第34話 凶化
朝食の一部を地面に吐き出した。直前まで戦っていた魔物が惨殺されたことによるアビリティーの作用ではないと思われる。単純に心因性のものだ。
色々な物がこびりついた魔石を口に入れることをイリアが拒否すると、ハンナはぶつくさ文句を言いながら魔石と右手をセイデス川まで洗いに行った。ついでに哀れな魔物の死体も川に流すという。
大アマガエルは皮も腿肉も有効に利用できる。イリアも腿肉の平鍋焼を食べたことがあり、淡白な味で嫌いではなかった。
だが6月末の気候は北国といえどそこそこ温かく、いつ終わるかしれない検証実験の間死体を放置すれば腐るだろう。
中規模の川であるセイデス川には水棲、半水棲の魔物が潜んでいる。子供や半大人が大きな川で何かを洗ったりするのは危険な行為だが、レベル40を超えているハンナであればそれほど心配する必要は無い。
戻ってきたハンナは黄色い魔石をイリアに渡した。
イリアは奥歯で噛み砕き、口を開けて『砂化』したそれを見せた。
「おおっ! 本当だ! こりゃ面白くなってきたぞ!」
ハンナはイリアからカエル筒を受け取ると、また大きな音でかき鳴らしながら歩き始めた。流れから20メルテほどの距離を取り、上流に向かって川岸を行く。
雨は降ったり止んだりを繰り返している。前を歩くハンナの雨具の裾から水滴が地面に零れ落ちた。
1刻ほど歩き続けているが新たな大アマガエルは現れない。
「さっきはいきなり出てきたから驚いたけど、やっぱりそうそう見つかるものじゃないよな」
「そんなことはないよ。低級魔物なんて、ちゃんとした知識があれば簡単に見つかる。ほら、あそこの淵なんか居そうだぞ」
川が大きく蛇行し、流れが滞っている部分。水はどんより暗く濁っている。
魔物が一跳びでは襲ってこられないくらいの距離に近づいて、ハンナはカエル筒をかき鳴らす。
筒の開口部を淵に向けて鳴らし続けること数分。またしてもハンナは素早くイリアの背後に回った。
セイデス川の水面に二つの球体が浮いている。
カエル筒を鳴らし続けるハンナ。大アマガエルの頭部が、眼球から順に水上に姿を現す。
低い声で「ゲゲゲゲ」と鳴いた。水面が音で波立つ。
「おや、すこし立派な個体だね。12のやつかな?」
水しぶきを上げて大アマガエルが跳びだしてきた。言われてみればさっきの個体よりすこし大きい気がする。
一跳びの間合いはさっき覚えていたが、それよりもさらに二歩下がる。20キーラムか、それよりも重い物体が激突すればどこに当たっても怪我の恐れがある。体幹に当たれば転倒は必至だ。
魔物は6メルテ離れた位置で大口を開け、もともと無い首をさらに縮めた。その直後、口から紅色の何かが飛び出す。イリアの体が驚きでびくりと反応する。
紅色の何かは2メルテほど伸び、そこで地面に落ちずるりと口の中に引っ込んだ。
「その舌の先端は吸盤になってるんだ。水遊び中の子供が吸盤に吸い付かれて、その部分の皮膚と血管が破裂して大怪我、なんてことがあるらしいよ」
「は?」
「服を着てるんだから大丈夫だよ」
「顔は⁉」
「……顔は頑張って避けたまえ」
「クソッ!」
大アマガエルはきっちり舌の間合いにイリアが入る位置に跳んできた。
イリアはさらに二歩下がり、左に回り込む。右に回ると川があるのだ。
飛び跳ねるための長大な後ろ足と、体を支えるための短く細い前足。均衡の取れていない体形だ。
回り込むイリアをもたもたと追う大アマガエルの方向転換は遅い。
後ろから攻撃することも可能かと思われたが、ちょうど真横に来たところで大アマガエルは横に跳んできた。胸部に衝撃を受け、短い呻き声がイリアの口から洩れる。
正面に向けて飛ぶ場合と違い、横っ跳びで使えるのは片脚の脚力でしかない。なので体当たりの威力は半減だ。
