第33話 両生類
カエルの鳴き声に似た音を出す道具。ハンナは「カエル筒」と命名した。
カエル筒をかき鳴らしながら、セイデス川を
「ちょっと待ってよハンナ。それを鳴らしてると大アマガエルが寄ってくるってことだろ?」
「そうだよ。もうほとんどのメスは卵を産み終わってるんだけど、それでもバカな雄たちは縄張り争いなのか力比べなのか、鳴きあっては取っ組み合って、結構ボロボロになるまで喧嘩をするんだ」
「大アマガエルって季節によって弱くなって仮想レベルが下がったりするの?」
「いいや? 幼体から成体になるときに魔石を形成して、仮想レベルは11か12。それ以上にはならない。ちょうどいいだろ?」
「なにがちょうどいいもんか!」
魔石の格、すなわち仮想レベルが高いとうことは魔物の「仮性アビリティー
イリアのレベルは2である。仮想レベルが1の、最底辺の魔物でも6匹倒せばレベルが上がる。なんで11の魔物と戦わなければいけないのか。
「冗談じゃない、違う魔物にしてくれ」
「あのねぇイリア。ここは人工管理魔境なんだよ? 危険が少なくて倒しやすい魔物だから大アマガエルを増やしてるんだ」
「俺より9つもレベルが上じゃないか!」
「それがちょうどいいって事じゃないか。魔石3個でレベルが上がる。高くも低くもないレベル差だ」
一般的なアビリティーの人間が同等レベルの魔物の魔石を摂取した場合、5つ分の成長素でレベルが上がる。
つまりレベル10の人間が仮想レベル10の魔石を摂取すれば必要成長素量の2割を得ることになるし、レベル30の人間が仮想レベル30の魔石を食っても同様だ。
格の高い魔石を食った場合。得られる成長素は増えていき、レベル10の人間が仮想レベル15の魔石を摂取すれば約1.5倍の成長素が得られる。すわなち必要量の3割が手に入るのだが、これが際限なく増えていくということは無い。
5つのレベル差から増加率は低下し始めて、8つ差の時には1.7倍にわずかに届かず、9つ差でほぼ1.7倍になりそこが上限。
それ以上いくら格の高い魔石を食っても、アビリティーに強い成長素を受け止める『器』がないため浪費になってしまう。
つまり必要成長素量の3割4分を得られ、ちょうど魔石3つ分でレベルが上がる8レベル差がちょうどいいとハンナは言いたいのだろう。
「俺は魔石を食うわけじゃないんだけど?」
「昨日話したことじゃないか。覚えてるよもちろん」
「戦って倒さなきゃいけないんだよ? ハンナが手伝ってくれるのか?」
「それじゃぁ検証実験にならないだろ? ダンゴネズミの時と同じように一人でやるべきだ」
「だから! 8レベル差がちょうどいいっていうのは隊を組んで戦う場合とか! レベル上位が倒した魔石を下位に譲る場合の計算だろ!」
「大アマガエルとキミの差は9だよ。今日中に8に縮めることになるけど」
「今日一日で⁉」
検証には4日かけると言っていたはずだ。
この女は何を言っているのかと、イリアは家庭教師もどきの三十路女の顔を見た。黒髪が雨具の中で目元を覆っていて何を考えているのか読めない。
「言ったように今日は大アマガエル日和なんだ。明日も雨が降って、やつらが元気に陸に上がって来てくれるとは限らないんだよ? それに、本当に魔石を食わずにレベルが上がると判明したら、他にも調べてみたいことはある。いくらでもある。時間は有限なんだから効率よくやるべきだ」
遠くの方で話し声がして、イリアはその方向を見た。200メルテほど下流だろうか、数人の隊が何かやっている。女子らしき高い声が聞こえる。
管理されていると言えども魔境なのに、何やら楽しげである。
「……俺一人で倒せると思うの?」
「
