第31話 米食

 ゲオルクの部屋から外に出ると、廊下の窓枠の下の部分が光っていた。緑色の光は弱弱しく、足元をなんとか照らしている程度。初めて見る、火とは違う人工の照明に驚き、イリアは顔を近づけてまじまじと見る。後ろからハンナの声がした。


「自然学の最新の研究成果だよ。脂を加えると光り続ける特殊な物質を、加工してガラスで封じてるんだ。火と違って熱くならないからいいね」


 棒状の照明は曇りガラスの管で出来ているようだ。中で光っている物が個体なのか液体なのか、見ただけではわからない。


「特殊な物質って?」

「菌類から取り出した物質らしい。菌類はわかるかね?」

「カビとかキノコの仲間でしょ?」

「正解。キミが殺して気絶したっていう、ねばねばの魔物も菌類の魔物と言われてる。たしか『皇帝粘菌』だったかな?」


 話しながら外に出て、十数分前にくぐったばかりの分校の門に向かう。門の向こう側の通りには橙色の灯の光が並んでいる。


 ソキーラコバルの大きな通り沿いの建物には、二階の窓のあたりにガラス覆いのある照明が付いている。誰が脂代を負担しているのかイリアにはわからないが、木造建築の多い街ではありえない光景だ。火事が恐ろしい。


 明るい通りに面した店の中では学園生らしい若者が男女数人で食事をしているのが見えた。イリアの胃袋もそろそろ夕食を欲しているようだった。


「イリア。キミが自分のアビリティー検証に4日かかっているなら、私も4日もらおう。明日から4日間、私の言うことを聞いてもらうよ?」

「まぁ、いいけど」

「ではキミもハインリヒさんのお宅に泊まらせてもらえるようにしよう。魔石剤も預けなさい。話を疑う訳じゃないが、私の監視外で成長素を得ようとする行為は禁止だ」


 イリアとしては、噛んでもどうせ『砂化』してしまう魔石剤などどうでもいい。

 第一防壁の内側、中央区に戻った二人。イリアの分からない道を通り、ハインリヒ邸に戻ると執事のマルクスが扉を開けてくれた。

 食堂でハインリヒ本人とジゼルが夕食を伴にするため待っているという。案内されて一階の食堂に入った。


「やぁ、ちょうどいい時に帰ってこられました。もうすぐ料理が出来上がるところです」


 立ち上がって出迎えてくれたのは縦にも横にも大きい老紳士だ。マルクス同様白髪で、無造作に後ろになでつけられた髪が顔の横で跳ねている。目鼻立ちがくっきりしているところはジゼルに似ているようにも思われた。


「いい夜ですねハインリヒさん。この子はイリアと言って、ノバリヤで私が教えている生徒です」

「お初にお目にかかります、ハインリヒさん」

「おお、これは丁寧なあいさつだ。さすがはハンナ先生の教え子ですなぁ」



 建物の大きさの割に広い食堂。その中央に置かれた大食卓の上座に座るハインリヒ。その左手の席に座るジゼルは楽しそうに笑っている。

 勧められるままに二人も席に着いた。ジゼルの正面にハンナ。その隣にイリアだ。

 ジゼルがイリアの方を見て話しかけてきた。


「さみしい席で驚いたでしょう? わたくしの両親は王都に住んでいて、この家にはおじい様とわたくししか住んでおりませんのよ」

「私はあまり家族に恵まれませんでな。子供は娘が二人だけ。一人は王都で夫と共に事業を手伝ってくれていて、もう一人は別の街に嫁いでおります。ジゼルがこちらに住んでくれるので、寂しい思いをせずに済んでおるのです」



 ジゼルとイリアに皮を剥いた梨が提供され、大人二人には小さなガラス杯入りの飲み物が運ばれてきた。琥珀色の飲み物は蒸留酒だろう。

 盆に乗せて蒸留酒を運んできたのは専属の女中と思われる。イリアの実家のように他所の家庭の女が当番制で家事手伝いに来てくれていたのとは違う。


 ハインリヒはイリアに対してノバリヤの街の賑わいなど当たり障りのない質問を重ねてくる。イリアとしては家族の事やアビリティーのことなどは聞かれると困るので助かった。梨を食べ終わる頃に2皿の料理が全員の前に運ばれてきた。

