第40話 令嬢

 ソキーラコバルから南に延びる道をかなり角度のついた前傾姿勢で駆けていくハンナ。並んで背負子しょいこに縛り付けられているイリアとジゼルはほとんど上を向いている。


 信じがたいことだが、速度はイリア一人を背負っていた時と変わっていないように思える。生徒二人分の体重に、鎖鎧。短鉄棍はハンナが持っているが、ともかく間違いなく百キーラムを超える荷物を背負っているのに、イリアが全力で走るより速いと思われる。

 平坦な道を行くハンナの走行はあくまで滑らかであり、振動は少ない。


「ハンナのステータスって、どうなってるんだ? 完全肉体型?」

「私のステータスは均等型だよ。全て200前後だ」


 という事はハンナの筋力はだいたい3倍に強化されていることになる。逆にいえば3倍でしかない。


「おかしいだろ、荷物の重さを3分の1くらいに感じてるとしても、35キーラムはあるってことじゃないか。なにこの速さ」

「イリア、キミは賢いと思ってたが、まだ抜けてるところがあるね。3分の1になるのは荷物の重さじゃなく、自分の体重も含めた重さだ。つまり君たちを背負っている今の私は、本来アビリティー無しで感じる体重に近い重さを感じていることになる」

「……あぁ、そっか」


 農具を背負った男女二人連れを追い越した。ギョッとした顔をしてイリアたちを見ている。人さらいが出たという騒ぎになったりしないかと、イリアはうっすら不安になった。


「荷物無しだと、手ごたえならぬ足ごたえが無くてかえって走り難いくらいだよ。それに、走行速度を生み出すのは『力』だけじゃない」


 走りながらハンナは講義を始めた。

 足元が柔いぬかるみでは速く走れない。同じ理屈でたとえ地面がしっかりしていても、体重を受け止める足自体が柔らかければ速くは走れない。

 馬が半端な魔物よりも俊足なのは、脚の先が硬い一本のひづめになっているからなのだとか。

 つまり『耐久』で骨や腱や靭帯が硬くなっているハンナは、『力』のステータスだけが大きい者よりも、さらに早く走れるのだという。


「『耐久』は『力』よりも優先されるべきというのが私の持論だ。もちろん疲労や負傷も防げるんだから、ちゃんと上げなさい、ジゼル」

「はぁ、分かりますけど、でも魔物の攻撃をわざと受けて『耐久』を鍛えるのなんて、わたくしは……」

「重い武器を力いっぱい振り回して、筋骨に負荷をかけるのでも上がるよ。そのほうが一般的な上げ方だ」

「それだと結局『力』も上がってしまいません?」

「それは、そうなるな」

「……」


 1度のレベル上昇で上がるステータス値の合計が25と決まっている以上、必要ない項目を上げれば他が減る。純粋な魔法使いなら『力』や『耐久』を上げないというのは、それなりに合理的な方針ともいえるのだ。




 半刻走り、一度止まって休憩した。休憩が必要だったのはハンナではなく生徒二人の方だ。ぐるぐる巻きにされて同じ姿勢でいるのはそれなりに辛い。

 イリアとジゼルは背負子から解放してもらって体をほぐし、またすぐに座らされてぐるぐる巻きにされた。



 休憩後、さらに半刻。ゆっくりと速度を落としたハンナ。前傾している姿勢を少し起こした。

 イリアの視界に人里が映る。

 分かれ道の先、距離にして5百メルテほどだろうか。大きな丘の上に砦があり、麓に集落がある。防壁と言うには低すぎる、石でできた塀の向こうに家屋が建ち並んでいるのが見える。


「見えてる? そこにあるのがノグッティグラーノ。ベルザモック8大戦士団の一つの『虎の爪』が治めてる村だよ」

「へぇ」

「ノグッティグラーノで採れた果物や雑穀類なんか、ソキーラコバルでもよく売られていますわ」

「うん。もうすぐ目的地に着くけど、二人ともおしっことか大丈夫かな?」


 大丈夫だという事で、再びハンナは走り出した。




 さらに10分以上走り続けたハンナ。ソキーラコバルから30キーメルテ以上は南に来ただろう。背負子から降りたイリアとハンナが見たのは鬱蒼うっそうとした森だった。見渡す限りどこまでも広がっている初夏の緑が色濃い。