転ぶのをこらえて2、3歩後退。
何とか体勢を立て直したイリアを紅の舌が襲う。右わき腹に衝撃。
吸盤は雨具に当たって吸着した。そのまま舌を引き戻され、首元で固定していた皮ひもがはじけ飛ぶ。
イリアは角材を振りかぶると、一歩で間合いを詰めて大アマガエルに振り下ろした。雨具を頭から被り、イリアの姿が見えていない魔物には避ける術がない。
命中した角材から手ごたえを感じたが、成長素を得た感覚が無い。イリアは腰を落とし、横なぎのためにもう一度角材を振りかぶった。
咥えていた雨具を吐き出した大アマガエル。頭の高さはイリアの膝より低い。
地面を擦らんばかりの軌道で角材を振りぬいた。ぶよぶよとした喉のあたりに命中。
体が持ち上がり、カエルの前足は一瞬地面から離れた。
成長素の感覚。勝利の味わい。
両生類の表情などわからないが、一瞬呆然としたようにも見える魔物。
もたもたと方向転換した大アマガエルは2回跳ねてセイデス川に飛び込んだ。
「え? 終わり?」
ハンナが気の抜けた声を上げた。
「うん。ちゃんと感覚があった」
「おかしいな、魔物の『凶化』ってこんなに簡単に静まるものじゃないと思ったけど……」
「凶化って?」
「一度闘争状態になったらそう簡単に落ち着かないっていう、魔石を持つ魔物特有のあれだよ」
「あぁ……」
確かに魔物の凶暴さはイリアが幼いころから聞いていたものとは少し印象が違う。もっと戦闘不能に近いような損傷を与えなければ、魔物は逃げ出さないものだと思っていた。ハンナも何か考えている。
「なにか分かったの?」
「……いや、まずはレベルを上げるのが先だな。3匹目でレベルが上がったら、その後殴り殺してみてくれないか? 君が気絶するのも確認したい」
「断る!」
前回は丸二日意識が戻らなかった。だが次も二日で戻るという保証はない。そのまま意識が戻らない可能性だってあるだろう。改めて想いだしてみると、あの喪失感はそう感じさせるだけの恐怖を伴っていた。
イリアは自分が一生魔物を殺せないことを、既に覚悟していた。
3匹目を探すのにはさらに2刻かかった。
カエル筒の音に誘われて草藪から這い出てきたのは普通の大アマガエル。
正面からの体当たりを素早く後ずさることで回避。着地したところを上から打つ。
3度繰り返してイリアはレベルが上がる感覚を得た。
ハンナにそれを伝えると、急いで戻って鑑定すると言う。
2匹目に齧られて穴の開いた雨具をかぶり、背負子の座布団に座り、綿帯で体を括られる。
帰り道もハンナの走行は滑らかであり、半刻後には北門で審査を受けていた。
背負子から降りていたイリアは、財布袋から取り出した一時滞在証を警士に示した。
3匹目と戦った時に、目を怪我させてしまっている。
血のついた角材を怪しまれたが、学問研究のための非殺傷性の武器だとハンナが言ったら、それ以上は追及されなかった。
アビリティー学園分校に赴き、ゲオルクの部屋へ行くと先客が一人。学園生と思われる少年の鑑定を終えたゲオルクに、続いてイリアも鑑定してもらう。
「うん。レベル3になってる。『力』17『耐久』17『マナ出力』10『マナ操作』14『速さ』17、だね」
無事にレベルを上げることが出来た。隣のハンナがイリアの左肩をすごい力で掴んでいる。
「痛い痛い痛い!」と叫んで顔を見ると、とてつもない高揚を示す表情をしていた。
イリアのアビリティーが、確かに魔石を介さず成長素を得てレベルを上げられるという事がハンナにも確認されたわけだが、ゲオルクの前でそのことを声高に言うわけにはいかないのだった。
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