかのうちに魔物が接近してきた。前足を畳んで縮め、左右を同時に突き出してくる。伸びきった二本の鎌。イリアが横にして持っていた短鉄棍を右側の鎌の先端が引っ掻いた。

 ギャリッというような、金属と金属がぶつかったような音。イリアのむき出しの素手に当たっていればもう戦闘不能だったろう。

 鎌蟲の接近に合わせて後ろに下がる。というか逃げる。木の根に足を取られ、後ろ向きに転べば終わりだ。そうならないように慎重に下がっている。にもかかわらず距離は開いていく。


 足は遅いのかと思ったら、立ち止まった魔物はまるで力を貯めるように体を沈めた。

 横に一回転してイリアは逃げた。鎖鎧の重さを改めて罵りながら必死で立ち上がる。さっきまでいた場所に、跳躍してきた鎌蟲が立っている。上半身をひねってイリアの方を見ている。

 鎌の間合いの一歩外。イリアが短鉄棍を構えると、4本の後ろ脚をわきわきと動かして体正面をイリアに向けてきた。



 短鉄棍の中心より少し手元に、僅かでも間合いを稼げる位置を右手で掴む。肩に担ぎ、前方に突き出た方の先端を左手で掴む。

 攻撃を受けてみてイリアは思った。鎌蟲の戦い方は人間に近い。下半身で移動し、上半身で攻撃する。

 だが武術的な感覚で捉えればその動きは稚拙ちせつと言っていい。

 まず両方の鎌を同時に突き出すのがあり得ない。片方ずつ交互に繰り出す方が明らかに隙が少ないはずだ。


 イリアが接近するそぶりで一歩踏み込むと、やはり左右の鎌を同時に突き出してきた。今度は掠らせもせずに後退して避けられた。

 攻撃行動をしてそれが無効に終わった後の挙動も、剣術なら失格である。

 「空振ったら即防御」が鉄則。だが鎌蟲は失敗した後、一瞬、「あれ?」といった風情で呆然とするがある。


 イリアは素早く跳び退れるように重心を低く、引き気味に構え、相手の攻撃を待った。

 間合いまでゆっくりと接近して、鎌蟲は左右の前足を縮める。

 一歩跳び退すさるイリア。空振る2本の鎌。

 イリアは鎌蟲の体を左に掠めるようにして一気に前に出た。無防備に広げられている後ろ脚の一本に短鉄棍を打ち当てた。

 おそらく人間より軽い体重を4本の足に分散しているので、手ごたえは軽い。だが確実に何かを破壊した感触。安全と思われる距離まで駆けてから振り返る。

 鎌蟲は何の躊躇ちゅうちょもなく接近して来る。2本の前足も地面について、這うように移動してくる。打たれた後ろ脚の1本が動いていないのだが、4本脚だった時より速い。

 イリアは恐怖で冷静さを失い、短鉄棍を振り回しそうになった。

 だが、2メルテほどの距離まで近づいた鎌蟲はまたしても2本の鎌を持ち上げ、後ろ足でゆっくり移動しだした。3本しか使えないために動きがぎこちない。


 どう考えてもこの魔物は賢くない。おそらくは噛みつかれればイリアは負傷するのだが、鎌でしか攻撃してこない。

 これがハンナのいう、しょせんは昆虫の魔物ということなのか。



 イリアは同じことを繰り返した。鎌での攻撃を誘発し、跳び退って避ける。

 大アマガエルの舌よりもずっと速いのだが、必ず同じ距離で放ってくる攻撃の機を読むのは簡単だ。

 左にすれ違いながらもう一本の脚に打ち込みを入れる。今度は距離を取らずに素早く振り返った。

 鎌蟲は前足を高く上げてイリアを威嚇していた。長い間合いを詰める場合でなければ、移動に前足を使わないという生態。右側の後ろ脚が2本とも動かなくなっている鎌蟲はもはや脅威ではなかった。


 後ろに回り込み、腹の部分を打つ。革袋を叩いているような感触で効果があるように思えない。イリアは一度距離を取り、短鉄棍を持ち直してもう一度接近。魔物の背後に回り込んだ。

 1メルテ弱の鉄棍の先端部を両手で持って、斧で薪割をするような大振りで叩きつける。剣術ならばありえない、隙だらけの攻撃。

 鎌蟲の胸部背面、人間なら背中にあたる部分に命中。硬い木の板が割れるような音が鳴り、鎌蟲が動かなくなった。

 イリアの体の芯に甘い痺れの刺激が走る。成長素を得られた感覚に間違いない。


 だが、はたしてこれは魔物を殺していないうちに入るのだろうか。昆虫の体とは損傷してから回復し、元通り生き続けられるように出来ているのか。

 結局自分が打倒したことが原因で、この鎌蟲は近いうちに命を落とすのではないのか。

 イリアは自分のアビリティーである【不殺(仮)】の意味が、いまいちよく分からなくなった。

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