第37話 連続戦闘

 再びわが身に起きた予期せぬ事態に、呆然とするイリア。

 角材で体を抑えつけられ、不満げな大アマガエル。


 目を輝かせ不気味な笑顔でハンナが顔を覗き込んできた。


「吸収した? それともしてない? ねぇどっち?」


 イリアはゆっくり頷いた。

 ハンナは変な笑い声を漏らしながら、大アマガエルの後ろに回って再びその両足首をとらえる。二度の敗北を味わってなお、まだ元気に暴れる魔物は、またしても穴に放り込まれた。


「うはははは! 魔物を殺さずにレベルが上がると聞いたときから可能性は考えていたんだよ。『凶化原因性マナ』を成長素に変えられるなら、魔石を損なってしまうわけではない! 当然! 成長素資源としての、魔物の再利用! これはすごい! うはははは!」


 バカ笑いを上げるハンナの手により、さっきよりも多めの土が穴に詰め込まれている。埋葬のようにも見えて不気味である。



 イリアは考える。

 アビリティー人口の増加による魔石資源の枯渇は、もはや世界共通の課題と言っていい。

 魔物を殺さず、魔石を消費せずにレベルが上げられる新種アビリティー、【不殺(仮)】。

 戦士としての欠陥を心に抱えたイリアに与えられたこれは、ただ突飛なだけでなく、それ以上にとんでもない代物かもしれない。




 大アマガエルは穴の中でまた大人しくしているようだ。イリアは背負子の荷台に座り、ハンナは草はらの上に雨具を敷いて座っている。

 持ってきた棒パンを半分に割って二人で齧る。


「さっきは少し興奮してしまったが、まだキミの主観で『そうかもしれないと感じている』という段階だ。もう一度あの哀れな協力者を叩きのめし、レベルが上がることを客観的に確認しない限り本当のところはわからない。それが学問だ」

「……」


 ハンナは空を見上げた。雨は降っていない。薄雲を透かして太陽の位置が分かる。

 だがイリアはここに来るまで自分で走っていないので、いまいち方角が分かっていなかった。

 真南がどちらか分からないと昼間の太陽から現在時刻を読み取るのは難しい。


「今何刻?」

「7刻半ばかな? あと一刻半したらもう一戦だ。自由にしていたまえ」


 棒パンを食べ終わるとハンナは寝転がってしまった。

 イリアは昨日レベルが上がったことで感覚が少しずれている。修正するため、角材をいろいろな振り方で素振りする。何度か繰り返してから、ハンナのようにして草はらに寝転んだ。背負子の荷台の座布団を枕替わりにする。未だ混乱している精神を、規則的な呼吸と共に落ち着ける。