イリアの手には端の方を細く削って持ち手にした角材がある。長さは1メルテに少し足りないくらい。9デーメルテといったところか。
両手で持って軽く振ってみる。明らかに重い。ユリーの片刃剣は鉄でできていて長さも同じくらいだったが、薄刃に作ってあったので1キーラム程度だった。この角材は2キーラム近くある。
「重いんだけど」
「刃物じゃないからね。打撃力で叩きのめすには必要な重さだ。振り下ろそうとするより真横に振り回す方がいいと思うよ」
言われた通りに振ってみる。確かに上段から振り下ろすのに比べて手首の負担は少ない。
だがこんな、木こりが斧で木を切るような型は剣術にはない。白狼の牙流もなにもあったものではない。
イリアが角材の振り心地を確かめている間も、ハンナはカエル筒を「ゲゲゲゲ」と鳴らし続けていた。
イリアの雨具は袖が無いので両腕は前合わせの間から出すしかなく、開いている部分が雨水で湿ってくる。
突然ハンナの居る方から音が聞こえた。カエル筒の音に似ている気もするが、もっと低く、太い音。素早くなめらかな足運びでハンナはイリアの背後にまわった。
10メルテ以上離れた位置に緑色の塊。もう一度太い声で魔物が鳴いた。
「大アマガエルの喧嘩は鳴き合わせから始まるのだ」
ハンナが背後でもう一度カエル筒をならす。
助走も無く緑色の塊が跳んだ。
大アマガエルは大きさが2倍になった。
いや、一跳びで距離を半分に詰められたのだ。数メルテ先に着地した大アマガエル。普通のカエルと形はほとんど変わらないが、その大きさは比較にならない。
仮想レベルは子攫いイヌとほぼ同格。体重は半分程度の魔物なのだが、正面から見ると横幅があるためか大きく見える。
拳ほどもありそうな両目が頭の上の方に飛び出している。金色の目玉の真ん中に、真っ黒な瞳孔。
目玉ごと頭部に沈めるようにして
軽く沈みこんだ大アマガエル。イリアは角材を右横に構えた。地面を蹴りだす音がする。イリアの顔に向かってまっすぐ跳んできた。
ずんぐりとした第一印象からは思いもよらない長大な後ろ足。
力いっぱい角材を振る。胴体になんとか当てることが出来た。水をめいっぱい詰めた革袋を叩いた感触。20キーラムは体重のある大アマガエルを打ち返すことは出来ない。イリアの体を左にかすめて飛んでいった。
後ろからハンナが「腰が入ってないよ腰が」と言ってくる。
振り向けば2メルテの至近距離。大アマガエルは短い前足を使ってずりずりと後ずさった。逃げるのかと、一瞬思ったが、魔物は態勢を低くした。
角材を斜めに振りかぶる。イリアの顔を一飲みにしそうな大きな口を開け、跳びかかってきた大アマガエルを斜めに振りぬいた角材で打った。
先とは違う確かな手ごたえ。
イリアの足元の地面に20キーラムの緑の塊が墜落した。角材を構えたまま、数歩後ずさって距離を取る。
ハンナが近づいて、動かない大アマガエルの傍にしゃがみこんだ。
「お? 面白いな、気絶している。両生類の神経構造でも打撃で気絶するものなんだな。大きさのせいかな?」
「ハンナ」
「ん?」
「成長素を得られた。確かに感覚があった」
おそらくは大アマガエルが気絶した瞬間だろう。イリアの体に甘い痺れが走っている。得られる成長素の量にかかわらず、感覚に違いは無いようだ。
「そうか。まぁ今はかわいい生徒の言葉を信じよう」
ハンナがいきなり倒れている大アマガエルの腹を右手で貫いた。ぐりぐりと中を探り、何かを抜き出した。立ち上がってイリアに近づき、右手を開いて見せる。
「ではまず、この魔石を食ってみてくれ。『砂化』するというのを見たい」
イリアは嘔吐した。
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