 串に刺さったままの肉の塊が3つ。一つ一つが大きく、それだけで満腹になりそうである。肉と同じ皿に焼き目のついた根菜が乗っている。

 もう一皿にあるのは水気の少ない麦粥のようにも見える。だが天井からぶら下がる灯火台の明りではっきりと、その穀物一粒一粒がよく見える。白茶色のそれは麦よりもずっと細く長い。


「ハインリヒさん、これはもしかしてコメですか?」

「そうだよ。苦手なら、パンと換えさせよう」

「いえ、初めて食べるので楽しみです」

「初めて? それは珍しいなぁ」



 ベルザモック州と南隣のバスポビリエ州は東方と接している。交易は盛んとは言えないが2州は王国における東方への玄関口。東方で麦よりも多く作られているというコメは身近なものだ。

 寒さを嫌うらしく、王国で育てることは難しいらしいが、大陸西部でも気候の温暖な国では作付けされているらしい。

 麦の倍の価格であるコメなど食うのは無駄遣いであるとして、イリアの家では出たことが無かった。


 匙ですくって口に入れてみる。大麦の炊いたものと比べると口当たりはいい。粒に弾力があり、少し癖のある香りがするが味はあまりしない。

 ジゼルはナイフで切り取った肉をコメに乗せ、フォークですくって一緒に食べている。横を見るとハンナが串を持って肉にかじりつき、コメを食っている。

 イリアもジゼルの真似をすると、強く味付けされたブタ肉の味とコメがよく合っておいしく感じられた。


 小さめの椀に入った汁物も提供された。味、量ともに満足のいく料理を楽しみながら食べ終える。


「——というわけでしばらくの間、彼もこの家に滞在させてほしいのです。なに、年頃の男子と言えどジゼルにおかしなマネなどしませんよ。みすぼらしいなりをしてますが、彼は白狼の牙頭領の息子です」

「ほう、あの白狼の牙の……」


 いつの間にかハンナとハインリヒとの間で話が進んでいた。おかしな真似とはどういうことか。ジゼルも変な表情をしている。

 文句を言いたかったが、それよりも。イリアはハインリヒが実家の戦士団のことを知っている事が気になった。


 確かに「白狼の牙」はノバリヤでは有数の戦士団である。だがベルザモック州に常駐している王国軍が3千人。そのうち2千人がソキーラコバルに居るらしい。平均レベルは一般的に戦士団の方が高いが、それでも軍と比べて構成員が百名程度の集団など、取るに足りないともいえる。


「ハインリヒさんはうちの戦士団の事をご存じなんですか?」

「白狼の牙は第二次ベルザモック戦争で王国全土からあつまった義勇軍がその起源ということは知っているかね? 代官アルフレートの元に集まった義勇軍の集結地がここ、ソキーラコバルだ」

「じゃあ、この街は白狼の牙の発祥の地なんですね」

「その通り。戦勝後、この街を起点として北東部地域全体の開拓を主導した12の戦士団。解散したり合併したりで、今も残っているのは8つだけだ。ベルザモックに生きる男なら歴史ある8大戦士団の事を誇りに思う者は多い」



 第二次ベルザモック戦争は東方の超大国ラウ皇帝国が建国されて初めて王国とぶつかり合った大戦争であり、王国史上一番大きな戦争でもある。

 白狼の牙よりも規模の大きな戦士団はノバリヤにもあるし、より歴史の長い戦士団が州外から移転してきてもいる。だが言わばのベルザモック戦士団として、「白狼の牙」の名は高いらしい。




 客室は一部屋しかなく、そこはハンナが使っている。使用人用の部屋が空いているというのでイリアはそこに泊まらせてもらうことにした。

 イリアの荷物が運び込まれていた3階の使用人部屋は埃一つなく清潔で、寝台の敷き布団は分厚かった。東向きの窓から都会の街の灯が入り込んでうっすら明るい。こんないい部屋にただで泊まれるとは。

 柔らかな獣毛詰め枕の上に頭を乗せて、自分が故郷に置いてきた物の大きさを改めて想うイリアであった。

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