 刻は来た。イリアは角材を右手に持ち、その場で数度跳ねる。

 目線で合図すると、ハンナは大アマガエルのいるはずの穴、その入り口を塞ぐ土に右腕をつっこんだ。


 前脚を捉えられて引きずり出され、イリアの足元に放り投げられた実験協力者。

 ハンナは敵意を向けられる前に既にどこかに隠れている。

 魔物は何が起きたのか分からないと言った風情で呆然と横たわっていたが、イリアを見上げてもごもごと態勢を整えた。


 イリアは自分が今、悪いことをさせられていると思ってしまった。



 魔物の動きは精彩を欠いた。跳躍の勢いは最初より幾分衰え、打ち出される舌の速度も若干遅く感じられる。

 寝転がったハンナの話していたところでは、カエルの骨は軟骨に近く、マナの恩恵で強靭化されたそれはめったなことで折れたりしないらしい。

 現状のイリアの力と角材の武器なら、いくら本気で殴ったところで重大な損傷を与えるのは難しいという。

 動きが若干鈍い大アマガエルだが、どこか怪我などしたわけではないのだろう。もしかすると空腹なのかもしれない。


 相手の跳躍の距離が短くなった分、かえって空中で迎撃するのに失敗した。

 至近距離からの連続跳躍で膝下に衝突された。足をすくわれ、転倒して揉みあいになり、危うく顔に舌の吸盤を当てられそうになる。

 慌てて目の部分を拳で数発殴ったら大アマガエルは気絶した。


 立ち上がって距離を取るイリアに、いつの間にか現れたハンナが話しかけてきた。


「レベル上がった? それとも上がってない? どっち?」

「上がって…… 無い……?」


 甘い痺れの感覚が体の芯を駆け抜けたのは感じた。だがレベルが上がった時の、あの全身に広がって数秒続く感覚ではない。

 それを伝えると、ハンナは「ふむ」と呟いた。失神している大アマガエルをまたしても捕らえると穴の方に連れて行った。

 この酷い行いを何とか止めさせられないものなのか。


 穴が崩れていたので、ハンナはもう一度地魔法で作り直した。カエルを詰め込み、入り口をふさぐ。


「ふむふむ。イリアのレベルは今、3で間違いない。レベル差が8つある相手なら魔石3つでレベルは上がるはずだ」

「そもそも魔石を食ってるわけじゃないしなぁ。やっぱり、同じ魔物を続けて倒した場合は十分成長素が得られないんじゃないのかな?」

「あり得るね」

「それか、そいつの仮想レベルが11より低かったとか」

「それはたぶん無い。その辺はかなり厳密に調査・報告されてるはずだ。人工管理魔境なんだからね。イリアの感覚が間違っているという方がまだあり得る」


 原因は不明である。ともかく、まだ時間はあるという事でもう一度戦うことになった。

 念のため3刻待って穴から引き出された大アマガエルと、4度目の対戦。

 回り込んで横っ飛びを誘発。前方跳躍に比べて弱いそれを正面から迎撃するという新戦略によって、イリアは一撃で勝利を納めた。


 お前、いい加減にしろよ。両生類の表情など分からないが、大アマガエルの目はそう言っているように思えた。

 もはや逃げもせずに地面に這いつくばっている被害者の顔を見ながら、イリアは全身に広がるレベル上昇の感覚を味わっていた。右手の角材の重さが、ほんのわずか、軽くなったように感じられる。


 ハンナにレベルが上がったことを告げた。帰り支度を急かされる。

 西の空に夕焼け。雨は振っておらず雲も晴れていたが、イリアは頭から雨具を被って背負子しょいこの荷台に乗った。




「あのねぇイリア君。その女に何をされてるのかわかんないけど、こんなに頻繁にレベルを上げるのは良くないよ」

「……はい」


 アビリティー学園ベルザモック分校。教職員棟二階の部屋のさらに奥。水晶球の設置されている部屋でイリアはゲオルクに同情の視線を向けられていた。


「ステータス不適応症って聞いたことない? 贅沢病ともいうけど。学園生がレベルを20上げるのに3年かけるのは、ちゃんと意味があるんだよ」

「レベルを1から20にするのに必要な上昇回数は19回だけど?」

「うるさいよ、全身真っ黒女」



 ステータス不適応症。古い言い方では贅沢病と呼ばれる。

 急速すぎるレベル上昇が原因で全身に脱力感や疼痛、麻痺や、意識の混濁が起きる。

 特に低レベルの者が危険である。例えばレベル50の者が60になる場合、ステータス合計値は2割増えるだけだが、レベルが10から20に上がれば単純にステータスが倍になる。その変化に、体なのかアビリティーなのか、適応ができなくなることが原因と言われる。

 症状が重い場合は月単位で寝たきりになり、体が弱って大きな障害の原因になったりもする。なかなか怖い病気なのだ。


 教育が全般的に不十分であった時代。

 権力者や金持ちが自分で戦いもせず、献上させたり金に飽かせて買い取った魔石でレベルを上げまくった結果、発症する事例が多かった。

 それ故にステータス不適応症は贅沢病と言われ、今でも揶揄される。


「私が付いているんだからこの子は大丈夫さ。そんなことより本当にレベル4になっているんだね? 間違いなく? なら早くステータスの詳細も言いたまえ」

「話聞いてたか? あんたが危ないって言ってるんだよ。見なさいイリア君、これ教育者の顔か?」


 どんな表情をしているのか怖いのでイリアは振り返らなかった。

 ステータスは『力』24『耐久』23『マナ出力』13『マナ操作』19『速さ』21だという。

 余剰マナを消費する行為をしていないのに『マナ出力』が意外と上がってきている。

 ともかく、たった一匹の魔物との連続戦闘でもレベルが上がることが、これで確認されたわけだ。

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