「ハンナ先生、ここってやっぱり、人工管理魔境じゃないですよわよね?」

「そう、天然ものだね。奥まで行けばレベル30半ばくらいまではレベルを上げられるらしい」


 空の背負子を改めて背負って、ハンナは森に向かって歩いていく。短鉄棍はまだハンナが持ったままだ。


「ここで何を探すの? 何と戦わせる気なんだ?」

鎌蟲かまむしだ」

「……あまりよく知らないんだけど」

「細長い体に細長い脚で、逆三角形の頭をしてる。腕みたいな前足を持ってて、その先が草刈り鎌みたいになってる」

「最近王国内でも増えてきた肉食の虫の魔物ですわね。最近と言っても、ここ数十年ですけど。東方の、さらにずっと東の方から徐々に生息域を広げている危険な魔物ですわよ」

「大丈夫だよ、鎖鎧も着てるし。手足を切り裂かれるくらいなら、急いで治療すれば死なない」

「だから、顔は……」



 森はある程度狩場として利用されているらしく、細い道が伸びている。ハンナにしては慎重にゆっくりと、周りを見ながら進む。

 ハンナの後ろ付いて行くジゼルは魔杖を腰の装具に収め、右手に金属の容器を持っている。火魔法の媒介にするための燃料が入っているのだろう。

 最後尾を行くのはイリアだ。一応まともな防具である鎖鎧を着てはいるが、武器を持っていないので何か心細い。



 半刻も歩いただろうか。色々な種類の森の木々、高さが数十メルテもある巨木が増えてきた。

 丸太橋のかかった小さな沢。ジゼルは軽々と渡っていく。レベル15だけあって、イリアよりっもずっと運動能力がありそうだ。

 沢を越えてしばらく。ハンナが立ち止まり足元の藪を短鉄棍で押しのけた。

 藪の根元に白い物が散らばっている。小型の肉食獣の骨のようだった。牙の生えた頭蓋骨があり、ネコなどのものに似ている。


「骨に残っている傷の形を見たまえ。鎌蟲の食べた跡で間違いない。ん? あれ、そうじゃないか?」


 木の枝か何かのように軽々と短鉄棍を持って、その先端で示したナラ類の巨樹。

 周囲10メルテもありそうな太い幹に深緑色の生き物が止まっている。


 聞いていた通り、細長い体に細長い脚。少し距離があるので、わかるのはそれくらいだ。


「え? いえ、先生。あれは、越冬した準成虫だと思いますわ」

「おお、よくわかるね。偉いよジゼル。今の季節はちょうど第7期だ。やつらは脱皮するたびに仮想レベルが上がるから非常にわかりやすい。便利な連中だ」

「わたくしが戦うんですの?」

「イリアが戦うんだよ?」

「バカをお言いにならないでくださいまし!」


 ジゼルが悲鳴のような甲高い声で叫んだ。

 初めて聞く大声にイリアは驚く。十数メルテ先に居る魔物の蟲は特に反応することも無く、同じ位置で止まったままだ。



 ハンナがどんなバカなことを言っているのか、ジゼルに説明してもらう。

 鎌蟲は春に卵からふ化し、冬までに脱皮を5回繰り返し、越冬して翌年さらに2回脱皮。最終的に仮想レベル16の魔物になるという。完全成虫になってから繁殖し、雄雌でつがって卵を産む。

 最後一回の脱皮を残している今の時期の仮想レベルは15。


 今日の検証においてイリアが相手どるのは春に生まれた幼虫だと、さっきまでジゼルはそう思っていたらしい。

 それだって仮想レベルは10程度あることになるわけだ。

 それが仮想レベル15。比較的安全に戦えるという養殖の魔物ではない、正真正銘の魔境の住人である鎌蟲が今日のイリアの相手になるようだった。

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